日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

お茶の水古今物語~“学生街の喫茶店”は何に姿を変えたのか?

2010-08-12 | マーケティング
“あの頃”お茶の水散策の続きです。

お茶ノ水と言えば、私が高校~浪人時代には喫茶店がけっこうあったと記憶していたのですが、今はなんとその数の少ないこと。ほとんどの店の名前は忘れてしまったのですが、ハッキリ覚えているのは、駿河台出口の駅前交差点を渡ってまっすぐ駿台予備校方向に行った右側に「舟」という結構大きな喫茶店があったことです。しかしながら今は見当たらず。ビルに姿を変えてしまったのか、どこがその場所であったのかさえ分かりませんでした。

あとは、駿台予備校近くにあった「レモン」。確か画廊が経営しているお店だったと記憶しています。絵とか飾ってあって、芸術系学生の憩いの場的感じで高校生には敷居が高く浪人生には似つかわしくない、というムードで「大学生になったらおいで」と言われているような印象がありました。その場所に「レモン」はありましたが、「レモンビル」になっていてお店の「レモン」はイタリアン・レストランのようでした。なんかイメージ違うなとこれまた少々落胆でした。

「他には?」と駅からの道々、かなり入念に探してみたのですが、喫茶店そのものがほんどない。「えーっ?そんなバカな」ですよね。ガロの「学生街の喫茶店」じゃないですが(ふる~)、「♪学生でにぎやかなこの店の片隅で聞いていたボブ・ディラン・・・」といった感じのお店が、そこここにあったと記憶しているのですが、本当にないのです。その歌「♪あの頃の歌は聞こえない、人の姿も変わったよ、時は流れた~」と続くのですが、歌が聞こえないどころか店が跡形もないのです。どうしちゃったのでしょうか?歩くうちに、「確かこの辺に・・・」「確かここを曲がった奥に・・・」と店があったと思い当たる場所がいくつも出てきたのですが、皆そこには共通してある別の業態が店を構えていました。何だと思います?居酒屋です。しかもチェーンの。学生街は驚くほど居酒屋だらけになっていたのです。

昔は個人経営の居酒屋はポツポツあったものの、駅前の一等地とか学生でにぎわう通りとかにはあまりなかったと思うのです。そもそも、今から30年以上も前の話ですからチェーンの居酒屋と言うモノ自体がせいぜい「養老の滝」とかぐらいしかなかったようにも思います。それに居酒屋って、サラリーマンのオヤジが集う場所的印象でしたから、学生街にはあまりなかったんですよ、たぶん。学生街と言えば喫茶店が、マーケット的に見て一番商売になりそうな飲食だった訳で、超定番だったのです。ところが、喫茶はドトールに代表される安価のセルフカフェにまず圧迫され、その後はスタバに代表されるシアトルスタイルのおしゃれなセルフカフェの乱立とともに姿を消さざるをえなかったのでしょう。

そうなると外食系としてセルフカフェに勝てる業界はと言えば、利益率の高いアルコール系飲食である居酒屋、しかも資本力にモノを言わせ徹底したコストダウンをはかりつつ多店舗展開で拡大を続けるチェーン店であるわけで、90年代あたりから続々学生街の一等地に進出してきたという訳なのでしょう。昔は明治大学の学生もお茶ノ水では飲まなかったと思うんですよね。これは想像ですが、だいたい新宿とかに出ていたのではないかと・・・。今は学生の飲み屋も「安・近・短」?これだけ安居酒屋が乱立していれば、地元で飲んでるのかなと思います。

昔、駅前丸善書店並びに、三~四階建ぐらいの洋風の城を模した喫茶店がありました(名前は忘れました)。お茶の水界隈ではけっこう存在した名曲喫茶のひとつだったと記憶してます(たぶん)。実は今もこの目立つ建物はありまして、「1軒みっけ!」と思ったのですが、近くで見てみると各階にそれぞれ別の店が入った「居酒屋ビル」に中身を変えていたのです。あの建物のまま居酒屋チェーンの雑居ビル化ってどうなのよと、ちょっと寂しいですね。

お茶の水話、もう一丁ぐらいいけそうですね。