日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

小沢一郎に学ぶ、「コミュニケーション能力に欠けたリーダーシップの末路」

2011-10-12 | 経営
小沢一郎氏の初公判とその後の記者会見について、各方面でより現場に近い方々がいろいろ書かれていますのでここまで静観をしてまいりました。私が言いたいことも出尽くしの感が強いですし、そもそも有罪か無罪かの話は個人的にはどちらでもよい、かつ「説明責任を全うせよ」の論調も効果がなさそうなので止めにして、本業である組織コミュニケーションの観点から少し書いてみます。

小沢氏の会見を振り返って見れば、①延々自己主張のコメントを一方的に読み上げ、②新聞電波2問+フリー&ネット2問の質問のみ、③さらに都合の悪い質問には“禁じ手”の「問い返し」をした挙句に最後は恫喝。自己主張をするだけして、皆が聞きたいことには一切答えないだけでなく、凄んで黙らせる。会見をする立場の人間のコミュニケーションとしては最悪と言ってもいいのではないでしょうか。これではメディアからも、国民からも信頼が得られるわけがありません。周囲の誰もそれを氏に忠告できないという“裸の王様”ぶりには、なんとなくもの悲しいものすら感じさせられる会見でした。

小沢氏はつくづく“コミュニケーション下手”なのだなと思います。普段からほとんどその心の内を見せようとしない、敢えて見せたくないのか、そうかと思えば今回のように突然一方的に感情むき出しの発言をする。それを見ている国民にいい印象を持てと言うほうが無理なのです。新聞はじめマスメディアが“悪者”と決めつけて扱っている影響もあるかとは思いますが、それとてメディアに対して自身を見せないことの繰り返しが招いたこと。「メディアは国民の代弁者である」とはよく新聞記者が口にする言葉ですが、それが正しいが否かは別としても、確かにメディアを敵に回して国民を味方につけることは難しいと改めて実感させられる流れではありました。

“コミュニケーション下手”と申し上げましたが、正確には「今の時代においては、“コミュニケーション下手”と受け止められる」ということかもしれません。要するに古いタイプのコミュニケーターなのです。氏が田中角栄に師事して政界の帝王学を学んだ時代には「見える化」などといういう言葉は影も形もない時代でした。“偉い人”は口数少ないことが威厳を保つのによろしいとされ、何でもあけすけに話をする「軽口」は軽薄の極みぐらいに思われていました。そして時々忘れた頃に、ガツンと一発カミナリを落とす。それがまた周囲への畏怖心を生みだし一層の威厳構築に寄与する、政治家に限らず私が社会人になった昭和50~60年代頃までは大抵の“偉い人”はそんなやり方で威厳を保っていたように思います。

しかし平成の時代、特に21世紀は全く違います。正しかろうが間違っていようが自分の考えを明確に表明し、内面を見せているが如くに振舞うことが国民の信頼を得られるのだと、くしくも小泉元首相は教えてくれました。彼の主義主張が正しいか正しくないかではなく、その内にこもらない明快さが長期政権を維持させ高支持率を支えたと言って良いかと。昔“変人”と呼ばれたその人は、気がつけば最も支持される存在になり得たわけです。小沢氏がもう少し早く、少なくとも民主党に合流した時点でこの時代の流れに気がつき、ご自身のリーダーシップの活かし方を考え直していたなら、今頃は初代民主党首相として安定政権の下、震災復興に辣腕を振るい国民の圧倒的な支持を得ていたかもしれません。

リーダーシップ論では、リーダーシップにはいくつかの種類があり必ずしも小沢氏のような「専制的リーダーシップ」が悪いものであるとは限っていません。ただ、高度成長に支えられた時代と出口のない不透明感が蔓延する現在とでは、リーダーシップを支える背景となるものが全く異なっているのです。不透明感の強い時代にそのリーダーシップを有効に機能させられるか否かについては、そのより大きな部分をリーダー自身のコミュニケーション能力に頼らざるを得なくなっていることが氏の悲劇だったわけです。氏のような“見えにくく”かつ“強引な”コミュニケーションのとり方は、今の時代には求められない、いやむしろ疎まれる存在になってしまったのです。

そうは言いつつも、政党を転々としながらも長年にわたり政界の頂点近くに君臨しているというまぎれもない事実は、単に政治資金収集力的な理由だけでは説明できない氏の素晴らしいリーダーシップがあるからに相違ありません。今回の会見のやり取りを見るにつけ、そのリーダーシップを活かしきれなくなった本人の言動は、わが国にとって実は大変な損失なのではないかとさえ思わされるのです。

と言う訳で、最後に私の職業的な結論です。
どんなに有能な経営者であっても、コミュニケーション能力(単に口が達者なだけではなく、しっかり立場を踏まえかつ相手の立場でモノが言えるか否か)の欠如が災いすると、自己利益を追求する社員以外はついてこなくなり会社はひとつにならないのだということを、企業経営者は政治家小沢一郎の言動から反面教師的に学ぶ必要がある、
ということになるでしょう。