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ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

8月14日

2010年08月14日 | Weblog


ジメジメ具合は、やはり梅雨の末期のような今日この頃、あの暑い夏を返せと空に向かって叫んでる人間は一体何人いるだろう、などというどうでもいいことを書きながら今日のネタを考えている。

旧盆ということで、帰省客、観光客もどっと入り込む当地であるが、きっと「更科」も大忙しであろう。大忙しはいいが、最近は体力的にもきつそうで、傍目にも大変そうだ。そこにきて客は客で、三色蕎麦とか手間がかかるメニューを頼みたがる。メニューにあるのだからしょうがないのだが、大変は大変である。

明日は明日で花火大会。人口の十倍ほどの観客が集合する。ヤフーの花火大会人気投票ではまだ一位なのだろうか。兎に角人出は凄い。音もうるさい。家からは、花火の頭が見える。

学生時代の友人が、登山の帰りに寄った。雨で中止になったそうで、早めに松本を発ってその足で寄ったわけだ。聞くと、2月に、近場の夏場だとハイキングコースとなるコースをまわったところ、仲間の一人が滑落して死亡したという。三人で行って、先頭がその遭難した彼の友人だったというこらしい。目の前で滑落したのを目撃したのだが、普通だともうやりたくないと思う、と思うが、彼の場合、また登山を復活した。まあ、人それぞれである。

無常が川を流れていく(写真はメコンに注ぐ支流のつもり)
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マイコアカネ

2010年08月13日 | 生き物 自然


このトンボ(マイコアカネ写真)も赤とんぼの一種だが、まだ若いので赤くなるのはこれから。同じアカネ類の8月3日のマユタテアカネとの違いは、よほど慣れないと判らない。私の場合、写真に撮ってじっくり模様を見比べてやっと判るといったレベルである。数から言うと、このマイコアカネは大分少なくなってきて、今ではそう出会えないトンボとなってしまった(ようだ)。確かに昔は普通にいた。比べないと判ら無いといったわりには、何故昔は普通にいたと言えるのか不思議に思った人もいるかも知れないが(本当にいるのか)、この(写真)段階では確かに判別するのは難しいのだが、マイコアカネは成熟すると特徴的なものが現われる。顔に、舞妓さんの白粉のような青白い部分が現われるのだ、それでマイコアカネらしいが、そういう個性的な赤とんぼは、確かに昔はよく見たので覚えていたのだ。一口に赤とんぼと言っても、実は何種類もの似た様な赤とんぼがいるというお話でした。
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カレーの作法

2010年08月12日 | Weblog


季節は秋というより、梅雨のような蒸し暑さ、これは戻り梅雨か。というわけで、再び愛車のロードレーサーでお出かけしようと思ったら雨にふられてユーターン。仕方ないのでほうれん草のカレー「パラクパニール」を食べに行く(この流れに何ら関連性はない)。いつもいる、やたら調子のいい日本人のお姉さん(おばさん)がおらず、現地系の人間が対応したのだが、こういうケースではよくある、細かいところを端折って注文してしまうといった事態が今回も出来。どういうことかというと、辛さはどうしますかと聞かれて、標準よりやや辛いくらいが良かったのだが、この標準という言葉は果たして理解されるだろうかと考えているうちに、向こうが番号を言ってきたのでじゃあそれと答えてしまったのだ。果たして出てきたものは、標準の辛さ抑えめのものだった。そして案の定、ちょっと物足りなかった。ついでに、ナンは、もちっを通り越してぐちゃっであった。醗酵オーバーか。ここに限らずだが、ナンもその時々によって状態は微妙に違うが、蕎麦を食べるわけでもないし、その辺の微妙なところは問題にすること事態が間違ってるような気もする。悠久のガンジス川のように、なすがままの自然体で臨むのが現地系カレーを食べる時の心構えであるべきなのだ。本当か?

