日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

我々世代にとっての終戦記念日とは

2010-08-15 | その他あれこれ
8月15日は終戦記念日、原爆投下の日と同じく第二次世界大戦を起こした国の国民として世界の恒久平和を祈り訴えるべき大変重要な、特別な意味合いを持った日であります。

今年も日本武道館で戦没者慰霊祭が、天皇皇后両陛下、管総理出席の下開催されました。愛する人の尊い命を戦争という愚行の犠牲として失った多くの戦没者の遺族の方々が出席されていました。しかし、すでに戦後65年を経て戦争を肌身で知る出席者は年々減少し、次世代への橋渡しが無言のうちになされている時代の移り変わりが、テレビの映像を通じても感じさせられる式典でもありました。それでも、この戦没者慰霊祭はこれからも続いていくでしょうし、続けていかなくてはいけないのです。世界に「戦争」と言う概念が存在しなくなる日まで、いや「戦争」という概念が存在しなくなった日が訪れたとしてもいつまた愚かな人間が同じ過ちを繰り返えさぬよう、永久不滅の式典として未来永劫続けていくべき催しなのだと思います。

そんなことを考える時に思うのは、戦争のない平和な世界を実現する未来をつくっていくためには、我々戦後生まれ特に昭和30年代生まれの世代がどれだけ、戦争の愚かさを意識し「平和」を訴え続けていけるかにかかっているのではないかということです。すなわち、今ビジネス界をはじめ世間では我々世代が時代を担ってこれからの社会づくりをリードしている訳で、平和祈念に関しても同じく我々世代がリードオフマン的自覚をもって率先して動かなくてはいけないと思うのです。終戦後十余年を経て生まれ昭和30~40年代の高度成長期に少年少女時代を過ごし、「平和」であることが当たり前の時代に育った“戦後っ子”として、我々を育んでくれた「平和」のありがたみを、「戦争の悲惨」を語り継ぐ人が絶え始めた今こそ意識を持ってしっかりと受けつ継ぐべき時に来ているのではないでしょうか。

その意味において、戦後65年を迎えた今年の戦没者慰霊祭に皇太子夫妻が列席しなかったことは本当に残念です。皇太子殿下は私と同学年の50歳であります。論語にも「五十にして天命を知る」との言葉もあります。今ここで戦前戦中の天皇制を断罪するつもりはありませんが、次期天皇即位者である皇太子殿下が、天皇制の下突き進んだ第二次世界大戦と「天皇陛下万歳」と戦地に散った多くの尊い命を思うなら、50歳の節目をもって我々世代の代表として「平和」を願う先導役を積極的に務めて欲しいと思うのです。すでに終戦記念日8月15日が持つ意味合いさえも大きく変わりつつあると思います。過去の犠牲者へ向けられた悲しみや追悼を乗り越え次世代に引き継ぐべき恒久平和を誓う祭典たるべきであり、それを今担うのは我々戦後世代の役割ではないかと思うのです。

終戦の日の国家行事たる戦没者慰霊祭への天皇皇后両陛下の出席は当然のことですが、「平和」への誓いを次代へ引き継ぐ役割を担った我々世代の代表である皇太子ご夫妻の出席もまた必要な時期にきているのではないでしょうか。一般的に50歳前後の“アラフィフ世代”ともなれば、世の中の見え方も違ってきて真の“大人”の見識を意識し始める時期でもあります。まさしく「五十にして天命を知る」。ならば、同世代の天皇家の人間には先んじて「平和」の尊さを主張する行動をとって欲しいと思いますし、その使命が課されてもいると思うのです。戦没者慰霊祭には、シキタリや前例にとらわれず、ご自身の意志としてこの平和祈念の式典に出席をしその行動で次世代へ力強いメッセージを伝えて欲しい、終戦から65年を経た「平和」を祈念すべき日に切に願うところです。