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画家もまた語る人。~山積みの新聞から5~

以前、稿を別にして書くと言っていた、
読売新聞の美術記者、芥川喜好(きよし)さんの記事をご紹介します。

美術について、どう言葉で表現するか何年も格闘されてきた方だけあって、
言葉のセンスもすばらしいです。

大勢の人でごった返す人気の展覧会よりも、
世に知られざる周縁の画家にスポットをあて紹介していくのが、
根っから好きというふうで、自然体の文章に魅かれます。

取り上げられるのは、
「おさまりきらぬ「魂」ゆえにはみ出した」放浪の画家が中心です。

私は、つげ義春の漫画「無能の人」で、
放浪の俳人井上井月(せいげつ)を知って、
あこがれて、ずいぶん前ですが、ひとりで伊那を旅しましたので、
こういう画家さんには、とても興味がわきます。

〇「ああホーローの秋が来た」2015.9.26

タイトルは、
「あゝ、秋が来た
眼に琺瑯(ほうろう)の涙沁(し)む。」
という中原中也の詩の一節からきています。
(琺瑯は、ホーロー鍋のほうろうです)

「放浪の画家ピロスマニ」(1969年)という、
グルジアの画家ニコ・ピロスマニの映画について、
ああ、こんなふうに書けたらいいなあと思うような文学的表現です。

「映画が始まってすぐに気づくのは、これはピロスマニの絵の空間だということです。
構図は正面性が強く、アップは一切なし。
音響効果を含む説明的要素も全くなし。
ただ全編に静寂が漂い、
その底に人の声が響きます。
虫の音が地を這い、靴の音、水の音が耳をうちます。
そこを、絵を抱え長身を折り曲げるように
主人公が横切っていきます」

芥川さんは、「放浪」には、不遇、敗残のイメージがつきまとうけれど、
屈せず、頑固で意固地で誇り高い生があったと指摘します。

思わず、そういう放浪作家を受け入れる、寛大な土地に思いを馳せたくなります。
井月は無類の酒好きで、伊那の村人たちの宴に呼ばれては、
ただで酒をふるまわれ、御馳走になり、
お礼に句を詠んだりしていたそうです。

〇「うたげの人マドリに逝く」2016.12.24

宴のつながりで思い出したのが、この記事です。

「日本の美術を底のところで面白くしてきた
非定住派(すなわち放浪)画家の正系につらなる傑物」として、
芥川さんは、スペイン在住画家堀越千秋さんを紹介しています。

堀越さんもまた、画家であると同時に、詩人のような
すてきな表現で、芸術の世界を伝えてくれます。

芥川さんは、堀越さんが小学一年生の時の記憶を語ってもらったとして、
次のようなエピソードを披露し、
また、温泉での話も紹介しています。

「『たった一人――霧が晴れたように、ぼくの中にひとつの音楽が流れ出した。
それは今も鳴っている』と。
宇宙の中にただ独り。それを全身で感じていたから、誰とでも隔てなく接し、
いつも人なつこく豪快に笑っていたのです。

彼とはいろいろな温泉を巡りました。
秋田の玉川温泉につかっていた時、
真っ赤になった自分の胸を指して、
『絵ってのはね、ここで描くもんです。
世界はそこにある。
おれはここにいる。
そのぶつかった印が紙の上に出る。
そこに現れるものに自分で驚き、心を躍らすんです』
と語ったせりふを忘れません」

堀越さんは、帰国するたび、各地で個展を開き、ファンと交わり、
フラメンコの唄で喝采を浴びたそうです。

「行く先々に人は集まった。
すべては祭りであり、うたげだった。
あの蕪村も玉堂も、
移動する先々が知己の集う文芸や書画や音楽の場となった。
人の世の濃い時間が流れていた」

「人の世の濃い時間」というのはいいですね。
まさに宴の時間です。
堀越さんは、2016年10月31日、67歳で、マドリードで生涯を閉じたそうです。

「早死にというより、エネルギーを惜しみなく使って、使い切ったということ。
寿命を目いっぱいに生きた。
我々の前では信じ難いほどにこやかだった。
彼の美意識です、この潔さは」

と古い友人の詩人の言葉を引用して、このエッセイは終わっています。
ネットで写真を見たら、朗らかなとてもあたたかい笑顔の人でした。

〇「又兵衛に投げとばされる」(2017.1.28)

この堀越さんが、以前、雪舟の大展覧会が京都と東京で開かれた時、
スペインから駆け付け、

「雪舟の絵に『投げとばされた』」

と語ったそうです。絵に投げとばされるなんて、すごい表現です。

「雪舟の絵にらせんを感じる、雪舟の絵は破れている、と堀越さんは言いました。
それは人間的に言えば静かな怒りのような圧力だ、と。」

「描くとは空間にみちるエネルギーを体でつかみとって
平面状に放つことだという、ある明快な絵画観が伝わってきます。
雪舟はむろん。堀越千秋もまた。」


(堀越千秋さんが、こどもの雑誌に描いた絵)

私は、絵は苦手ですが、
それでも、学生時代、絵が好きな子が身近にいて、
その影響で、スケッチブックを持って、散歩したことはあります。
一枚の絵に、自分の世界ができるというのは
へたくそなりに、とても楽しかった覚えがあります。
全然長続きはしませんでしたが(笑)。

こういうすてきな宴ができる人っていいなあと
あこがれます。

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