写真はその悠久のガンジス川(のつもり)
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夜の蝶

2010年08月10日 | Weblog


昨日はコオロギも二重奏になっていた。いよいよ季節は秋である(まだ早いか)。そう言えばもう一つ気になる現象が。夜九時頃なのだが、庭でいつものようにビオトープ観察をしていると、蛾がパタパタと飛んできた。これは当たり前の光景だ。そして目の前の草の葉に止まった。それでどんな蛾かと思い見てみると(一応確認したくなる)蛾だと思ってたのは蝶だった。ヤマトシジミという、まあ一番と言ってもいいくらいの普通に多くいるシジミ蝶なのだが、夜飛ぶとは。生まれて初めてではないだろうか、夜飛んでいる蝶を目撃したのは。これが本当の「夜の蝶」であった。

ここのところ、ブライアン・イーノの「THURSDAY AFTERNOON」というアルバムをエンドレスでかけているが、一曲のみで60分ほどというふざけたアルバムなので、どこで終わって戻ったかというのが判然としない。まさにエンドレスなのだ。しかし、下手をするとヒーリング愛好者、或いは瞑想好きと思われる危険性があるところが玉に瑕である。
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鹿肉のテリーヌ

2010年08月09日 | 食べ物


昨日は、今年初めてのコオロギの鳴き声を聞いた。もう夏も終わりか、なんてこともないだろうが、去年の梅雨が空けたのかどうか分からないうちに秋になったことを思えば、今年はすでに去年の分以上に夏を味わったのではないか。

昨日、ドイツ土産の黒パンに合わせるのは何がいいかなどといろいろ考えたが、たまたまだが、お取り寄せで入手した「鹿肉のテリーヌ」というのがあったのでそれに合わせてみた。これがなかなかの相性で、テリーヌの鉄分を含んだ力強いあじと、酸味の濃い黒パンとはよくあった。流石にこういうものは、赤ワインが欲しくなる。ローヌ辺りがよさそうだ、なんてね。

それにしても「鹿肉のテリーヌ」、よく楽天辺りでやっているお取り寄せグルメとは一味違って、本当にしっかりしたテリーヌだった。これだったら店で食べるのと変わらないと思った。それに、間違いなく、ここらのフレンチを看板としている店のものより数段上である。或いはデパ地下で売っているどこそこの店のテリーヌよりも上だと思う。直接、東京の人気フレンチレストランから取り寄せたものだが、お値段はそれなりだが、十分それだけの価値はあった。お取り寄せは、大体がこんなものかと思うことが多いが(要するに期待以下)、これは久しぶりの期待を裏切らないものであった。
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アニメ 黒パン

2010年08月08日 | 食べ物


今日はやや涼しい。一昨日テレビで、アニメの「サマーウォーズ」というのをやっていたが、この映画それなりに評判であったので(大人から)一部見たのだが、何が良いのか全く分からなかった。宮崎アニメもそうだが、よく出来ているしそれなりに面白いとは思うが、良い映画と思ったことはない。昔はアニメも好きな時代があったように思うが、何だかそれも遠い記憶である。

スノッブなM氏が、ドイツ土産(M氏の弟の)の黒パンをお裾分けしてくれた。食べてみると、酸味が強く、流石に本場物は個性がはっきりしていると思わせた。トムドサヴォアがまだあるので合わせて食べると結構いける。この手のパンはそれほど好きではないが、本場物の、何とかシンケンなどのハム、ソーセージに合わせるとより一層美味しくなるのだろうか。酸味のきいたアスピックはいいかもしれない。それと同じく酸味が強いシェーブルは、トムドサヴォアなんかより合いそうな気もする。となると止めはザワークラウトか。と酸味つながりでいろいろ広がってくるが、それらを試すほどパンはない。取り敢えず、熟成待ちのシェーブル「セル.シュール.シェル」だけには合わせてみようか。
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ジャック.パランス

2010年08月07日 | 映画


更科の主人がアルドリッチ「攻撃」を返しに来た。やはり気に入ったようで、ジャック.パランスが良い、と言っていた。以前貸したジャ.ジャンクーの「青の稲妻」や「プラットホーム」と違って眠くなることもなかったろう。で次回は、同じアルドリッチの「キッスで殺せ」を貸すことになった。

