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No683『息もできない』~見つめること、耐えること~

NHKラジオ第2放送を流し聞きしていて、
先日、講演の録音放送で、
かつて、人間は、家族に見守られ、
自然とのつながりを感じながら
死へと旅立っていた。
きっとそのときには、
命の連鎖、受け継がれていくものみたいなことを感じ
完全なる孤独ではなかったのではないか。

でも、現代では、
そういうつながりは失われ、
死は、人間という一個の個体の消滅としてしか
感じ取れなくなっている。
だから、ますます死に対して恐怖や不安が増大しているのではないか。

ということを、宗教学者か誰かが語っていた。

たとえば、美しい風景や土地にめぐり合ったとき、
ここでなら死んでもいいと思えることがある。
それは、その場の力を感じ取っているからで、
この美しい場所なら、
自分の消え行く命を受け取ってもらえる何かがある
自分という存在を消滅させ、溶け込ませられる何かがある
と感じているのだと思う。

水墨画を眺めていると、死んでいく感覚
絵の中に溶け込んでいきそうな感覚に襲われる。
そんな宇宙的な感じ。

と、つらつらと書き綴ってしまったのも、
シネマート心斎橋での1週間限定上映で、
『息もできない』を再見して
サンフンが、殴られ、倒れて、意識を失った場所で、
そのまま時が過ぎ、
夕焼けが空を染め、鳥が鳴いているのを、
美しくとらえたロングショットが忘れられないから。
悲しい場面だけれど、きれいな空だった。
消え行く意識の中で
サンフンは一体、何を考えたのだろう。

前回、ご紹介した時には
やたら暴力に目がいってしまったが
前回の感想文

今回、
家族の暴力に、ぐっとにらんで、耐えるヨニの表情に
釘付けになった。
父親や弟が怒鳴り、威嚇する姿を目前に、
ぐっと踏ん張るヨニ。

あるいは、ラスト、
弟がやくざと一緒に屋台を襲い、壊しているのを
見つめるヨニの表情。

そもそも、冒頭、チンピラのサンフンに、すれちがいざま
唾を吐き捨てられ、
それがヨニの高校の制服のネクタイにかかり、
声をかけ、にらみつけるところから
二人の出会いが始まる。

サンフンが心の底に押し隠してきた思いの重さに
つぶれそうになり、荒れ狂っていたとき
ヨニが彼を救う。

二人とも小さい頃から
親の暴力をじっと見つめ、耐えながら大きくなった。
…見つめること、耐えること、にらみつけること。

視線に自然と思いがこもる。
二人の奥底にある本当の思いが、
迫力に満ちた罵声とは裏腹に
せつなすぎて、押しつぶされそうになる…。

サンフンを演じ、監督も務めるヤン・イクチュンはもちろんのこと
ヨニ役のキム・コッピがすばらしい。

ところで
3月に大阪で開催される
大阪アジアン映画祭2011で
『マジック&ロス』(マレーシアのリム・カーワイ監督)の
上映が決まり、
この作品に、杉野希妃さんが主演、
ヤン・イクチュンとキム・コッピが揃って
出演しているそうだ。
配給も決まっており、公開が楽しみだ。


マジック&ロス
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