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No608『キャタピラー』~四肢を失った夫の表情、目力の凄さ~

話題作とはいえ、四肢を失った傷痍軍人と妻の話と聞いて、
正直尻込みしていた。
でも、若松孝二監督だし、ちょっぴりの勇気を出して
十三の七芸に行ってみた。

戦時中は、何もかもが「お国のために」の一言で片付けられた。

中国戦地から四肢を失って帰ってきた夫は
「軍神」として崇める対象にされ、
功績高き夫の世話は「お国のために」と
すりかえられてしまう。

四肢を奪ったのは戦争のせいだ、ということを
見えなくしてしまう。

夫は四肢がないだけでなく、
しゃべることもできないし、
顔もただれていて、かなりひどい。
でも、普通の人と同じように食欲もあれば、性欲もある。

妻は
ときに苦痛を伴っても、
そんな夫の食欲や性欲を満たしてやり、
お国のためだ、軍神さんだから、と
自分自身を諭し、甲斐甲斐しく世話をやく。

日本帝国がやっていること、戦争そのものを
まるで疑わず、
懸命に竹やりや、バケツ訓練に励む村人たちの姿。
そういう世界は、気味が悪いほどで、
でも、現実に、戦争中の日本はそうだったのだろう。

ただ、映画の中の妻は少しずつ変わっていく。
この変化がインパクトがある。
妻の態度の変わりように、なすすべもない夫の表情もすごい。

こういう鬱屈した、
内にエネルギーを溜めて、一気に爆発するような役をやらせたら
絶品まちがいなしの寺島しのぶは、
いつもながらに、はまっている。

それにもまして凄いのは、夫役の大西信満。
何かを訴えようとする表情と目力。
言葉にできない思い、苦しみが、身に迫ってくるほどリアルで
彼の苦しみの表情あってこそ、
この映画は、力あるものになったと思う。

彼が、戦地の中国で、女性たちに、どんなひどいことをしてきたか、
徴兵に行く前、妻にどんな手荒いことをしてきたか、
その過去が、今の彼を苦しめる。

軍神とあがめたてられても
夫にとっては、苦痛でしかなく、
軍服を嫌がる。それを目で表し、
ほとんど抵抗できない不自由な体を揺さぶって
妻に伝えようとする。

本当に悲惨だ。
あまり観客の同情をひきにくい、この夫もまた、
戦争の犠牲者だということが
痛切に突き刺さってくる。

妻は妻で、やり場のない怒りを夫にぶつける。
「こんな姿で帰ってきて」と
戦争をなじることもできず、夫をなじる。

そうして、最後
広島や長崎の原爆の犠牲者たち
むごたらしい姿で命を奪われた人々の姿の写真がうつり、
戦争がいかに何万人もの人間を殺したのか、
字幕が伝える。
鮮烈な歌詞の歌が胸をえぐる。
いかに戦争が残酷なものであるかが痛烈に迫ってくる。

夫が池の水面に顔を映す。
そこに写ったのは、何だったのだろう。

夫は、敗戦した「日本という国家」の象徴のような存在かもしれない。
むごたらしく人の命を奪ってきた罪の重さに気付き、
堪えきれなくなった……。

芥川龍之介の「芋虫」を読んでみたい。
「キャタピラー」とは芋虫のことだそうだ。
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