ジャック.パランスと言えば、この前深夜のBSNHKで「ゴダールの軽蔑」をやっていて、「日本対オランダ」の合間に見ていたのだが(何をやってるんだか)、それにも出てきていたので驚いた。いろんな映画に出ている割には、主演作が「攻撃」とか地味めなものなので今ひとつ脚光を浴びていない印象があるが、いい役者であることは間違いない。で、その「ゴダールの軽蔑」だが、主演はブリジット・バルドー、あまり好きでもないがこの映画を見ていたら、エリカ様もこの路線を徹底すれば良いのでは、などとどうでもいいことを考えてしまった。他には、若かりしころの(当たり前だ63年作だから)ミシェル.ピッコリ。晩年オリヴェイラの「家路」や「夜顔」(これは未見)などで渋い演技をしている。その他にはフリッツ・ラングが監督役で出ていたりと、ある意味豪華な映画であった。
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蒲焼

2010年08月06日 | 生き物 自然


諏訪湖畔を歩いていると(自転車を押して)、なにやら「きりたんぽ」が草間に見える。今まで気がつかなかったが、これが噂の蒲の穂か。初めての遭遇。それにしても、昨日のコフキトンボにも言えることだが、注意していないとその存在すら認識できていないというのは、パーソナルには存在していないのと同じことである。ここでまた一つ世界が広がった、と肯定的に捉えるか、世の中知らないことだらけであると認識するかはその人の世界観に拠るところであるが、そんなことはどうでもいい、単純にその形に存在感があり面白かった、と捉えるのもまた自由である。と、どうでもいいことを考えたのは、人間は「考える蒲」であったからだ。

で、この蒲の穂、鰻の蒲焼きの蒲の語源となったものなのだが、どう見ても蒲焼きとは違うのだが(因みに今年はまだ蒲焼きは食べてない)、昔は蒲焼は鰻を丸のまま突き刺して焼いたというのをあるところから聞いていたので、これを見た瞬間なるほどと合点合点。色もここまで綺麗にチョコレート色かと見るからに美味そうである。しかも今回の写真、何か幻想的な雰囲気もありライオンでも寝てないかと、ルソーを思い出した。恐るべき蒲の穂達であった。
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コフキトンボ

2010年08月05日 | 生き物 自然


今年初めてか、久しぶりに愛車のロードレーサー(一時はツール・ド・フランスを目指していた、というのは勿論嘘)に空気を入れ、川沿いの土手や旧道沿いのアップダウンを走ったらその喉の乾くこと。真夏の日差しは強烈だ。飲んだものを並べると、アクエリアス(1L)、キリンFREE2缶、Volbic(500cc)。それにしてもよく飲んだものだし飲めるものである。お陰で食欲もなくなった。

多分、ずっと走ってたほうが楽だったと思うが、途中水辺は観察がてら自転車を押して歩いていたので、それが効いたのだと思う。水辺は反射光もあるので、日射の強度が増す。その過去何度も走っている土手であるが、改めて歩いて観察すると、今まで気づかなかったことに気付かされる。去年辺りからトンボ視点が強まってるので当然トンボ中心になるのだが、今回ある川にいたトンボは、去年までだったらどこにでもいる「シオカラトンボ」で済ませたものである。それは「コフキトンボ」(写真)というものであるが、少年時代にもいたものが今になってやっと認識されるわけだから、考えようによっては今までこの「コフキトンボ」は存在してなかったというのに等しい。まあコフキトンボにとっては、人間が勝手につけた名前で当人にとっては名前があろうがなかろうが存在していたわけだから、どうでもいいことであるが。

そんな「コフキトンボ」、「シオカラトンボ」とどこが違うかと言われそうだが、まず塩の吹き具合が違う。その差は微妙な色と模様の違いとなって現れる。それと姿。コフキトンボの方が猫背である。止まり方もコフキトンボは摘んだような止まり方をする。これが慣れてくると一見しただけで判るから、あら不思議。しかし、数は多かったが敏感で、一メートル以内には接近できなかった。オオシオカラトンボなどは、人の頭にも止まりたがるが、同じような外見でどうしてこうも差が出来るのか、こんなところも、数が減る増えるに関係してくるのかも知れない・


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8月3日

2010年08月03日 | Weblog


夜ビオトープを覗くと、羽化棒(ヤゴの羽化用に立てた棒)の先端に、一頭の「マユタテアカネ」(赤とんぼの一種)が止まっていた。ここをベッド替わりに一晩過ごすつもりなのだ。この前初めて発見したものと同じ個体だろうか。取り敢えず、「マユタテアカネ」が好む環境になってきたことは間違いないようだ(写真)。

