POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 昨日、発熱した健人を連れて病院に行ってきたのが疲れたのでしょうか、宿泊ホテル「喜瑞飯店(AMBIENCE HOTEL」で朝食をとった後に急に眠気がさしてきました。「ちょっと、15分くらい寝るわね。」と言って、ベッドに入りました。ところが、目覚めたのは12時過ぎ。きょうは、「基隆(キールン)」観光に出かける予定です。「起こしてくれなかったの。」「疲れを取りに出かけてきたのだから、眠いときは寝てなくっちゃね。」

 健人の熱は、きのう「台安医院」でもらった解熱剤「アセトアミノフェン」が効いたのでしょうか、平熱に戻っています。それでも無理はさせられないので、いつもなら街を目的地まで歩くことが多いのです(夫は歩くのが尋常じゃなく好き!)が、今回はホテルの前からタクシーを拾うことにしました。長安東路と新生北路の交差点のすぐ脇にあるホテルから忠孝西路と重慶北路の交差点のすぐ脇にある国光客運の「台北西站」までです。しかし、元気をすっかり取り戻している健人が発した一言、「お昼どうするの?」

 そうです。昼食のことを忘れていました。さっき朝食を食べたばかりの気持ちでいたのは、朝食後寝てしまった私だけのようです。しかし、これから昼食に時間をかけると、ますます基隆に行くのが遅くなります。台北駅(「台北車站」)の向かいに新光三越があります。そこの地下にフードコートがあったはずです。タクシーの目的地を台北駅の前にしてもらいました。

 健人にメニューを選ばせたのですが、あれこれ見て回って、「日本で食べられるようなものは食べたくないよね。でしょ。何がいいかな。」「チキンライスは?」「それって、シンガポールでしょ。」「じゃ、これ。」「それは、タイ料理!」「健人、マックがある。」「だめ。」「オムライスの店もあるわよ。」「日本にもある。」「ケンタッキーもあるわよ。」「しばらく、脂っこいものはだめなんでしょ。」確かにお医者さんにそう言われました。「お父さんはラーメンがいいな。」「ぼく、いらない。」

 そんなことを話しているうちにお店巡りは2周めに入ります。いつまで経っても決まりません。「どんどん遅くなるから、お母さんが決めるからね。」 夫は「富士鉄板で、お肉もいいな。ちょっと高いけど。」とふざけ始めます。食べ物にこだわりのない夫は何でもいいのです。2人を座席に座らせて適当に買ってきました。

 新光三越から国光客運の「台北西站」までは徒歩数分です。前日に国光客運のサイトで「基隆」行きのバスが出るのは「台北東站」から「台北西站」に変更になっているのを確認していました。最新の情報の入手には、パソコンが手放せません。私のホテル選びの条件の一つに「インターネットができること、できれば無料で」ということはしっかりと入っています。



 基隆行きのバスは1時間に数本と頻発していて、出発時刻を気にする必要はありません。基隆までの所要時間も40~50分程度と午後からでも十分に日帰りできます。料金は大人で(「全票」)55元、往復切符(「来回票」)を買うと100元です。300円程度で、行って帰ってこられるのです。宿泊ホテルから台北駅まで85元かかりましたから、それよりもわずかにかかる程度です。

 「台北西站」の重慶北路に面した乗り場から13時50分に出発したバスは、道路が混雑する時間帯でないのか、スイスイと走り続けます。その心地よさにまた眠気に誘われウトウトとしてしまいました。乗り物好きの健人と夫は一番前の座席に陣取り、カメラを構えています。興奮していて何かを話し合っている2人を前に見ながら、私は夢の世界に、、、

 「え、もう着くの。」(夫)「そうだよ、もうキールンだよ。」(健人)。2人の声で夢の世界から引き戻されました。14時20分頃。なんと30分ほどで着いてしまいました。目を開けると、目の前に港が広がっています。降車場が港のすぐ脇です。バスを降りるとそこがすぐ港です。沖縄に旅行したときに、夫が「沖縄から台湾に行くのも面白いね。基隆という港町に着くんだよ。」と言ったのを思い出しました。





