日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

昭和問わず語り 1~東京タワーと藤山愛一郎邸

2011-01-04 | 昭和
今年は新しい企画をひとつ。私が育った昭和の時代を、東京文化を中心にして様々な思い出を書き綴ってみたいと思います。なぜこれを思いついたかですが、昭和の時代を象徴する事やモノ、あるいは人や場所に関しては、意外にしっかりとした映像が残っていなくて、またニュース映像等で残っていてもそれは出来事の一面を捉えたに過ぎず、私が思い出す昭和の特徴とは少しずれたモノが多かったりもしています。そんな折にはなんとなく昭和の正しい記憶が人々の心から失われていくさみしさもあり、歳をとる前の自分の記憶がハッキリしているうちに書き残しておきたいと思ったのです。題して「昭和の語り部」シリーズ。目覚ましく発展を続けた昭和元禄の時代を、当時の最先端であった東京で過ごした自分の記憶をしっかりと書きおこしていきたいと思います。

今回は東京タワーをめぐる私の子供時代の環境の話から始めてみます。まず東京タワーですが、私の記憶では映画の「三丁目の夕日」に出てくるような建造途中のタワーの記憶は全くなくて、物心ついた頃には東京タワーは既にしっかりとタワーの形をしていました。たまたま幼稚園~小学校時代を港区で過ごしたために、本当にまじかに東京タワーがあったのです。当時住宅地域には大きな建物はありませんでしたし、それこそ丸の内や新橋にでも行かないと10階建てなんていう建物は全くゼロと言ってもいいほどでした。だから、どこで遊んでいても必ず東京タワーは見えていたのです。言ってみると、東京タワーに見守られながら遊んでいたと言った感じかもしれません。

小学校は白金でした。今でこそセレブなイメージの街になっていますが、当時は全くの住宅地域でした。東京タワーが近くに見えたこととともによく覚えているのは、政治家の藤山愛一郎の普通じゃない家が学校の近くにあったこと。ものすごく大きな家で、道路からずっーと奥まったところに車寄せがあって子供が見ても特別な人の家だなと。その普通じゃない加減は、東京タワーと同じぐらいのレベルであったと。つまり子供心に政治家は普通の人じゃないんだと強く印象付けられたりしました。その場所は、今の「都ホテル東京」です。立派な庭を持つ一流ホテルが建ってしまうほどの敷地な訳ですから、大人になった今訪れてみても、ここが人の家だったと思うとやっぱり普通じゃないですよね。

今でこそ、実態はともかく政治家のセンセ方も“庶民派”が良しとされる時代になりましたが、その頃は普通じゃない人がほとんどだったんですね、きっと。確かに思い出してみれば、当時は「政(まつりごと)は普通じゃない人に任せるべき」と思われていたフシがあります。確かに、鳩山一郎も田中角栄もみな都内の大邸宅に住んでいました。“特別な人”を特別な人として印象付けるのに、その人の住まいはけっこう強い影響力を発揮しますから、大きなお屋敷に住むことが政治家の信頼感の象徴だったのかもしれません。今の時代、市民運動家出の総理大臣のだらしなさを見るにつけ、「政は普通じゃない人に任せるべき」という昭和の考えも一理あるのかなと思わせられもします。