日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「70年代洋楽ロードの歩き方31」~ハードロック 3

2011-01-23 | 洋楽
ジェフ・ベックによって方向づけられ、レッド・ツェッペリンによって形作られたハードロックの基本形は、ベックとロッド、ペイジとプラントを手本として、70年代初頭には優れたギタリストとシャウト系のボーカリストを擁することを必要条件として形式が整ってきたのでした。

60年代後半に既に英国でクラシックの洗礼を受けたキーボード・プレイヤー、ジョン・ロードを中心としてアート・ロック的活動を開始していたディープ・パープルは、こうしたジェフ・ベックやツェッペリンの影響をもろに受けドラスチックな変貌を遂げます。70年代初頭に一部メンバーの解雇によりシャウト系の超人的ボーカリスト、イアン・ギラン(写真左端)を迎え、これを機に演奏面はリッチー・ブラックモア(写真右から2人目)のソリッドなギターリフを中心としたものへと移行。70年にその名も「イン・ロック」という一気にハードロックに転じたアルバムをリリースして、大きく飛躍したのです。A1「スピード・キング」は、まさにその変貌を象徴するナンバーでした。このアルバムとシングル「ブラック・ナイト」の大ヒットによって、「パープル=ハードロックの雄」という概念が定着したのでした。

その後パープルは、ハードロック史に燦然と輝く名曲「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を含む72年のアルバム「マシン・ヘッド」により、その地位をさらに確固たるものにします。さらにこの勢いを駆って約半年後にはこれら生まれたばかりのハードロック名曲群を、ライブ・パフォーマンスにおいてより一層過激な再現をしてみせたアルバム「ライブ・イン・ジャパン(欧米では「Made In Japan」のタイトル)」をリリースし、ハードロック・ライブのひとつのプロトタイプを提示したのでした。「Made In Japan」は英米で大ヒット。特に日本では、自分たちが目の前で見たステージが正式ライブ盤としてワールド・ワイドに発売されるという“栄誉”も手伝って、歴史的名盤としてその後長きにわたり“ハードロック小僧”たちの間で教科書的に語り継がれていくのです。

大飛躍を遂げ、世にハードロックの在り様を明確に定義づけた第二期ディープ・パープルでしたが、急激な大ブレイクによりメンバー間に確執が発生し、73年には再びメンバーチェンジを余儀なくされます。天才ボーカリストの脱退によりパワーダウンが懸念されたパープルでしたが、新メンバーのデビッド・カヴァーディル(Vo)グレン・ヒューズ(B、Vo)を加え74年に再スタート。それまでのどの代表曲にも負けないハードロックの代名詞的名曲「紫の炎(キムタク出演のタマホームのCMで流れるあの曲です)」をフィーチャーしたアルバム「紫の炎」をリリースし、70年代ブリティッシュ・ハードロックにおける不動の地位を確立したのでした。このタイトル曲における、ブラックモアの印象的なギター・リフと強烈なギターソロは、ブルースの影響から解放された全く新しいジャンル、ハードロックのギターのお手本と言うにふさわしく、本当に素晴らしい作品に仕上がったのです。ベック→ツェッペリンときたブリティッシュ・ハードロック誕生期の流れは、ディープ・パープルによってブルース色が排除され、新たな音楽ジャンルとして確立期に入っていったのでした。

★ハード・ロックを知る基本アルバム★
①「イン・ロック/ディープ・パープル」
②「マシン・ヘッド/ディープ・パープル」
③「ライブ・イン・ジャパン/ディープ・パープル」
④「紫の炎/ディープ・パープル」