 基隆観光、まずは 基隆市仁三路90号にある、パイナップルケーキ(「鳳梨酥」)の老舗「李鵠餅店」です。基隆は鳳梨酥発祥の地で、ここ「李鵠餅店(リーホウ・ケーキ・ストア、Lee Hou Cake Store)」は、台北には支店がないそうで、台北からわざわざ買いに来る人もいるのだそう。「李製餅家」という店も基隆にはあり(台北にも支店がある)、こちらの方はさっぱりとした味で日本人好みなのだそうですが、台湾人には圧倒的に李鵠餅店のものが好まれているらしいので、いくつか買うことにしました。



 つぎは、愛三路と仁三路の交差点付近にひろがる常設の屋台街である「基隆廟口夜市」です。日没してからが盛況を迎える夜市ですが、昼頃から店は開いているのだそうです。開漳聖王を祀る「奠濟宮」を中心にしたそう大きくない屋台街でした。健人は基隆発祥の、泡のようなふわふわしたカキ氷である「泡泡冰 (パオパオビン)」を食べたいと言い出します。でも、かわいそうだとは思うのですが、病み上がりの身にはリスクがあるので、屋台のカキ氷は遠慮してもらうことにしました。





 台北と比べて、蒸し暑かった基隆で、カキ氷を食べたい気持ちもわかるので、さきほど目に留めておいた夜市の入り口付近にあった「鮮芋仙」でカキ氷を食べることにしました。この店は台北にもあちこちにあり、前回の台湾旅行で夫が「入ってみたいね。」と言っていたお店でした。夫にそのことを言うと、「そんなことを言ったかな。だいたいロゴにすら記憶がないね。」との返事。無責任男の夫は、自分の言ったことを覚えていません。



 私が栄養士の資格をとるために短大に行くという進路を決めたのも、当時近所に住んでいた夫の「これからは、資格の時代だから、ただ大学に行くというよりは資格の取得を目指した方がいいよ。」という言葉でした。それを言うと、「そんなことをアドバイスしたかな。覚えていないな。」だって。自分の言葉に無責任な男には、私の夫になるという試練を与えてやってます。

 「鮮芋仙」のカキ氷は実にいろいろな種類があって、どんぶりに盛られて出てきます。これがそれほど甘くなくておいしい。普段、冷たいものは胃にトラブルを起こすといって口にしない夫ですが、気に入って、私たちの残したのも平らげてしまいました。知らないよ、あとでお腹の調子が悪いと言い出しても、、、



 「鮮芋仙」は正しくはカキ氷のお店ではなく、豆花(豆腐のデザート)や芋圓(イモでできたお餅)などの台湾の伝統的なスイーツを食べさせるお店。それが「熱」ではなく、「冷」を注文すると、カキ氷の上に乗って出てくるのです。日本の小豆より甘さ控えめの「紅豆」、ハスの実の「蓮子」、プチプチ食感の「珍珠」もおいしい。夫が気に入るのも十分理解できます。

 健人のカキ氷が食べたいという要望をかなえて、「夜市」に戻ります。お店の数は少ないが、まともな料理が並んでいます。私がさっき歩いたときに食べてみたいと思ったのは、店舗番号5番の「呉記」の「蟹のみぞれあんスープ」。早速「おこわ」(油飯)と一緒に注文していただきました。



 「蟹のみぞれあんスープ」は、50元で、海藻らしいもの(黒い糸のよう)、いか(?)、しいたけ、たけのこの千切り、かに(申し訳程度、健人に食べられてしまったよう)が入っていて、あっさりしたしょうゆ味のスープで、油を多く使う台湾料理に抵抗のある日本人の私たちにもなじむ味です。「みぞれ」というのは、日本では大根おろしをさすのですが、それは入ってはいず、台湾では片栗粉のとろみをいうのかも知れません。



 基隆は漁港ですから、海鮮料理が有名です。他の夜市では、食べられない「旗魚焿」を買い求めてみました。「旗魚焿」は、かじきまぐろの身を何かのすりみに混ぜて込んだものが入っているスープです。ホテルでの夕食にするつもりで、持ち帰りにしました。これもくどくなく食べやすかったのですが、多分かじきの臭みを消すためににんにくが入っていました。健人は、にんにくが効きすぎと言って、一口だけで食べるのを止め、夫も冷たい物の食べすぎでダウンしてたので、結局私がほとんど食べることになりました。おいしかったのですが、仕事、仕事の毎日で痩せたのにまた太ってしまいそう。あ~あ。

