静聴雨読

歴史文化を読み解く

鶴見俊輔『思い出袋』

2010-10-03 09:48:28 | 歴史文化論の試み
鶴見俊輔『思い出袋』(2010年、岩波新書)を読んだ。
最近7年間の短文をまとめたもので、82歳-89歳の文章だ。

以前、「私のバックボーン」というコラムの中で、次のように述べた。
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鶴見俊輔。私の最も尊敬する哲学者です。アメリカの分析哲学から研究生活を始めたようですが、これはよく分かりません。本人も分からないようですから気にすることはないでしょう。
目線の低さが誰も真似できないところです。庶民・常民・おばさん・がきデカ、誰とでも意見を交わすことができ、誰からもそのいいところを吸収できるという特技は余人を許しません。戦後、雑誌『思想の科学』を興し、「限界芸術」(専門家でないものによる、芸術か芸術でないかはっきりしないような芸術)論を唱え、漫画を読んで「ムフフの哲学」を唱えたのも、目線の低さの然らしめるところでした。『鶴見俊輔集 全17巻』(筑摩書房)と『鶴見俊輔座談 全10巻』(晶文社)は(アメリカの分析哲学を除いて)読破しました。
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今回の著作では、鶴見の育った環境だとか依拠する信条とかがよくわかる。

その1。
鶴見は、小学校・中学校では不良学生で、中学校を放校される。圧倒的な母親の権威に強く反発したのが原因だ。

その2。
政治家の父親(鶴見祐輔)の手配で、中学校を放校された鶴見はアメリカに渡り、ハーヴァード大学に入学して、アメリカ分析哲学を専攻する。小学校・中学校の不良学生とのギャップには驚くばかりだ。

その3。
日米開戦に伴い、アメリカの捕虜となり、日米捕虜交換船で帰国する。

その4。
海軍に入り、インドネシアのバタヴィアで通信兵として過ごす。カリエスの病を得て、内地送還。

以上が20歳代半ばまでの、鶴見の履歴だ。
この間に、アメリカに対する見方を育み、日本に帰るかどうかで悩み、日本の軍隊に対する見方を勉強し、敵を殺す命令に従うかどうかで悩み、というような経験をする。

これらの経験が、戦後の鶴見の活動(『思想の科学』誌の創刊、アメリカ軍脱走兵をかくまう運動への加担、など)を規定したということがよくわかる。

鶴見の文章は断片的で、時に、読んでとまどうことがあるのだが、今回は、短文の中に、断片的な文章がピタリとはまっている印象を受ける。 (2010/10)



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