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No893『ブリューゲルの動く絵』~一枚の絵から、世界をつくりだす試み~

書くというのは、自分が見たこと、聞いたこと、感じたことを
全部、総動員して、
自分なりの思い、考えでもって、再構成し、
言葉でもって示すことなのかなと、
最近、考えたりしていた。

そんなとき
絵が好きな学生時代の友人に誘われ、シネ・ヌーヴォのレイトを観に行った。

今までブリューゲルの絵を観たことはあっても、
人や動物やいろんなものが細かく、無数に書き込まれているという印象しかない。
ブリューゲルを知らずして、どれだけ映画を楽しめるのか不安はあったが、
案外と楽しめた。

ブリューゲルの絵の中の人々が、どんなふうに暮らし、日々を過ごしていたのか、
そのとき、一体、何が起こっていたのか…?
映画は、一枚の絵に描かれた大勢の人物のうちの何人かにスポットを当てて
膨らませていく。
そこで展開するのは、監督や脚本家が、一枚の絵から読み解いたものを
動きや時間のある映像として、新たにつくりあげた世界だ。

ちょうど小説やエッセイ、書き物、が
書き手が現実から感じとったものを、
新たな世界として再構築し、つくりあげたものであるように
この映画も、
歴史を紐解き、絵の中の人物を分析し、
ブリューゲルの他の絵の要素もとり入れながら
想像の断片をつなぎあわせ、一つの世界として完成させようとしている。
その試みを、まさに目の当たりにしている気がしておもしろかった。

特に、岩山の上の風車の存在感は格別。
人物の向こう、窓からみえる風景の一つとして遠景でとらえられたり、
大きな風車の内部の動きもとらえられる。
さらに、風車の上から見下ろした俯瞰ショットの遠近感のおもしろさ。

クライマックス、
静かに時間が止まり、すべての人、物が動きを止めてしまう瞬間のすごいこと。
つくられた音とはいえ、
一つ一つの音が、監督の思いを背負った音に聞こえた。
ブリューゲルの絵についての知識を、少しでも持っておいたほうが、より堪能できるのは確かだが、
予備知識なしでも、随所に発見があって、楽しめる。

さてさて、末尾ながら、
私の場合は、こうして書くことで、現実を乗り切れるところがある。
本人がそう思い込んでいるだけのことかもしれない。
でも、人は、案外、思い込みをばねにすれば、生きていけるものかもしれない。
元気があると思えば、どこからか元気はわいてくるし、
つらいときに、自分を想像上の別世界に置いて、自分を守ったり、励ましたり、
自然や太陽や遠い存在だとか、自分の内部の何かを信じることで、
現実を切り抜ける力をもらおうとする。
思い込みは、ある意味、生存本能に近い。

ただ、思い込みが、自分だけの閉じられた、閉鎖的なものになってしまうと、
他者に攻撃的になったりして、問題を起こしかねないから、
絶えず外界にアンテナをはって、
他者との関係を再調整することを忘れてはいけない。
行動の原動力は、思い込む力、自分を信じる力…。
歩く力の残っている限り、歩き続けていきたい。

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