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 最後に海外旅行に出かけたのは、2008年12月のマレーシアでした。それから既に11か月が過ぎようとしています。私としてはこれほど長く旅行に行かなかったことはありません。仕事、仕事の毎日でストレスが溜まってしまいました。

私「健人。どこか出かけていい?もう1年も旅行に行ってないのよ。」
健人「まだ1年しか経っていないよ。」
私「1年も経っているのよ。」
健人「行きたくないな。」
私「お母さん、ストレスが溜まっているの。行こうよ。」
健人「友だちと遊んでいる方がいいな。」
私「お母さんとも一緒に遊んでよ。」

 夫も新型インフルエンザを心配して、賛成をしません。

私「ねえ、そろそろ行ってもいいでしょう。」
夫「ワクチンの接種を受けてからの方がいいんじゃないの。」
私「来年になっちゃうわよ。」
夫「仕方がないじゃない。」
私「感染のリスクは、日本も外国も変わりないじゃないの。」
夫「それはそうだが、医療水準の問題があるじゃないか。」
私「医療水準が日本と同じであればいいのね。」



 というわけで、やって来ました、台湾に。ところが、台湾の玄関、桃園国際空港の検疫でとんでもないことが起きてしまいました。3人連れ立って、通り抜けようとすると、警告音が突然鳴りました。入国者の体表面温度をモニタリングしていた赤外線サーモグラフィが発したものでした。

係員(日本語で)「お子さんの体温を測っていいでしょうか。」
私「ええ。」
耳で体温を測った係員は、私にその数字を示して、「熱があります。」
私「38.9度もあるのね。」
係員「いくつか質問に答えてください。」
私「ええ。」
係員は、対応マニュアルを見ながら、「下痢はしていませんか。」
私「いいえ。していません。」
係員「吐き気はありませんか。」
私「ないでしょう、健人。」
健人「ない。」
係員「関節は痛くはありませんか。」
健人「痛くない。」
・・・(インフルエンザの特徴的な症状の有無がいろいろと尋ねられます。発熱以外は、インフルエンザに特徴的な症状がないのを確認すると)
係員「このまま熱が続くようなら、医者に行ってください。」
私「はい、わかりました。」

 私たちの住まいは成田空国から遠く、いつも車で成田へ向かいます。車は成田空港近くのホテルに預けることにしています。ホテルに宿泊すれば、駐車場を無料で利用できるのです。ここのところ、夫婦ともに忙しく休みがとれず疲れきっていたので、前泊のホテルで午後4時まで、私は台湾の情報を集めるため、本を読み、夫はイタリア語の勉強をしていました。健人はそれに退屈して昼寝をしたのですが、寝起きが悪く、幾分熱を出しました。空港についた頃には、元気を取り戻し、展望台で飛行機をカメラに収めるなどしていたものでしたから、熱は引いたものと考えていました。

 台北での最初の宿泊ホテルは、「アンビエンス・ホテル」です。空港からは「長栄巴士」で、「エバーグリーン・ローレル」前のバス停まで移動です。バスの中で、吐き気が生じ、吐いてしまうと大変ですから、ビニール袋や口を漱ぐための飲み物を用意して、乗り込みます。しかし、夫の肩にもたれてすぐに寝てしまいました。1時間ほどして、バスから降りて、「長安東路」を7分ほど歩きます。心配したのですが、目覚めた健人はとても元気で先を急いで歩きました。



 「アンビエンス」では、初めての経験だったのですが、額に向けて体温を測る「非接触式体温計」で体温の測定をされました。我々3人ともマスクをしていたせいでしょうか、それとも宿泊者全員に対して「感染予防」で行われるのでしょうか、いずれにしても、このときは運がよく(?)、健人の体温に異常はありませんでした。示された体温は、36.5℃。平熱が35.6℃と低い健人では、それでも0.9℃高いのですが、多くの人の平熱なのです。しかし、空港のときと同じく38.9℃を示したら、どのような対応をされたのでしょうか。



 台湾ではいくつかのホテルに宿泊の予定です。夫は「これはただの風邪でしょう。インフルエンザに特徴的な症状がいくつか揃っていないからね。」と楽観ムード。でも、熱は下げておく必要があります。市販薬は持ってきてはいるのですが、その効果を大きくは期待できません。さっそく、ホテルの部屋で病院の検索です。便利な時代です。人の手を煩わすことなく、調べることができます。見つけ出したのが、「台安医院(台北市八徳路二段424号)」。なんと、日本語で受診でき(病状を伝えるのには自国語が楽ですよね)、オンラインで予約もできるのです。 

