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ふいによみがえったその人の名は

昼間はあんなに暑かったというのに、
夜半、窓を開けてみると、涼しい風が入ってきて、ひどく心地よい。
今日は団地の夏祭りで、
広場には、驚くほど大勢の子どもたちが集まっていて、
金魚すくいやら、焼きそばやら、
思い思いに、屋台のまわりを取り囲んでいた。
どの顔もほころんでいて、嬉しそう。
でも、団地のエレベーターホール近くには
やたら泣いている男の子がいて、
どうやらほしいものが買ってもらえず、
帰るのが嫌だと、だだをこねているらしい。
子どもは子どもなりに必死だから、対する親の苦労もさぞやと
子のない私は想像してみる。

そんな盆踊りの喧噪が部屋まで届いてきて、
どこかすがすがしい気持ちになる。

今日いちばん、うれしかったこと。
朝、うだるような暑さに、汗かきの私は、
タオルで顔やら首やら大汗を拭きながら、エレベータの前で待っていると
カートともに降りてきたのは、よく会う、掃除のおばちゃん。
おはようございますと挨拶をすると、
いきなり、「ピンク、ぴったりやねえ」とほめてくれた。
びっくりして、ろくにお礼もいえず、どぎまぎしていた私が着ていたのは、
ちょっと明るいオレンジピンクのスカート。
すれちがいざまのおばちゃんの笑顔と元気な声が、
今日いちばんの宝物になった。

人は、ちょっとのことで、ずいぶんといやされるものである。
就職したての最初の職場で、
人間関係をはじめ、大阪という土地柄にも、まるで慣れずにいた頃、
職場で、一番、心の励みにしていたのは、掃除のおじいさんだった。
小さな3階建てのビルを、毎朝早くに、近くの家から自転車で出勤して、
きれいに掃除をして回ってくれた。
掃除が趣味みたいに、丁寧に仕事してくれるのよと
庶務にいた年配の女性が教えてくれた。
菊が好きで、秋になると、玄関には、きれいな菊の花が並べられていた。

当時の同僚や上司は、親しい人を除いては、
顔は思い出せても名前はすっかり忘れてしまったが、
掃除のおじいさんだけは、今でもはっきりと名前を覚えている。
シライさんだ。
小柄でやせていて、雰囲気しか思い出せない。
せいぜい挨拶くらいで、しゃべったことなどほとんどなかったにもかかわらず、
黙々と掃除をしている姿だけはよく覚えている。
シライさんはえらいなあと思って、見ていた気がする。

十年以上の歳月を経て、
ふいに明瞭によみがえった名前は、なんだかひどく懐かしい気がして、
これもほのかな片想い、あこがれだったのかなと、想像してみたりする。

十年後の私は、今の私について、どんなことを覚えているのだろう。
もやもや、わやわや、あたふたとしたいろんな思い出に寄り添うように、
そっと佇んでいるなにげない記憶の光景を大切にしたい。

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