かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

まだ俺は渡さんぞ~神経内科・老年病内科本試験

2006年06月05日 21時14分23秒 | 試験
というわけで、昨日の記事の続き。目を覚ましたら午前2時。まだ眠りたがる自分をたたき起こし、勉強を始めた。今日の試験は2科目だが、老年病のほうはそんなに時間を割く必要はないと判断し、過去問を一度見ただけで終わりにした。その後で老年病は第一回の講義の内容をチェックして終わりにした。
問題は神経内科。こうなることを予想して早めに勉強を始めていたものの、もはや残り時間からいって過去問に当たるしか手はなかった。前もって準備しておいたのでひたすら内容を頭にたたき込む。なんとか1周することができた。寝起きだとあまり余計なことを考えないからなのか、意外にスムーズに頭に入った。そのあとはステップを読んだり、テキストをチェックしたりして、そのまま朝を迎えた。
出かける支度をし終えたら、不思議と眠気は感じなくなった。戦闘態勢に入ったというようなものだろうか。今日は遅刻することなく臨床講堂に到着した。監督に当たる神経内科の先生の性格が悪く、いちいち腹の立つ言い方をしてくるので思わず苦笑してしまった。
神経内科の試験問題は全部で4枚。1枚ごとに出題者が違うと見た。そのうち1枚目と3枚目はA4版で、2枚目と4枚目は倍のA3版だった。1枚目は教授のが作ったものと見え、第一回と第六回の講義からそれぞれ一題ずつだった。2枚目はおそらく助教授の作品だと思うが、これが一番難しかった。なかなか書けず、何とかちょこちょこ書くことができた。中には錐体外路症状とその病巣という見たことのある問題があった。3枚目は過去問そのままだった。4枚目は誰だろう。筋萎縮性側索硬化症の神経徴候、パーキンソン病の治療薬、アルツハイマー病でのアミロイドβタンパクについての問題、症例問題が出てきた。いつもなら時間がだいぶ余るのだが、神経内科はかなりぎりぎりまでかかった。そのため、老年病を勉強する時間がだいぶ減ってしまった。
老年病は予告通り第一回から記述二問と以降の各授業から選択問題が5問ずつの合計37問の試験だった。記述さえしっかり書けばいいというので、選択問題については過去問をざっと見た程度だった。ところが、記述問題は感想とCGAの意義を書かせる問題で、事実上の作文問題だった。しかも、選択問題は見たことのある問題がちらほらと見受けられた。まったくわからないのもあったが。
これだけの戦いの後は診断学実習。今日は呼吸器で、アレルギーリウマチ内科の医局まに集合だったのだが、場所がよくわからない。困っていたところでたまたま同じ班の女の子を見つけ、そのままついていくことにした。1人だったら絶対にたどりつけないようなところだった。実に頼りになる人だ。助かった。
呼吸器は話を聞くだけという、睡魔との戦いを強いられた私にとって実に辛いものだった。あまつさえCDで呼吸音を聞くなど、もはや睡魔に抗することはできずついにわずかだが眠ってしまった。ほんのわずかだが、少し頭がスッキリした気がした。
しかし、今日はまだ終わらなかった。その後は医学英語。教育研究棟の2回にいってみたら、皆がたむろしている。何でも教室が開いていないとか。しばらく待ったがいっこうに事態は動かず、帰ろうかという雰囲気になったときに、突然教室が開いた。というよりもずっと待っていたらしい。半分がっかりした勢いで、やる気は最低レベルにまで落ち込み、何の準備もしていなかったプレゼンテーションへなだれ込むハメになった。もちろんやる気のかけらもない私は頭の回転が鈍く、何をしゃべっていいのかわからない。かといって何もしゃべらないわけにもいかず。適当なことをやり、何とかやり過ごした。来週には日本語の論文を英語に訳して提出しなければならないらしい。まったく参った。