 翌日になりました。午前中はゆっくり寝かせておきたかったので、予約は午後の2時にとってあります。それでも私たちと同じに起きだして朝食会場に。相変わらず熱っぽいのですが、元気です。夜中に幾度となく起きて健人の額に手を当てて体温を確認していたという夫の方が元気がありません。眠そうです。

 「アンビエンス」は、交差点のすぐ脇にあるホテルなので、交差点で停まったタクシーを捕まえて乗り込みます。オンラインでの予約時に作っておいた台安医院(基督復臨安息日會 臺安醫院)の住所(台北市松山區八路2段424號)を書いた紙を渡します。有名な病院のようですぐにわかったようです。病院につくと日本人用の部屋(2階)に案内され、日本語で病状を伝えます。担当医の「蔡水沼」医師がやって来ました。熱を測ると、38.5℃。相変わらず高い。高熱以外に他に症状がないことを伝えます。ところが、健人は前日に「少し吐き気がした。」と言い出します。それでも、診断は「ただの風邪ですね。」ということでした。ほっと一安心です。ホテルが変わったときに、この診断結果を伝えれば、宿泊を拒否されるという最悪な事態は避けることができる(宿泊拒否というようなことがありえるのかどうかはわかりませんが)ことになります。



 「熱冷ましと吐き気止めの薬を出しておきます。それでも熱が引かないときはまた病院に来てください。」と蔡先生が診察を終えようとすると、看護婦さんが事の成り行きでは使うであろうと用意した「インフルエンザ迅速診断キット」に目を留めていた夫がそれまでの沈黙を破って、「それでは、きょうはインフルエンザの簡易検査はしないのですね。」と言い出します。「え、そうですね。でも、調べますか。いいですよ。」 好奇心が目の輝きとなって表れていた夫は「ええ、お願いします。15分くらいで済みますよね。」「いいえ、少なくとも結果が出るまで40分くらいかかりますよ。」 ひるむかと思ったのですが、夫は「待ちます。」と答えます。

 綿棒の柄を細く長くしたもので、健人の喉の奥の粘膜が拭い取られました。それが試験管を細くしたものの中に入れられて、おしまいです。これだけが見たくて夫は検査を要求したの? 1時間ほど待って出た結果は、「陰性」。蔡先生からその説明を受けるときには、結果を予測していたのでしょうか、夫は病院を見学に行ってしまっていました。何やってるんでしょうね。「調べておいた方が安心できるから。」(夫) 本当かな~



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 20世紀における新型インフルエンザウイルスのパンデミック(pandemic、世界的な大流行)は、スペイン風邪(1918~1919年、日本では200万人以上が感染、うち38万人以上が死亡)、アジア風邪(1957年~1958年、日本では300万人以上が感染、うち5,700人が死亡)、香港風邪(1968年)の3回にわたります。この中でも特にスペイン風邪は、最大の被害者を出しており、全世界で2000万以上の人が亡くなったと言われています。2000万人というのは当時の人口から見ると1%ほどの死亡率になり、100人に1人はインフルエンザで亡くなったことになります。

 東京大学医科学研究所などの研究チームは2007年に、スペイン風邪ウイルスの遺伝子を公表された遺伝子配列(スペイン・インフルエンザで死亡したロシア兵士の遺体をシベリアの永久凍土から掘り出して分析したそうです)から再構築し、「リバースジェネティクス法」(核酸から生きたウイルスを作り出す技術。1999年に河岡義裕氏らのグループは、この方法を用いて、ワクチン株(ワクチンのもとになるウイルス)を短期間で作る手法を完成させた)により人工合成しました。この人工合成したスペイン風邪ウイルスを感染させたマカカ属のサルは、強い致死性の肺炎を起こし、ウイルスに対する自然免疫反応の調節に異常を起こしていることがわかったそうです。