昨日BSで放映したはずの「勝手にしやがれ」、見ようと思っていたがその時間になったらすっかり忘れていた。韓国対アルゼンチンなんて見てる場合ではなかった。

1週間以上前に買ったシェーブル「セル.シュール.シェル」はまだ食べごろではなかった。上手く熟成すればいいのだが、下手をすると単に腐ってしまうから気を付けなくては。

暑いのにも関わらず、何だか風っぽいような感じも(年中であるが)。喉がかすれるのは蚊取り線香のせいか。気温の変化に対応できない柔な体を呪う。
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ラタトゥイユ

2010年08月02日 | 食べ物


アルドリッチの「攻撃」は、やはり異色の戦争物語であった。主演である、「シェーン」の敵役或いは「バグダッドカフェ」の相手役の「ジャック.パランス」の鬼気迫る姿は、暫く脳裏から離れそうにない。戦場が舞台であるが戦闘シーンは多くないし、内容は軍隊内部の実態を暴くといったものだし、よくこんな映画を作ったものである。B級映画だからこそ出来たとも言えるが、なかなか歯ごたえのある作品であった。早速「更科」の主人に貸した。

この時期、何度か食べたくなるのが「ラタトゥイユ」。キウリなどがたくさんあると、一度に消費するにはどうするかという発想からまず始まるのだが、食欲がイマイチの時にも冷たいラタトゥイユはありがたいし、正に旬の味と言えるのではないか。プロヴァンスの食卓、と言いたいところだが、周りの環境があまりに違いさすがにそこまでは図々しくなれない。

本来それぞれの食材も地物でいきたいところだが(にんにくも畑のもの)、赤ピーマンはさすがにスーパーで買ってきた。彩りを考えるとやはりこれはあったほうがいい。茄子も、味だけで考えるとあった方が美味いと思うが、崩れて汚くなるのが玉に瑕。今回は、珍しく見かけを優先して使わなかった。ただ、赤ピーマンの甘さがあるので味的に物足りないということは一切ない。味付けはオリーブオイルと塩のみ、後は黒胡椒をツブのままいれるだけだが、伝統料理というのは伝統になるだけの力があることを改めて認識するラタトゥイユであった。今回は、何種類かのオリーブの実のプロバンス漬けというのがあったのでそれも冷えたところに加えた。プロヴァンスの風が一段と増した、なんてね。
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オニヤンマとコオニヤンマ

2010年08月01日 | Weblog


この時期になると、小さい子供を連れた観光客と思しき家族連れが多くなる。どこの話かというと昨日「更科」で目撃した光景である。久しぶりの蕎麦である。本当は夏場の蕎麦は、一年で一番良くないときであるが(7、8、9月)、それでもたまには食べたくなる。これから観光地では、間違いなく、情報を仕入れた人々が炎天下で行列を作り、二時間待ちなどということを平気でやるが、あれは愚の骨頂である。が、人気店に並ぶことに拠る満足感、味ではなく情報を消費した満足感、そしてそういう店で何時間並んで食べたという他人に対して伝えられる経験をした満足感、結構当人たちは納得して帰るのですべては余計なお世話である。それにしても、皆さん並ぶのがお好きなようで。折角来たのだからという危機感にも似た意識がそうされるのかもしれない。

で、主人とトンボの話をしたのだが、予想通り29日の写真を「オニヤンマ」だと思っていた。あれは「コオニヤンマ」である。よく見ると、胸部の縞模様が違うのである。それと頭と胸部の大きさのバランス、「コオニヤンマ」の方が頭が小さい。もう一つは止まり方。「オニヤンマ」はぶら下がりだが「コオニヤンマ」は抱え込む感じである。と以上主人相手に説明したのだが、実は当人もこのことを知ったのはほんの二年前の話である(まるで昔から知ってるが如く得意になって解説したが)。それまでは、ストライプの大きめのトンボは全てオニヤンマであった。ということで今日はその「オニヤンマ」の画像を。興味のある人は違いを確認してみてください(あまりいるとも思えないが)。
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