日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

ギリシャのゼネストは既得権全廃に向かう“一揆”だ!

2011-10-21 | ニュース雑感
ウォールストリートのデモの話にギリシャのゼネストの話。世界の出口の見当たらない底なし不景気の象徴のような出来事であり、わが国とて決して他人事ではなく考えさせられることが多くあります。

ウォールストリートで聞かれる代表的な声は、「金融街など人口のわずか1%の人たちが世界を仕切っていて、99%の人々が苦しんでいるのはおかしい」。ギリシャのゼネストで聞かれる代表的な声は、「一部の金持ちを守って、庶民に負担を強いる財政再建策は許せない」。ともに資本主義社会が積み上げてきた社会構造を、根底から否定する主張であります。言ってみれば、資本主義が行き着いた格差社会に対する疑問を投げかけ、その是正を求める民の声です。

先進国を襲う世界的大不況は、今後一層の高齢化社会が進行する未来において改善の灯はほとんど見えてこないと言っていいでしょう。すなわち、先進国の経済成長期に大量消費で経済を支えてきた若年層は今や老年層になろうとしていて、先々への備えを考え「使う」ことではなく「貯める」ことを美徳とした生活に移行しています。一方、未来を支えるべき若年層はその絶対数が大幅に減少しているがために、今後彼らに消費経済の活性化を期待しても多くを望むことはできないのです。

そういった構造的な問題が大きく横たわっているということが前提にあり、「格差の是正はこの先永久にできない」と庶民層は肌で感じているからこそ生存欲求から発せられる危機感が、デモやストライキといった抗議行動となって現れているのです。時代や国は違いますが、日本の江戸時代の一揆もまた「封建社会のままでは、苦しみ続ける状況はこのまま変わらない」という生存欲求に起因する危機感から生まれた抗議行動であり、同じ類のものであると言っていいでしょう。

江戸時代の一揆における庶民の決起理由は、封建社会が作り出した特権階級武士層と一般庶民との格差に対する疑問と抗議でした。そしてその末に導かれたものは、時代の流れや大原則を覆す明治維新だった訳で、身分制度という根本的な価値観の転換や既得権の放棄がもたらした社会改革によって国家としての再生をなし得たと思われます。今の時代に置き替えて考えるなら、先進国の民主主義、資本主義の下で身分制度は存在しません。ならば基本的には、資本主義社会の中で構築された既得権の扱いをどう転換させるかこそが、悪しき格差社会の弊害を取り除きこの先にある未来をしっかりと築き上げていくために必要なのではないでしょうか。

この場合、個々の階層の既得権の見直しも大切ではありますが、資本主義における最大の既得権は法人等が生み出した利益を一部個人が独占することにより築かれた資産の無条件相続であり、その見直しこそが本丸であると思えてなりません。江戸時代から明治維新への移行時に行われた社会構造改革は、まさしく身分と資産の無条件相続の否定だったのです。すなわち現代において資本主義社会が行き着いた先にあった既得権に守られた格差を正すような方向修正は、決して社会主義や共産主義が埋め合わせるものでないことは歴史的自明事項ですが、既得権と資産の無条件相続を何らかの方法で否定する必要があるのではないかと思われるのです。

誤解を恐れずに申し上げるなら、実は相続税の見直しこそが格差社会を是正し「貯める」から「使う」へ社会構造を変えていく最も大きな既得権廃止策でないかと。要するに法人での稼ぎを個人に転化したとしても、その一代で使いきるのは良しとし(少子化社会における「使う」の助長)、相続により無条件に次世代に引き継がれること(「貯める」の助長)を否定し、黙って格差創造を容認する流れを止める仕組みを作るのです。

この部分だけを読めば、馬鹿げていると一蹴されかねないかなり乱暴な話かもしれません。特にわが国においては「税の公平性」という見かけ上平等を装った作られた原則論に守られ、実現の可能性は極めて低いでしょう。しかし、資産相続を含めた「生まれながらの既得権」の是正による根本的社会構造変革こそが、格差に奪われたエネルギーを取り戻させ活力ある次代を生みだすと、一揆から“明治維新”に至る歴史は教えてくれているように思えるのです。ウォールストリートやギリシャの一件から、遠い江戸末期を思い浮かべ夢想的にそんなことを考えさせられた次第です。