 スペイン風邪ウイルスを接種されたサルは、接種後24時間以内に、元気や食欲が無くなり、接種後8日目には顕著な呼吸器症状と状態の悪化が見られ、上部気道・下部気道の両方から高濃度のウイルスが検出されたそうです。比較対照として、ヒト由来のインフルエンザウイルスを接種されたサルでは、非常に軽い症状が見られたのみで、ウイルスも接種後6日目まではかなり低い濃度で鼻や気管支のみから、接種後8日目には扁桃腺のみから検出されるに止まったようです。

 ヒト由来のインフルエンザウイルスを接種されたサルに比べて、スペイン風邪ウイルスを接種されたサルでは、肺胞の傷害がとても強く見られ、60~80%の肺の領域が肺炎に侵されており、時間の経過とともに、肺胞の障害は、肺水腫や血様液を伴ったものへと進行したそうです。感染したサル個体内での「免疫応答」を調べるために、血中サイトカイン/ケモカイン(白血球やリンパ球の細胞遊走を誘導するサイトカインの一群がケモカイン)を測定したところ、スペイン風邪ウイルスを接種されたサルでは、特に、サイトカインの一種であるインターロイキンIL-6(T細胞はマクロファージの情報に基づきB細胞に抗体産生の命令を出すが、それを伝えるのがIL-6)の分泌増加が特徴的だったようです。

 アメリカのカンザス州立大学などの研究チームは、スペイン風邪のウイルスを豚、サル、マウス、フェレットに接種したところ、豚だけが生き残り、一時的な発熱と軽い呼吸器症状だけで済んだそうです。このことから、豚の間でスペイン風邪のウイルスが代々受け継がれて、いまパンデミックを起こしている新型インフルエンザのウイルスの起源になったと考えられるのだそうです。

 ウイルスは、微小の粒子で、タンパク質の殻(カプシド、capsid)とその内部にある核酸のみから構成されています。同じような微小粒子である「細菌」と異なり、生物の細胞内に入り込み、その細胞に新たなウイルスを作らせて、自己複製(増殖)します。この「他の生物の細胞を利用する」機能を阻止しようとするのがサイトカインの1種であるインターフェロンです。ところがスペイン風邪のウイルスは、このインターフェロンの働きを阻害できるようなのです。その結果、ウイルスは増殖を続けます。

 インターロイキン(IL-6)は、「伝令」役で病原体の侵入を抗体産出をするB細胞や捕食する好中球に伝えますが、ウイルスは増殖を続けているため、伝令は何度も出ます。IL-6が過剰に分泌されると、好中球が必要以上に集まり、また血管壁の透過性が亢進して血液の成分などが血管外に多く滲みだしてきます。

 このことが結果として、二酸化炭素と酸素のガス交換をしている肺胞の内側に好中球や水分を溜めることになり、その部位ではガス交換ができなくなります。これが、「肺炎」と呼ばれる状態であり、それが急激に起こるのが今回の新型インフルエンザが引き起こす「急性肺炎」なのです。

 子供たちが多く新型インフルエンザに感染しています。そのなかでまれにですが、「急性肺炎」を起こす子供たちがいます。いままで述べた「サイトカイン・ストーム」の仕組みによって生命の危機に曝されています。ワクチンの接種が有効ならば、なるべく速やかに実行してもらいたいものです。

 2009年11月8日配信の毎日新聞からです。

 名古屋市は11月7日、新型インフルエンザに感染した同市在住の女児(5)が病院から帰宅後、心肺停止に陥り死亡したと発表した。市健康増進課によると、女児は6日に38度台の熱と激しい咳が出て病院で受診。7日朝には、痙攣が起きたため再度受診し、タミフルを処方され帰宅した。約2時間半後、寝ていた女児の息がないのに家族が気付き119番したが、運ばれた病院で死亡が確認された。同課は「診察の段階では肺炎や脳症と判断できなかったが、急速に悪化したのではないか」と話している。

 2009年11月8日配信の産経新聞からです。

 茨城県は11月7日、新型インフルエンザに感染した同県ひたちなか市に住む臨床検査技師の40代の男性が死亡したと発表した。同県によると、感染死亡者の職業はほとんど公開されていないが、病院の医療関係者の感染死亡例は全国的にも聞いたことがないとしている。国内の死者は、疑い例を含めると51人となった。
 同県によると、死亡したのは日立製作所水戸総合病院(ひたちなか市)の臨床検査技師で、院内で患者の血液や尿の採取などの業務にあたっていた。職場には新型インフルエンザの発症者はいなかった。高血圧など基礎疾患があったという。病院以外の医療関係者では8月に40代の保健師女性が死亡している。


