ricetta della vita

イタリア料理教室「COMODO」主宰 
美味しい話をしましょう

料理教室 1月・2月の予定

2014-12-31 | 料理教室
1月後半より、レッスンを開始いたします。
お豆のパスタ、赤タマネギのトルタサラータ、ビアンコマンジャーレ の3品を予定しております。
日程は後日お知らせいたします。


2014年も、さまざまな場所でいろいろな方たちとの出会いがありました。
お世話になりましたみなさまへ感謝申し上げますとともに、どちらさまもよいお年をお迎えくださいませ。


※写真はクリックで大きく表示されます

築地は世界遺産?

2014-12-30 | 日記・エッセイ・コラム
maritoが言っている。「築地は世界遺産だ!」と。

朝ごはんを築地で食べるという贅沢きわまりない習慣を、かつて身につけてしまったmarito(以前、かなり頻繁に行っていたことがあった)が、この時期特におすすめするのがこのカキフライと牡蠣飯。カキフライ1個の中には3粒ほどのカキがまとめて揚げてある。さすが築地だ、チマチマしてないぞ!そして牡蠣飯は上に3粒。だけじゃなくご飯の中にもこれでもかと隠れている。隠れているつもりが、頭もお尻も出てますよ~♫ ほのかに山椒が香り、上に乗った柚子が全体を引き締める。完食するとはっきり言って食べ過ぎだ。だって、市場内のご飯処というのはそこで働く人たちが利用するところ。肉体労働の後の言わば彼らの夕食にあたるもの。日本女子平均サイズの私の体と胃袋では到底太刀打ちできない相手というもの!で、どうなるかというと完食後はもう、その日1日何もお腹に入らないほど。けれど、翌日にはまた食べたくなるというもはや中毒!我々にとってはやっぱり世界遺産だね(^0^)




おまけの掲示板。結構大事なもの落としてますね(笑)





外国人と和食を食べよう その2

2014-12-28 | 和食
ちょっと時間があいてしまいましたが、11月に”外国人との和食交流”を行いました。今回はアメリカからひとりでやってきたお客さま。今回は、手強い相手だった(笑)

事前に何度かメールのやりとりはしていて、とても礼儀正しい印象を受けていた。日本好きらしく何度も訪れているし、独学で日本語も勉強しているとのことで、少しは日本語でのコミュニケーションもできそう。日本に到着して翌日に我が家に来ることになっていたので、無事に到着しましたメールとか、自分の服装お知らせメールまで届き、本当にアメリカ人なのか疑いを持つほどの丁寧さ!駅まで迎えに行ったところ、案の定、時間より早く行った私よりもさらに早く着いていた!

手強いっというのは、、、まあ、いわゆるオタク君だったのですよ(笑)チラっと見せてくれた自室の写真は、フィギュアで埋まってました。かろうじてガンダムくらいはわかったけれど、ほとんどは判別つかずです!maritoもアメリカには仕事で何度も行っているものの、接点というか共通話題を見つけるのに苦労したなあ(^^; 手土産も持ってきてくれていい人ではあったけれどね。


私たちと会う前に、横浜のラーメン博物館へ行ってきたと言っていた。そこで食べ過ぎたのかわからないが、ほとんど料理に手をつけてもらえず残念!喋りに忙しく、さらに初めての経験で緊張もしていたらしいが…!

一応、写真を載せておくと、こんな感じでした。

茶碗蒸し、野菜あんの油揚げ煮、なすの揚げ和風マリネ、かぼちゃサラダ、わかめの生姜炒め、新生姜など、シーフードNGのリクエストにより、野菜中心メニュー。


というわけで、次回からはまずはお茶碗を手に持って、おかずと一緒にご飯を食べるんだよというところから説明しようと強く強く思ったわけです!そして、”食”に興味ありそうな人と出会いたいのはもちろんのこと(^^)







教会のクリスマス

2014-12-22 | 日記・エッセイ・コラム
今日は築地へ行き、鮨を食べ、お茶や海苔、するめなど、買い出ししてきました。ていうか単なる年末の買い出しですね。世の中クリスマスですが、ウチのお教室のクリスマス会はもう終わっているのでなんとなくもう年末年越しモードな我が家です!

