映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
No1098-2『親密さ(long version)』~あなたの中の何かを覚醒させる映画~

深いところへいくと、落っこちてんだ、
それを拾ってくるんだ、
俺はただそれを並べ直してるだけなんだ・・
『親密さ』(濱口竜介監督)の前半の最後の方、
令子と良介が、深夜から夜明けにかけて、
橋の上を歩きながら延々としゃべるシーン。
二人は恋人同士であり、同じ劇団で、ともに脚本を書き演出をしている。
令子が、君の作品を読むのが好きだと言うと、
俺が書いてるんじゃないと、良介は答え、
冒頭のような、
言葉を深いところから拾ってくる、ということを言う。
この言葉に、がつんときた。
しかも、夜だと言う。
夜に言葉が落ちてる・・。
良介が書いた脚本の中には、美しい詩や手紙があって、
どれもが、自分の言葉でも自分の考えでもなく、
どこか深い、暗い世界の底に落っこちていて、
それを拾ってきて、並べ直しただけだと、彼は言うのだ。
初めてオールナイトで観た時の
このセリフの衝撃は忘れられない。
平野鈴、佐藤亮という演じる俳優の声もすばらしかった。
同棲している恋人同士だけれど、微妙な距離感もあって、
そのもどかしさが、言葉のやりとりの合間や、ニュアンスから
豊かに伝わってきた。率直な思い。
仲がいいのに、どこかすれちがいそうな不安。
しかも、ずっとゆっくりと歩いているそのリズム、
二人が並んで歩くのを後ろからとらえるカメラ、
でも闇の中で、映ってるのかさえも、ほとんどわからないぐらい。
この曖昧さ加減、とらえどころのなさがいい。
次々と横を過ぎ去る車のヘッドライトをバックに、
ゆっくりと前進してゆくリズムが心地よい。
『親密さ』の前半には、「言葉のダイヤグラム」という、
「言葉は想像力を運ぶ電車です。」
という、忘れられないフレーズで始まる詩を、
令子が読むシーンがある。
「どこまでも想像力を運ぶ、私たちという路線図」
「冬の太陽が無理やり、たてじまに変えようとするから、想像力は眉をしかめたりします」
後半の演劇部分にも、詩を書いて朗読する会の場面があって、
「質問」という、あなたに次々と質問をしていく詩をえつこが読む。
その中には、
どうして生きてるんですかという問いもあったり、
私はあなたじゃないんですか、みたいな問いもあって、
私が、もうひとりの私自身、
ユング心理学でいえば、自我が、自己に向かって質問しているような詩もあって、
心魅かれた。
「花火」という良介が、朗読した詩も大好きだ。
(この詩だけは俳優の佐藤亮が書いているが、ほかはすべて濱口監督が書いたそうだ!)
あなたに近づくための言葉がなくなって、
しけった花火のように、私の魂もしけったよう。
あなたの中に私の言葉が打ち上がらず、
魂を点火できない私の言葉は、
地面にころがって、たまっていく
という感じの詩。
「言葉はどこにでもころがっています。
バイト帰りの深夜のガスト。
寝不足の駅のホーム。
ただただ青いだけの空。」
言葉が届かない寂しさを、
花火にたとえて綴ったところが、ただもう見事で、惚れた。
この映画は、めちゃくちゃおもしろい映画ではない。
でも、心の中の何かを覚醒させてしまうような何かがあって、のめり込む。
心に、感度を測る針があるとしたら、強烈に反応した。
それは、単に言葉がすごかったからじゃあない。
映画全体の中で、俳優どうしがせめぎあい、ぶつかりあい、すれちがう。
寂しさ、怒り、悲しみ、やるせなさ…。
あちこちで切実な思いと思いがぶつかって、
あちこちで、小さな花火が打ち上がる…。
劇中の詩や手紙をもう一回聞きたいし、観たいし、読みたい。
脚本集とか、早く出ないかな。
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