 2009年11月8日配信の産経新聞からです。

 埼玉県は11月8日、新型インフルエンザに感染した同県深谷市の保育園児の男児(3)が死亡したと発表した。症状などから死因はインフルエンザ脳症とみられる。男児に基礎疾患はなかったという。県によると、疑い例も含め新型インフルエンザによる県内の死者は3人目で最年少。国内では52人目。
 県によると、男児は6日午後9時ごろ、39.9度の熱を出し、翌7日午前、市内の診療所での簡易検査でインフルエンザA型陽性と診断された。タミフルの治療を受けていったん帰宅したが、同日午後4時半ごろ、容体が急変して意識がなくなり、病院に搬送されたが間もなく死亡した。遺伝子検査で、8日に新型インフルエンザと確認された。


 2009年11月9日配信の読売新聞からです。

 京都市は11月9日、新型インフルエンザに感染した同市北区の1歳8か月の男児が死亡したと発表した。
 市保健医療課によると、男児は7日夕方に37.2度の微熱があった。翌朝、母親(34)が男児が呼吸をしていないことに気づき、市内の病院に搬送したが死亡が確認されたという。男児に持病はなく、市衛生公害研究所の検査で新型インフルエンザへの感染が確認された。


 2009年11月9日配信の時事通信からです。

 愛知県は11月9日、新型インフルエンザに感染した同県犬山市の生後7カ月の男児が死亡したと発表した。京都市と栃木県も同日、1歳8カ月の男児と80代の男性が死亡したと発表。厚生労働省によると、国内の新型インフルエンザ患者の死者数は疑い例も含めこれで55人となった。7カ月の男児はこれまでの最年少で、基礎疾患(持病)はなかった。直接の死因は不明という。
 愛知県によると、男児は8日夜にぐずり、9日早朝、呼吸をしていないことに家族が気付き病院に搬送したが、同日午前7時すぎ、死亡が確認された。その後、遺伝子検査(PCR)で新型と確定。男児の双子の兄も簡易検査でA型陽性だという。


 2009年11月11日配信の毎日新聞からです。

 広島市は11月10日、新型インフルエンザに感染していた市内の50代男性が重症肺炎で同日死亡したと発表した。県内で新型インフルエンザ患者の死亡が確認されたのは初めて。
 市保健医療課によると、男性は10月23日ごろ、風邪のような症状が出て30日に入院。簡易検査でインフルエンザA型陽性だったため、タミフルを処方された。今月2日に遺伝子検査(PCR検査)で新型インフルエンザ感染が確定した。男性に基礎疾患はなかったという。


 2009年11月10日配信の時事通信からです。

 北九州市は11月10日、新型インフルエンザに感染した同市八幡西区の3歳の女児が急性肺炎で死亡したと発表した。女児は慢性呼吸器疾患などの基礎疾患(持病)があり、市内の病院に入院中で、近くワクチンを接種することになっていた。厚生労働省によると、国内の新型インフルエンザ患者の死者は疑い例も含めこれで57人となった。
 福岡県では2日から妊婦や持病がある人へのワクチン接種を始めたが数が足りず、女児は次回供給分で接種する予定だったという。同市によると、女児は8日夜、呼吸状態が悪化し人工呼吸器を装着。9日に急性肺炎を発症し、簡易検査でA型陽性と診断されたため、タミフルを投与したが、同日夜死亡した。


 2009年11月12日配信の時事通信からです。

 東京都は11月12日、新型インフルエンザに感染した都内の男児(2)が死亡したと発表した。直接の死因は肺炎で、神経系の基礎疾患(持病)があった。
 都によると、男児は1日に40度の熱が出て、タミフルを処方されたが、3日になっても熱が下がらず、肺炎と診断され入院。その後、いったんは快方に向かったものの、8日に再び40度の熱が出るなど症状が悪化し、9日死亡した。