さて、前回の記事で子どもの頃ピアノを習っていたと書きましたが、通っていたピアノ教室というのは、場所が教会でした。練習室が空いていないときは、本棚にあるキリスト教関係の本をよく読んでましたね。クリスチャンではありませんが、幼稚園もキリスト教系(食事の前にはお祈りしてました)。だから、大学生になるまで”イエスさま”と「さま」を付けないでは口に出せなかったです!なんとなく居心地悪いみたいな感じで!

教会の門を入ってすぐにある小さなもみの木(もしくはそれっぽい木だったかな)に飾り付けがされる頃になると、そろそろクリスマスだなあと思ったものです。

クリスマス会も毎年ありました。同じ教室に通う子供たちと一緒に賛美歌を歌い、神父さまのお話を聴き、少しのお菓子をいただくという、とてもシンプルなものでした。おとなしい子として通していた私(!)は、周りの子たちと少し言葉を交わすくらい(学区が違う場所だったので、猫かぶってたなあ!)だったけどとてもいい思い出です。華やかでもにぎやかでもない、キリストの誕生を祝うちゃんとした儀式(ちょっと言い過ぎか!)だったと、今にして思います。よく、海外のクリスマスはどんな感じだろう?などと言いますが、あくまで宗教的行事ですから!商業的要素の強いお祭り騒ぎのような日本のクリスマスが当たり前と思っちゃいけません!本来のクリスマス行事というのはああいうものですよね。LEDをふんだんに使ったライトアップもいいけれど!

さて、みなさんはどんなクリスマスを過ごされるでしょうか?

Buon natale!


無邪気と意地悪と須賀敦子さん

2014-12-20 | 日記・エッセイ・コラム
子どもの頃、ピアノを習っていた。「無邪気」という曲を弾いていたときのこと、母がとても気に入っていて「あの曲いいね。なんだっけ名前は…あ、そうそう、意地悪っていう曲」と!母よ、何度それを否定したことか!彼女の中では“無邪気”と“意地悪”という言葉は同義語なんでしょうか?きっと今でもそう思っているにちがいない!

ピアノにはあまり熱心には取り組んでいなかった(ことのほか基礎練習が大嫌いで、、、ただ指を動かすだけの練習というのががねえ、必要なのはわかってたんだけどホント身につきませんでした!)が、曲に名前がついているときはわりとまじめにやってました。例えば、バイエル(今は呼び方違うかな?)の中に「貴婦人の乗馬」という曲があって、これは大好きだった。最初は遠くからかすかにリズムを刻みながら馬が軽やかに駆けてきて、近づいてくるとよりテンポがはっきりして快活になり、途中で転調してどこか物憂げでさびしそうな表情が見える、そんな曲です。クラッシックはやはり基本がヨーロッパですから、小学生が弾けちゃうレベルの曲であってもこんなたいそうなタイトルがついていて、あろうはずもない乗馬の経験や、周りにいるはずもない貴婦人のすを想像して弾いていたのかなと思ったりもします。

ところで、音楽に限らず、誰かの何かを理解するには、ある程度のところまでは想像することで近づくことができるだろう。しかし、その先は自分の中に培った経験や知識がないと、その想像とうまく結びつけることができない。正しく解釈することができない。例えば、イタリア好きならば当然読むべき(といわれている)須賀敦子さんですが、私は著書を数冊持っているのみです。そして、少し苦手でもある。なぜだろう?それは、読むための、読んで理解するためのものが足りていないからだ。イタリアの歴史、ヨーロッパ史、文化的背景など彼女の著書には恐ろしいほどのベースとなる情報が入っていて、とてもさらっとなんて読めるものではない。それでいてとても濃密なイタリアがぎゅーっと詰まっているので、彼女の著書を読むための準備運動はしっかりやらないといけない思っている。発信されている情報に対して受け手側がありきたりのわずかな知識しかなくて、字面だけを追って読んだなどと言うのは著者に対して失礼というものだ。

冒頭の、自分では「無邪気」を弾いているはずが、「意地悪」と聴こえてしまうのは、単なる私のピアノがひねくれて暴力的だったからに違いない。どおりであまり上達しなかったはずだ