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No1141『小原庄助さん』~酒を呑む馬鹿、酒呑まぬ馬鹿~

民謡「♪小原庄助さん 何で身上(しんしょう)潰した
朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上つぶした
ハア もっともだ もっともだ」
の庄助さんを大河内伝次郎が演じる。
牧歌的でユーモラスな世界の中に、
限りなく哀切がこもっていて、胸が熱くなる。

大きな樽からとくとくと酒が注がれ、
「♪朝寝、朝酒、朝湯が大好きで」とあるとおり、
朝ご飯のところから始まる。
庄助さんは、格式ある地主の家に生まれ、
人がいいから、村人たちからの寄付の頼みも断れない。
大人たちに野球のユニフォームを寄付したら、
次は、子どもたちからせがまれる。
借金してまで寄付するのだから、
ばあやの飯田蝶子が
子ども達がはやしたてるこの謡に、
「もっともだ、もっともだ」とつぶやくのも、無理はない。

の娘たちに寄付したミシンが届き、
庄助さんの自宅の一間が洋裁教室となり、清川虹子が先生となる。
その様子を、横移動で、建物の外からずっと写し、
離れにいくと、借金取りの田中春男が待っている。
そこには、お盆に湯呑が置かれているが、
お茶でなく日本酒が入っている。

キャメラは、そのまま同じところをじっと戻り、
ミシンのところを通り過ぎて、
屋敷の反対側の部屋で、
大河内が、借金取りから逃げるべく、
奥さんに手伝ってもらって、出掛ける支度をしている姿を映す。

この長回しの横移動のキャメラの見事なこと。
何台ものミシンの音が
小さくなったり、大きくなったりする音の変化のおもしろさ。
庄助さんの置かれた状況が、ワンショットで描かれる。

同じ横移動が、最後に繰り返される時、思わず目頭が熱くなる。
とうとう借金で首がまわらなくなり、
家の骨董など数々の品を競売にかけることになる。
家の真ん中で競売にかけ、値を言う威勢のいい声、
そこからすっと横移動で、キャメラが屋敷の端にいくと、
奥さんが、つらそうに立っているうしろ姿が映る。
声をかけられ、驚いて振り向く奥さんの顔。
ワンショットでつなぐことで、
観客も奥さんと同じ気持ちを共有する。

長回しといえば、
庄助さんと和尚が、家に帰ろうとして、
借金取りが来ていると聞き、
いつも庄助さんが乗っているろばだけを
家に返そうとするシーンも見事。
ろばが、ひとりで、てこてこと、田んぼの真ん中を歩いていくのを、
遠くから、ロングショットの長回しでとらえる。
ろばは、ちゃんとくねくねと曲がって、無事、庄助さんの屋敷の門へと入っていく。
まるで、ひとつのすてきな詩のようですばらしかった。

庄助さんや村人たちが、結婚式に呼ばれる。
バス停で、さぞ豪勢でしょうと楽しみに喋っていると、
案に相違して
時節柄(映画の公開は1949年)、珈琲とサンドイッチしか出ない。
バスを降りて、皆が降りて、別れかけたところ、
庄助さんが、村人の一人に声をかける。
「何か、落し物をしたような、
忘れ物をしたような気がしませんか?」
「はあ」と答える村人に、
「うちに来て、一杯やりましょう」と声をかける庄助さんの人のよさ。
こういうセリフがたまらなく、いい。
村の衆が一人、二人とうれしそうに庄助さんを追いかけていく。

そんなふうに、人のよい、ユーモラスな庄助さんも
時折さびしそうな顔を見せることがあり、心にしみる。
ぼろぼろになった柔道場の壁にかかった、名前のかかれた木札。
少し後の場面で、庄助さんの名前(本名の杉本佐平太)の書かれた木札が、
川の上を流れていく哀しさ。

雨の降る中、番傘さして立っている大河内伝次郎の姿も絵になっていた。

最後は、家も土地も全部売って、奥さんも実家に帰ってしまって、ひとりぼっち。
やってきたのは、泥棒の青年二人。
柔道で二人を投げ交わした後、
何もないのだと言って、酒を呑もうと声をかける。
庄助さんが、若者二人に自分のことを話すシーンで、
キャメラは、大きな屋敷の天井、梁、柱を映していく。
過ぎ去る時代、失われゆく哀しさ。
庄助さんは、
闇屋や泥棒がもうかる時代を嘆き、
農業でもなんでもいいから、一から始めたらどうかと声をかける。
ちゃんとこんなふうに、時代が、描かれているのだなあと思った。

最後は、庄助さんが、カバン一つ、傘1本で、とぼとぼ歩いていく。
そっと後を追う人が一人。
足元を映すと・・。
一度は、実家に帰った奥さん。
この奥さんもとってもすてきで、
二人がいっしょに歩いていくうしろ姿を、しばらくじっと写して、
「小原庄助さん 始」と出て、
歌が流れて映画は終わる。

なんともすてきなラストで、
ああ、こういう映画を観ながら、死ねたらなあと思った。

庄助さんが、仲の良い和尚さんに贈った大きなひょうたんに
書かれていたのが、
「酒を呑む馬鹿 酒呑まぬ馬鹿」。
ああ、私のことだと思った。
私は前者だけど。

大河内伝次郎が演じる庄助さんほど、
こんなに白くて大きなとっくりが似合う人はいないだろう。

実は、ずっと以前に一度は観たことがあるはずだが、
そのときは、ここまでいいとは思わなかった。
若かったんだと思う。

二人の人生はここから始まるんだと思える粋なラストに乾杯!

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
チャップリン (PineWood)
2016-05-03 01:14:31
小原庄助さん!ラストシーンでまるで放浪紳士のチャーリー・チャップリンとオーバーラップして目頭が熱くなったー。凄い!と絶句してしまったー。世界の映画史上でエンドマークに(始め)と記す粋な事をした監督が日本にいたとはー。小原庄助さんの本当の人生はこれから、そして映画はこの始まりを持って幕を閉じるー。
 
 
 
Pinewoodさまへ (パラパラ)
2016-05-04 00:34:27
清水宏監督は、知名度も低く、上映機会もあまりないですが、いい作品が多いです。
家族の情や、人と人の情を丁寧に、シンプルでわかりやすく、かといって、お涙ちょうだいではなく、さらりと描いているから、観ていただけたら、どこかしら、心にうるっとくるところがあるはずです。

「何か、落し物をしたような、忘れ物をしたような気がしませんか?」と言って、飲みに誘うということを一度やってみたくなりました(笑)大河内伝次郎ほどの風格がないと、味がでませんけどね。。。
 
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