 2009年11月12日配信のカナロコ(神奈川新聞)からです。

 神奈川県は11月12日、多臓器不全などで死亡した箱根町の男性(75)が、新型インフルエンザに感染していたことが確認された発表した。基礎疾患(肺気腫、心不全)があったという。
 神奈川県によると、75歳の男性は今月6日に39度の発熱、9日には呼吸困難の症状があったが、受診していなかったという。10日午前に意識障害が生じたため、県内の医療機関に救急搬送された。入院しタミフルを処方されたが、11日午後10時半すぎに死亡が確認されたという。死亡原因は多臓器不全、心不全、呼吸不全と診断されたという。12日に県衛生研究所で遺伝子検査を行い、新型インフルエンザの感染が確認されたという。

 川崎市も11月12日、新型インフルエンザの感染が確認された同市の男性(91)が11日、肺炎のため市内の病院で死亡した、と発表した。男性は慢性閉塞性肺疾患などの基礎疾患があった。新型インフル感染者の死亡では、91歳は国内最高齢という。県内での新型インフルエンザ患者の死亡例は6、7例目で、全国では疑いも含めて61例目。
 川崎市健康安全室によると、91歳の男性は10日、自宅で昼食中に吐き、呼吸困難となるなどしたため市内の病院に入院。肺炎と診断され、インフルエンザの簡易検査はA型陽性だった。男性は11日に死亡が確認され、市衛生研究所によるPCR検査で、12日に新型インフルエンザに感染していたことが確認された。


         (この項 健人のパパ)

(11月13日追記)



 埼玉県の「感染症情報センター」が発表する「感染症発生動向調査 2009年第45週」によれば、11月2~8日(第45週)の県内のインフルエンザ定点医療機関を受診したインフルエンザ感染患者数が、平均36.46人と前週から2.93人減少したようです。10月に本格的な流行が始まって以降、増加が続いていましたが、初めて減少に転じました。2008~2009年シーズンと同様の経過を辿るとすれば、このまま減少して、あと2ヶ月ほどでほぼ終息を迎えることになります。しかし、医療機関の休日という要因がこのグラフに影響を与えるため、「この週は祝日(文化の日)があったことを加味すると、このまま減少傾向が続くと判断するのは早計。」という意見もあります。小学生低学年のインフルエンザの予防接種が感染者数の減少時に始まり、その感染予防効果が有効であるならば、インフルエンザ感染による死亡者の数も急速に減少することになるでしょう。

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 東京大学医科学研究所の「河岡義裕」教授は著書(集英社新書「インフルエンザ危機」、2005年刊)の中で次のように述べています。

 インフルエンザウイルスは、パンデミックを起こすような病原性の強いものでなくても、毎年世界各地で被害者をだしている。ここ20年間で言えば、1989年から1990年、1997年から1998年、そして、2004年から2005年の冬も145万人もの人がインフルエンザウイルスに感染した。この数字はインフルエンザにかかったことが確認された人の数であるため、実際の患者数はその10倍以上と推測される。
 インフルエンザ患者を年齢別に見ると、もっとも多いのは15歳までの子供たちだ。このうち3歳ぐらいまでの小児がインフルエンザに感染すると、インフルエンザ脳症を起こす危険性も高くなる。




 国立感染症研究所感染症情報センターの発表している10月27日までのデータを見てみると、急性脳症を起こした人たちは、124人。そのうち、1歳から14歳までは114人で、全体の92%を占めます。特に発症数の多いのが5歳から14歳まで。全体の57%にもなります。インフルエンザA(いわゆる「新型インフルエンザ」)の流行が小中学生を中心としていることの結果なのでしょう。



 厚生労働省によると、インフルエンザによる保育所、幼稚園、小・中・高校の休校、学年閉鎖、学級閉鎖が、10月18~24日の1週間(43週)で13,964校に上ったと発表しています。前週(42週)の約1.6倍、2008~2009年シーズンのピークだった1月25~31日(6週)の4,105校の3倍以上になっています。

 「インフルエンザ危機」から続けます。

  インフルエンザ脳症と言っても、インフルエンザウイルスが脳で増殖しているわけではない。強毒の鳥インフルエンザウイルスはニワトリに感染すると脳を含む全身で増えるが、人がかかるインフルエンザウイルスは肺で激的に増えたときに細胞からでるサイトカイン(細胞間の情報伝達に関わるタンパク質の総称)が脳に影響し、脳症を発症させるのである。人は一度インフルエンザウイルスに感染すれば、次に少し形の変わったインフルエンザウイルスが体内に入ってきても、免疫の記憶によってある程度ウイルスを攻撃することができる。しかし3歳以下では、初めてインフルエンザにかかる子供たちも少なくない。インフルエンザに対する免疫がないと、ウイルスが一気に増殖するため脳にまで影響が及び、死に至ることもある。脳症のさらなる問題は、いったん発症すると1~2日以内に症状が悪化してしまうことと、発症した子供たちの50%以上に後遺症が残ることだ。

