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No896『ヤング≒アダルト』~あまりに痛々しく、救いようがないのだけれど…~

主人公は37歳の自信過剰な美人女性。
冒頭、コーラをペットボトルからがぶ飲みしたり
ベランダには、
犬のえさの市販のポリ容器が空になったまま幾つも放りっぱなし。
がさつで、生活が荒れている感じが
言葉なく、淡々と描かれる。

既に他の女性と結婚して子どもができたばかりの
十代の頃の恋人を奪い返そうと
勇んで故郷に帰るが、
なんとも切ないし、痛々しい。
シャーリーズ・セロンだから
みていられるけれど
まわりからすれば、ただの人騒がせな存在。

しかし、終わってみて、
帰り道、駅から歩いているうちになんだか涙が出てきた。
無性に悲しくなった。
スクリーンの向こう、セロンの中に
自分を感じていた。

他人に当り散らしたとき、
一番傷つけているのは自分自身の心。
セロンが感情的に爆発して、
まわり中に怒りをぶつまくって、その場を去る。
そのあと、気のおけない相手を前に、
泣きそうな顔で立つ姿がなんともたまらない。
自分がみつからない、寂しさでいたたまれない感じだ。

誰しも、自分の立場や仕事に疲れを感じることはある。
たとえば、今の自分の置かれた状況、
父として、母として、妻として、夫として、上司として、
店員として、といった、社会的な役目とか責任とかから
逃げてしまいたい、
ただの一個の自由な身になりたいと
思うことがあるような気がする。
そんな感情の回路を微妙に刺激する作品だと思った。

自分の感情に振り回されて
自分自身に疲れてしまっても、
人間やめるわけにはいかない。
明日はいつもの顔でやって来るし、終わることのない日常が続いていく。

映画の方はといえば、
セロンが、ちょっぴり何かを取り戻し、自分自身と向き合えるようになり、
明るい兆しをほのかに感じさせて終わる。
とはいえ、セロンが大きく変化したり、成長したわけではない。
具体的な展望もみえないし、何かを示唆するわけでもなく、
映画の終わり方は、いろんな意味で、非常にあっさりしている。

あまりにどうしようもない性格の主人公が、大きく変わることもなく、
そのままで終わるところが、この作品の特徴であり、ある意味での“魅力”。

セロンが演じた主人公のキャラや行動とか、
もう少し描きようがあったのではないか、と思わないでもないが
そう感じるところが、この脚本の独特な“魅力”なのだろう。
人間、こんなもの・・救いようがないようにみえて、
でも、なんとかじたばたやってるうちに、
きっと気も軽くなって、何かがみえてくる…そんな気がする。

今日も疲れがたまっていて
中盤、少し眠ってしまったものの、終盤はしっかり復帰。
セロンが、ぶち切れるシーンは痛々しくてみていられなかった。

さて、今日2月29日は、4年に一度のうるう日で
マキノ雅弘監督のお誕生日です。
4年に1回しか年をとらないとご本人は言っておられたとか。
天国のマキノ監督、お誕生日おめでとうございます!

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