映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
No141「サマータイムマシン・ブルース」本広克行監督
2005-09-18 / 映画
タイムマシンをつかって、過去や未来へいく映画はたくさんある。
しかし、「昨日」に行って、壊れる前の、クーラーのリモコンを取ってくる、
なんて発想があっただろうか。
「くだらね~」と一言では片付けられない、とんでもなく奇想天外なおもしろさが
ここには広がっていた。
舞台は、セミが鳴き、じっとりした暑さに包まれた、大学のSF研究会の部室。
なぜか野球のシーンから始まるところも、意味ありげ。
ありとあらゆるガラクタが集められ、落書きだらけの、雑然とした部室。
子どもだましのような、へんてこなタイムマシンは、時間設定ダイヤルもデジタルでなく、
数字を手で回して合わせるという原始さで、このぼろさ加減がいい。
役者も、大学のもてない面々が集まったというふうで、(瑛太は除く?)連帯感で盛り上げてくれる。
タイムマシンも、もったいぶったりせず、
昨日、今日、99年前、25年後と、行ったり来たりで、頻繁に使われること18回の大活躍。
部室に置いてあるデジタル時計のおかげで、時間の混乱もほとんどない。
今日の僕が、昨日の僕を、尾行したり、監視したり。
このちょっかいが、物語を加速させる。
99年前にタイムマシンで戻って起こしたことが、今・・・なんて、
とてもありえそうにない話が、ありえてしまうところが、映画のおもしろさ。
もともとは、演劇作品だが、
沼なんて、舞台ではつくれない設定が、加わって、映画を盛り上げたり、
どことなく人の少ないさびれた商店街、昔ながらの銭湯、古い薬局店と、レトロな街の空気が、
学生たちの青春の盛りの「今」、「若さ」を際立たせる。
昨日の僕がいるから、今日の僕がいて、
今日の僕がいるから、明日の僕もいる。
上野樹里への瑛太のほのかな恋心が未来にどうつながるのか。
切なさも残しながら、集団漫才のような、イキのいい、破天荒な世界に紛れ込んだ感じがして、さわやかな一本。
満足度 ★★★★★★(星10個で満点)
しかし、「昨日」に行って、壊れる前の、クーラーのリモコンを取ってくる、
なんて発想があっただろうか。
「くだらね~」と一言では片付けられない、とんでもなく奇想天外なおもしろさが
ここには広がっていた。
舞台は、セミが鳴き、じっとりした暑さに包まれた、大学のSF研究会の部室。
なぜか野球のシーンから始まるところも、意味ありげ。
ありとあらゆるガラクタが集められ、落書きだらけの、雑然とした部室。
子どもだましのような、へんてこなタイムマシンは、時間設定ダイヤルもデジタルでなく、
数字を手で回して合わせるという原始さで、このぼろさ加減がいい。
役者も、大学のもてない面々が集まったというふうで、(瑛太は除く?)連帯感で盛り上げてくれる。
タイムマシンも、もったいぶったりせず、
昨日、今日、99年前、25年後と、行ったり来たりで、頻繁に使われること18回の大活躍。
部室に置いてあるデジタル時計のおかげで、時間の混乱もほとんどない。
今日の僕が、昨日の僕を、尾行したり、監視したり。
このちょっかいが、物語を加速させる。
99年前にタイムマシンで戻って起こしたことが、今・・・なんて、
とてもありえそうにない話が、ありえてしまうところが、映画のおもしろさ。
もともとは、演劇作品だが、
沼なんて、舞台ではつくれない設定が、加わって、映画を盛り上げたり、
どことなく人の少ないさびれた商店街、昔ながらの銭湯、古い薬局店と、レトロな街の空気が、
学生たちの青春の盛りの「今」、「若さ」を際立たせる。
昨日の僕がいるから、今日の僕がいて、
今日の僕がいるから、明日の僕もいる。
上野樹里への瑛太のほのかな恋心が未来にどうつながるのか。
切なさも残しながら、集団漫才のような、イキのいい、破天荒な世界に紛れ込んだ感じがして、さわやかな一本。
満足度 ★★★★★★(星10個で満点)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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過去に戻ることはあっても
将来に飛ぶことはない・・
人間、自分の明日、将来をみてしまうと、
今日というこの日が生きづらい。
明日のことがわからないこそ人生は
面白いのだと感じた映画です。
確かに、明日が見えては、生きていけないですね。
ちょっとは期待できる明日をつくれるよう
がんばりたいです。