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ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

屋久島

2008年11月23日 | Weblog


屋久島を取り上げた番組を見たが、噂には聞いていた
が、本当に観光客が多い。
来る人たちの目的は、「縄文杉」を見に行くというも
のなので、当然、皆トレッキング仕様である。
あれだけ多くの人が歩いたら、そりゃあ地面も杉その
ものも痛むわ、というのが正直な感想である。
単純に、人数制限したほうがいいんじゃないか、と思っ
たりもする。
少なくとも、し尿処理のための費用を賄うためにも、入
山料は取るべきではないか(あるのかもしれないが)
と思うが、観光業との絡みがあって決められないのか
もしれない。
主な収入源が観光であるとすると、結局どこでも問題
になる「保護か収入か」の現実を抱えることになるの
だろう。

あと、明らかに違うと思った風景は、普通山歩きだと
圧倒的に中高年なのだが、屋久島はいやに若い男女が
多いのだ。
女性の割合が多いのは、どこでも一緒だが。
その理由として考えられるのは、「縄文杉」に対して
持つイメージの違いなのだと思う。
神秘的なあるイメージを抱いているのは、多分間違い
ない。
そして、かなり強力な「パワースポット」として捉え
ているのではないか。
これは、女性雑誌などの影響だと思う。
「太古のパワーを秘めた縄文杉に癒される」なんて特
集があったのではないかと推測される。
ヒーリングスポットとしての屋久島、その中のパワー
スポット縄文杉、大体こんなところではないだろうか。

元々、古い大木は、自然の中にあるとそれなりの存在
感がある。
だから、御神木というものにもなるわけだ。
周りの環境が、ひんやりするようなちょっと鬱蒼とし
たしかもくぼ地であったりすると、感覚的にも何かを
感じやすい。
しかし、そういうところは、そこらの山の中にいくら
も存在している。
特別、珍しいものではないが、古い大木が、生命の象
徴自然の象徴として存在感を発揮するのは事実である。
それが、縄文時代からとなると、確かにパワーアップ
という趣となる。
要するに、有り難味が増すのだ。
で、屋久島詣でということになるわけである。

そこにヒーリング、パワースポットなどと流行の言葉
が付くと、アニミズム的な信仰とは別物と捉え(本質
的には同じなのだが)、バリにでも行くのりで行きた
くなるのではないか。
これも、ある種のブランド化だろう。
本当は、そこらの山の中に「マイ御神木」を発見でき
るのだが、そこはやはり、客観的な物語が必要なのだ
ろう。
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