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いつまでも咲き続ける桜を前に

「お前もどこかで出会った、お前の好きな桜があるだろう。
一年に一度、桜が咲いたらその樹に会いに行くんだ。
一年間に起きた出来事を静かに話しかけながら、
好きな桜の樹を相手に一献傾けるのだ。
そういうヤツのことを『桜人』と言うんだ、
覚えとけ」

今日の読売新聞夕刊に
さだまさしさんが「一年に一度会いに行く」
と題して書かれた、エッセイで
山本直純さんに言われた言葉として紹介されていた。

「 それから毎年、
僕は大好きな一本の桜の樹に会いにいくようになった。
 桜の季節になると必ず思い出す直純さんのこと。
 今年はフル・オーケストラと一緒ですよ、と
僕は満開になった大好きな桜に語りかけるだろう。
 直純さんにも。
 好きな桜と差し向かいで、一年間の出来事を語りかけながら
静かに酒を飲む。
 春が来た。」

とエッセイを締めくくっている。
ラストの「春が来た」が、なんとなくいい。
さださんは、今年、フル・オーケストラとの全国ツアーを計画し、
2月からコンサートツアーの真っ直中だそう。

さださんは、桜の樹に会うと書いているが、
桜の向こうに、やっぱり人がいるのだと思う。

桜と自分との出会いだけでなく、
その桜の向こうには、自分が世話になった人、
好きになった人、あこがれた人がいて、
桜が、橋渡しに、
その人と自分をつなぐ架け橋、絆のような存在に
なっている。

だから、桜の樹と差し向かいで飲んでいるようで、
心の中で対話している相手は、
桜ではなく、桜の向こうにいる直純さんであり、
自分にとって、とても大切な誰か、なのだ。

このところ、年をとるにつれ、思うのは、
人との思い出、関わりのほうが、
心の中の大切な、かけがえのない財産に
なっているような気がする。

若いときに比べて、
“自分が”、何かをやりたいとか、なし遂げたいという思いが
弱くなった。
あわよくば、何かできたらいいな、くらいな気持ち。
自分はともかく、人の夢の実現を応援したいとかそういう感じ。
いつのまにか淡白になった。

とはいえ、そう簡単に達観もできないから、
やっぱり自分なりに、望むことも、願いも、あったりはする。

月曜日、職場から川べりの桜を眺めた。
先週金曜に比べたら、どこか色あせて、
同じ青い空をバックにしても、
美しさも鮮やかさも、幾分か見劣りするようにみえた。
それでも、きれいなことに変わりはない。
ふと、窓の向こう、
遠くから、淡い桜並木が、私を呼んでいるような気がした。

仕事中だから、もちろん、ふらふら行くわけにはいかないけれど、
そっと呼び寄せられているようで、不思議な気持ちになった。

そろそろ散る頃合いなのに、
あまりに寒くて、散ることもできず、
そのまま老いてゆくような、
それでも懸命に咲き続けている桜に
いっしょにがんばろうね、と
優しい言葉をかけたくなった。

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