 白血球が分泌し免疫系の調節に機能するインターロイキン (interleukin)、ウイルスの増殖阻止や細胞の増殖抑制で機能するインターフェロン(interferon)、細胞にアポトーシスを誘発する腫瘍壊死因子(TNF-α)やリンフォトキシン(TNF-β)など、細胞から分泌されるタンパク質で、特定の細胞に情報伝達をするものをサイトカイン (cytokine)と言います。

 サイトカインは免疫系による感染症への防御反応として産生されることもあり、それが過剰なレベルになる(サイトカイン・ストーム)と、多臓器不全などを引き起こします。インフルエンザウイルスは、例えば肺細胞に対して影響を及ぼすと、肺組織においてサイトカインが過剰に分泌され免疫系を刺激します。肺に移動した白血球は肺の細胞を破壊し、肺胞炎、肺胞浮腫が起こり、患者は呼吸困難に陥ることになります。このようなサイトカイン・ストームは、健康で免疫系が正常な若年の患者に起こりやすいと言われています。

 2009年11月1日配信の時事通信からです。

 盛岡市は11月1日、新型インフルエンザに感染した同市の2歳女児が死亡したと発表した。厚生労働省によると、新型インフルの死者で最年少。盛岡市保健所によると、女児は先月29日夜に発熱。呼吸が停止したため、同日、市内の病院に入院した。リレンザ投与などを受けたが、1日朝に死亡した。死因は多臓器不全で、基礎疾患はなかった。




 2008~2009年シーズンの季節性インフルエンザの流行は、2008年でのAH1亜型、AH3亜型、2009年に入ってからのB型により3種類のインフルエンザウイルスによる混合流行となっていました。主として集団発生の原因となっていたAH3亜型の流行が収束に向かうと思われたのですが、それに代わって、新型インフルエンザの流行が拡大してきているわけです。

 例えば、埼玉県衛生研究所の季節性インフルエンザウイルス分離状況を見ると、2008年11月~2009年5月までは、Aソ連型が52例、A香港型が50例、B型が28例でしたが、2009年6月以降では、Aソ連型 2例、A香港型 9例、B型 なしと激減します。代わりに6月(23週~26週、6月1日~28日)で8例、7月(27週~31週、7月27日~8月2日)で20例、8月(32週~35週、8月3日~30日)で95例、9月(36週~39週、8月31日~9月27日)」で51例、10月(40週~43週、9月28日~10月25日)で104例と新型インフルエンザが急増します。

 東京都の5歳の男児は10月2日に発熱します。自宅近くの病院で受診し、「風邪」と診断されます。翌3日午前中に体温が40℃まで上昇し、インフルエンザの簡易キットでA型陽性と判定されたためタミフルの処方を受けます。しかし、帰宅後に嘔吐や意識障害の症状が出たため午後4時すぎに救急搬送され、「インフルエンザ脳炎」を疑われ入院します。同日夜になって意識がなくなるなど症状は急激に悪化し、「多臓器不全」となります。血圧の低下や呼吸器不全で人工呼吸器を装着されていましたが、6日午後8時前にインフルエンザ脳炎で死亡します。重症化や死亡までの経過が早く、治療で他に何かできたという選択肢は少なかったのではないかと言われています。

 幼い子供を持つ親御さんには、いまの状況は心配で仕方がないでしょう。新型インフルエンザの感染を防ぐしか子供を守る手段はなく、感染をしてしまうと、その可能性は低いとはいえ、サイトカイン・ストームを引き起こしてしまいます。我が子も11歳です。このインフルエンザ脳症を多発させる年齢層に属しています。心配です。

 我が子は1歳からインフルエンザのワクチンの接種を毎年受けています。今年も季節性のインフルエンザワクチンの接種をすでに受けました。このことが新型インフルエンザの感染の予防にならなくとも、サイトカイン・ストームの予防の何かの足しになることを期待したいものです。

               (この項 健人のパパ)

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