イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝44

2013年04月11日 | 預言者伝関連

137.侮辱的和解、それとも明解な勝利?
 信徒たちがマディーナに戻る途中、至高なるアッラーは次の聖句を啓示し給いました:
 「まことに、われらはおまえに明白な勝利を開いた。アッラーがおまえに、おまえの罪のうち先行したものも後回しになったものも赦し、彼のおまえに対する恩寵を全うし、おまえを真っすぐな道に導き給うためである。また、アッラーがおまえを威力ある援助で援け給うためである。」(クルアーン勝利章1~3節)
 ウマルが言いました:確かにこれが勝利なのでしょうか、アッラーの使徒様?
 彼は言われました:そうだとも!

138.おまえたちはなにかを、おまえたちにとって良いことでありながらも嫌うかもしれない:
 アッラーの使徒(祝福と平安あれ)がマディーナに戻ると、クライシュからアブー・バスィール・ウトバ・イブン・ウサイドという男が、彼のところへやって来ました。それを知ったクライシュはアブー・バスィールを取り戻すために二人の男を使いに出し、預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)に言いました:おまえが決めた約束を果たしてもらわなければならない。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、言われた通りに、アブー・バスィールを彼らに返しました。そしてかの二人は彼を連れて帰ろうと出発しましたが、彼が逃げてしまい、紅海方面のサイフ=ル=バハルというところまで来ました。同時にクライシュに捕らえられていたアブー・ジャンダル・イブン・スハイルも逃げ、アブー・バスィールと合流しました。

これ以降、イスラームに新しく帰依してクライシュから逃れたい者は皆、アブー・バスィールを追うようになりました。そのような人たちが集まってギャングが形成されました。このギャングはシリア方面へ貿易に出たクライシュのキャラバンを襲い、彼らの財産を奪いました。困ったクライシュは、この害から解放されるために、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に、「クライシュからムスリム側へ逃げてきた者はクライシュに返還されなければならない」という条件を削除してほしいと願い出たのでした。こうして最終的には、クライシュから逃れて来たムスリムは、クライシュに送り返されることなく、安全を得られるようになりました。

139.いかに和解が勝利に転換したか?:
 アッラーの使徒(祝福と平安あれ)が、クライシュが強要した全ての事柄を承諾し、彼らが自分たちにとってとても有利だと思い込んだことを、信徒たちは強い信仰心と使徒に対する偉大な追従的態度によって耐えた、このアル=フダイビーヤ協定。最後に起きた出来事は、それまでのすべてがイスラーム勝利の新たなきっかけであり、アラビア半島に今までにない程の速さでイスラームが広がるきっかけとなったことを示しています。またこの和解は、マッカ開城と、カイサルやキスラーといった世界の王たちへの(イスラームへの)呼びかけのきっかけともなりました。偉大なるアッラーは真実を仰せになりました:
 「だがおまえたちはなにかを、おまえたちにとって良いことでありながらも嫌うかもしれない。また、おまえたちはなにかを、おまえたちにとって悪いことでありながらも好むかもしれない。そしてアッラーは知り給うが、おまえたちは知らない。」(クルアーン雌牛章216節)

 この和解がもたらした利益は、クライシュがムスリムたちの立場を認めたこと、協定を結んだり交渉し合ったりする対象として、ムスリムたちを強力な集団とみなしたことがあります。そしてこの和解で得られた最も大きな収穫は、「停戦」です。ムスリムたちは始まりも終わりもない戦いから完全に休息することができました。戦争は彼らを忙しくさせ、彼らの力を奪っていました。そのためこの休戦期間に、平和と安全の下、イスラーム宣教に専念出来るようになったのです。

 またこの和解はムスリムたちと多神教徒たち両方に、お互いに交流する機会をもたらしました。多神教徒達は、多神崇拝と偶像崇拝という穢れ(けがれ)からの精神浄化、理性と頭脳の清浄化などのイスラームの美しさを、血筋や生活環境、言葉を同じくする、同じ土地の人間であるムスリム達を通してうかがい知ることになりました。
 そして彼らの激しい頑固さや否定的態度にもかかわらず、イスラームの教えそのものと預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の追従だけが、ムスリムたちを頭角を現す存在にさせたことが如実に現されました。そこには、イスラームに対する理解とその影響力の存在を認めるに至る強い動機がありました。
 こうして、この和解成立から1年を経たずして、マッカがまだ開城されないうちに、それ以前の15年間にイスラームに帰依した数よりも多くのアラブ人が、イスラームに帰依したのでした。

 また停戦による恩恵を受けたのは、マッカに住む立場の弱いムスリムたちでした。アブー・ジャンダルの手によってマッカのクライシュ子弟の多くの人たちがイスラームに帰依したのです。クライシュはそんなイスラーム宣教師とマッカにイスラームが広がることに対して、為す術を見つけられずにいました。
 帰依した新しいムスリムたちは皆アブー・バスィールを追ったため、彼はイスラームの宣教の中心となり、また力となりました。クライシュは彼の活躍について噂し合うようになり、ついにはアッラーの使徒(祝福と平安あれ)に対して、それらのムスリムたちをすべて引き取ってマディーナに連れて行ってくれるよう懇願したので、彼(祝福と平安あれ)は承諾しました。そのためマッカで屈辱を味わっていた信徒たちは、苦しみから解放されたのでした。以上すべては、この和解と停戦から生まれた利益でした。
 
 アッラーの使徒(祝福と平安あれ)が取った平和主義姿勢と争いを避ける態度、和解の希求、広い心と忍耐により得られた利益は、イスラームにまだ帰依していないアラブ諸族の、新しい宗教とその宣教者に注ぐ視線が変わったことです。また、彼らの心の中に、今までになかったイスラームに一目置き、評価する気持ちが生まれたことでした。以上は、意図されず生まれた、宣教上とても重要な利益となりました。これらは、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)とムスリムたちが得ようと精進していたものでした。

140.ハーリド・イブン・アル=ワリードとアムル・イブン・アル=アースのイスラーム帰依:
 アル=フダイビーヤの協定は、人々の心を開くものでもありました。クライシュの騎士たちを指揮し、大きな戦争の主役であったハーリド・イブン・アル=ワリードがイスラームに帰依しました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は彼を「アッラーの刀」と名付け、彼はその後、イスラームに多大な恩恵をもたらし、彼の手によってシャーム地方が開城されました。
 また有力な指揮者であり、後にエジプトを開くことになるアムル・イブン・アル=アースもイスラームに帰依しました。二人は協定制定の後、マディーナに来て改宗しました。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P379~283など)

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