日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

経営のトリセツ44 ~4つの「シカク」→「四角」「視覚」「資格」「死角」③

2008-11-07 | 経営
「シカク」その3は、「資格」です。今回は4つの中では簡単そうに思えて実は結構奥深い、その考え方について少々触れてみます…。

「資格」という言葉で、思い浮かぶものは2つあります。ひとつは「公的資格」。よくサラリーマンがチャレンジする資格に、「宅建」とか「簿記」「英検」…。難関資格では「証券アナリスト」や「社労士」、なかには「税理士」資格を持つ強者もいます。いまひとつは、社内的な「人事制度上の資格」。総合1級とか一般2級とか、会社によって呼称は違いますし、中小企業では「資格制度」が存在していない会社も間々あります。「公的資格」と「人事制度上の資格」、企業経営にとってより大切なのはどちらでしょう?

「公的資格」の中には、難関資格を中心にそれがないと特定の業務ができないものもありますが、大半は「知識の目安」や「実力のレベル」を測り認定するものであるようです。ですから、企業では「公的資格」は取ることそのものを評価するべきではなく、その水準を保って業務に役立てていることを、評価すべきになります。それができるかどうかは、その会社に確固たる「評価基準」があるかどうかにかかってくるのです。

すなわち、「公的資格」を取得することで、給与を一定額上乗せしたり評価を上げたりする人事制度は、ある意味でその会社独自の「評価基準」を持ち合わせていないことになる訳です。社内の「評価基準」を明確に定めて、「資格制度」が確立されていれば、目安を測る「公的資格」はたいして大きな意味を持たなくなるはずです。と、ここまでお話すればお分かりでしょう。企業経営にとってより大切なのは、公に認定された「資格」ではなくて、社内的に定められた「資格」の方なのです。

社内的「資格」の重要性はどこにあるのでしょうか。極力噛み砕いてお話しします。一般的の会社では、「評価される」→「資格が上がる」→「地位が高くなる」→「給与が増える」、と言う構図になっている訳です。ですから、「資格」という存在こそが社員のモチベーションを向上させ、皆を前に向かせ社内の活性化の原動力になりうる、と言う点にその重要性があるのです。しかし、同時に忘れてならないのは、「資格制度」がない、評価基準などの裏付けのない「資格制度」しかない、などの場合はかえってモラールダウン等を招き、マイナスに働いてしまうことです。

では、「資格制度」はどうあるべきなのでしょう。大前提として何よりもまず明確な「評価基準」が不可欠です。そして、明確な「評価基準」を設けるためには、社員に共通で持ってもらいたい会社としての「価値観」が必要です。それは、「経営理念」であり「経営方針」であるかもしれません。経営者自らが「当社の社員はこうあって欲しい」と考えるそれを明示し「価値観」たりえることが、まさにその会社の「評価基準」を作りうるのであり、経営者が社員に求める明確なビジョンなくして、納得性の高い「評価基準」も「資格制度」も存在し得ないのです。

「資格」と「資格制度」は、組織活性化の大きなポイントとなる施策でありますが、先にも申し上げたように「評価基準」が不明確等中途半端であったり、形だけの「資格」などいい加減な導入はかえってマイナス効果が大きく、その意味ではモロ刃の剣でもあるのです。社員の「やる気開発」や「給与総額の見直し」などの理由から、単純に取引先の大企業を真似て「資格制度」を導入する中小企業がよくありますが、たいてい失敗に終わります。これはまさに、経営が社員に求めるビジョンを確立せずに形だけの制度化を急ぐことによるのです。「資格」は考えるほど安易なものではないのです。