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無私ということ~山積みの新聞から6~

芥川さんの「時の余白に」のコラムからのご紹介を続けましょう。
〇「エピクテートスの自由」(2018.1.27)

エピクテートスというのは、紀元1~2世紀のローマの哲人だそうで、
自分の「力の内」と「力の外」という言い方が新鮮で、
人生への処し方につながるなあと、印象に残ったエッセイです。

目下、オリンピック報道が白熱していますが、
エッセイでは、冒頭、カヌー選手の薬物混入事件について触れ、
現代は、「勝つことの価値が異常に肥大化した一面」があり、
「『勝った』事実が過剰なまでの社会的意味を持ってしまっている」と指摘します。

「勝利、称号、肩書、知名度つまり形式や結果ばかりがもてはやされて
内容内実が問われない社会の空気」とも書いています。

芥川さんは、作家の故中野孝次さんの『「閑」のある生き方』という本から引用して、

「人の価値を決めるのは、
社会的地位とか、権力、財力、体力とか、人気とか、有名とか、
そんな外にある価値ではない。
エピクテートスが見るのは、
その人が自分の力の下にあることにおいて
いかに立派に生きているかという一事なのだ」

さらに引用を続け、自分の考えを述べます。

「『自分の力の内にあって自由になるものと、
自分の力の内になくて自由にならぬものを峻別せよ』
という忠告に強く共感します。

自分の考え、行動、意欲、拒否などは
自分の意志通りにできる。
自分の力の内にあって自由になるものです。

しかし身体、所有物、評判、社会的地位などは
自分の力の内にはない。
思い通りにはならないのです。

両者を分けよ、分ける訓練をせよ、とエピ氏は言う。
分けてどうするか。
自分の力の内にあるものに最善を尽くせ、と言う。
では、自分の自由にならぬものはどうするのか。
それが起こるままに認め、受け入れよ、と言う。
当方流に訳せば『放っておけ』ということです」

オリンピックの競技結果もまた、時の運が左右するもので、
「力の外」の要素がゼロではないと思います。
それでも、想像を超えた重圧の中で、メダルをとったのはすばらしいことですし、
とれなかった選手も、またすごいことだと称えたいと思います。

〇「無私の心は生きている」(2013.1.26)

前回とりあげた「放浪」「孤高」「反骨」のほか、
芥川さんのエッセイで、もう一つテーマとしてあげられるのが、
「無私」です。

『無私の日本人』(磯田道史著)の中で、
「無私」ぶりを語る驚異の史実を掘り起こした物語の一つとして、
大田垣蓮月という江戸時代の尼僧のことがとりあげられているそうです。

「技芸百般に秀で、歌人、陶芸家として名を馳せるも、
自作の贋物が出回ると贋作者のために喜び、
飢饉の時は有り金を差し出し、
自分用に作った棺桶も人にやってしまい、
与え続けて無欲の生を貫」き、
「心に自分と他人の差別をなくす修行を生涯続け」た美貌の尼僧だとか。

「他人のことを我がこととして生きた」というのが「無私」だといいます。

「磯田さんは、いま東アジアを席捲する
『自他を峻別し、他人と競争する』社会経済のあり方に
根源的な疑問を呈し、この国にはもっと違った深い哲学がある、
普通の江戸人にその哲学が宿っていた、と書きます」

「磯田さんの著書で、蓮月は、なぜそのように優しいのかと問われ
『別に優しくしているつもりはない……
自分と他人のちがいなどありはせぬ……
心安く暮らすには、
物にこだわらぬのが一番』と語っています」

引用が長くなりましたが、
この「物」を名誉や評価と幅広くとらえると、
エピクテートスの話につながってきますね。

エッセイは、大西和男さんという、
決して表には出ず、自らを語らず、ひたすら「他人の仕事の成就」のために奔走し、
さりげなく理由をつけては人にうまいものを食わせ、自らも楽しむ、
というのが流儀で、
フリーの立場で詩集や全集ものの編集、
書誌年譜の作成、校正を手がけた、
詩壇の生き字引のような存在だった方のことを紹介し、
次のとおり締めています。

「坦々として、こだわらず、心安く暮らして、
周囲とともに幸福だった。
この寛容の国の歴史的心性に連なるものが、
たしかに彼のなかにあったのです」

〇「切実な言葉を紡いだひと」(2017.11.25)
芥川さんは、精神科医の神谷美恵子さんについても紹介しています。
ハンセン病の医療に携わった「無私」の人として、
紹介されてきた人です。

神谷さんは、
「なぜ私たちでなくてあなたが?
あなたは代って下さったのだ」
という詩を医学生時代に書いています。

二十歳の時に同い年の「恋人」※を結核で失い、
「病める人をみとりたかった思いは
おのずから私の歩みをみちびき」
と詩草稿に書かれているそうです。

※『会うことは目で愛し合うこと、会わずにいることは魂で愛し合うこと。—神谷美恵子との日々』(出版:港の人)という本が、この神谷さんに恋(プラトニック・ラブ)をしていた野村一彦さんの日記を中心にまとめられています

〇神谷美恵子さんのことを思い出すと、自然、心に浮かぶのが、
最近亡くなられた石牟礼道子さんです。

若松英輔という批評家が2018年2月11日の読売新聞に
「石牟礼道子さんを悼む」と題して書かれた文章がありました。

石牟礼さんの文章を引用されていて、
とても心に残ったので、最後にご紹介します。

「石牟礼さんにとって書くとは、
自らの思いを表現する以前に、
語ることを奪われた者たちの言葉をわが身に宿し、
世に送り出すことだった。
坂本きよ子さんという水俣病で亡くなった若い女性がいる。

石牟礼さんは彼女を知らない。
その母親の言葉として、
石牟礼さんは次のように書いている。

『何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、
たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。
それであなたにお願いですが、
文(ふみ)ば、チッソの方々に、書いてくださいませんか。
いや、世間の方々に。
桜の時期に、花びらば一枚、
きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。
花の供養に
(「花の文をーー寄る辺なき魂の祈り」)』

水俣病のため、ほとんど動けなくなった体でこの女性は、
何かに導かれるように花びらを拾おうとして、
這うように庭に向かい、
縁側から転げ落ちる。
その姿を母が見つけたのだった。

もうすぐ桜の花が咲き始める。
地に落ちた花びらを手にきよ子さん、そして石牟礼さんへの哀悼の意を
表現することもできるのだろう」

 読んでいて、情景が思い浮かび、
花びらを拾う、というただそれだけの行為が、
深く、尊く思え、胸が熱くなりました。

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