日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

薬害肝炎訴訟 ~ 憂国の「政治決断」

2007-12-26 | ニュース雑感
薬害肝炎訴訟で、遂に国側が議員立法による「一律救済」を打ち出し、福田首相が原告団に謝罪しました。
なぜもっと早くにそれができなかったのか、前回の“線引き和解案”からわずか数日後の“修正”に、どこか割り切れないモノを感じています。

まずは緩めの対応をしておいて、それで済まなければキッチリした対応と謝罪で許してもらう…。相手の顔色うかがいをしながらの対応検討。今年の漢字にもなった「偽」の象徴的事件、食品偽装における責任企業の対応や、“反則一家”亀田家のマスコミ対応となんら変わらないのではないでしょうか。

いつも思うことですが、責任の重さにつりあわない甘い対応をすれば、もっと悪い事態に陥ることがなぜ分からないのでしょう?今回の薬害肝炎訴訟の場合も、他のケースも、同様に言えるのは当事者の責任感の欠如、問題意識の希薄さに他なりません。

自分の「悪事」を軽く見て、ごまかしや嘘で逃れようとして、余計に問題を大きくした点では「白い恋人」も「赤福」も「ミートホープ」も「船場吉兆」も「亀田家」も、皆同じことを繰り返しました。
今回は国までが、全く同じ対応をしてしまったのです。
まずは妥協案を提示してダメなら全面譲歩案を出すというやり方は、国がその責任の所在を全く分かっていないことに他ならないのです。

国やお役所は、組織の責任の連続性を知らないのですか。「私のが入る前の問題だから」「私が担当する前の問題だから」。毎度毎度同じことを言いますが、民間ではそんなことは絶対に許されないのです。なぜならば、「問題から逃げること」=「倒産」だからです。

先の“線引き和解案”提示の際に言われていたのは、財源の問題でした。どこかの官僚が、政治家に耳打ちした結果に違いありません。あの時点で既に、財源のあるなしよりも、国の犯した責任が明確になるような解決案の提示こそが求められる対応だったのではないでしょうか。

これも毎度言っていますが、財源が不足するなら、責任省庁である厚生労働省の全職員が、解決までの間賞与や給与のカットをすればいいのです。それで足りなければ、省庁をひとつの組織とみて、全国家公務員の給与、賞与カットによる「組織責任対応」をすればいいのです。
なぜなら、民間は皆そうやって、先達や他部門の失態であっても、組織を倒産させないために、維持発展させるめに辛酸を舐め苦境を乗り越えて来たのですから。

今回の問題でも、首相を再度の「政治決断」に突き動かしたものは、官僚たちの「国家責任」的責任感からの助言ではなく、内閣支持率の急降下という政治家的危機意識以外の何モノでもなかったのです。あまりに情けない限りです。

国やお役所や役人が、いつまでも旧態依然とした“親方日の丸根性”で、「責任感に裏打ちされた当事者意識」と「組織における責任の連続性と連帯性」を、認識しない限り、同じような問題は何度でも繰り返されるに違いないのです。