Velo-city

"It never gets easier, you just go faster."

20-40: A comfort zone of discomfort

2014年05月30日 | トレーニング

Domestique: The Real-life Ups and Downs of a Tour Pro
読了しました。プロ未勝利にも関わらず、プロチームから引く手あまたであったアシスト一筋チャーリー・ウェゲリウスさんの自伝。
今はGarmin SharpでDSしてますよね。

本の終り近くに、印象的な部分がありました。このフレーズをリフレインしながら、個人TT 20kmの旅にでました。

I plunged myself into that familiar zone of discomfort. I felt good, my legs pushed hard, but my hands were relaxed ... I fould my pain threshold and kept nudging at the edges of it to allow me to find more, to go faster.
『私はいつもの快適な不快ゾーンに身を投じた…気分はよい、脚はもっと踏み込める、だが手はリラックスしている…苦痛の閾をみつけて、その端っこをチョンチョンとつついてみる。もう少しひねりだして、もう少し速く』


大黒20km ITT リベンジマッチ

Lap 1 余裕、鼻歌
Lap 2 先行き不安
Lap 3 やっと1/6か…
Lap 4 一周一周しか考えないようにしよう
Lap 5 まだ半分にも達していないのか
Lap 6 まだ距離は9km。半分以上残しているのか。
Lap 7 もう残りの距離は考えないことにした。メータは平均40.5でずっと止まっている。
Lap 8 バックストレートが向かい風で苦しいと思ったら、実は一番スピードが出ていた。
Lap 9 ニャンコを轢きそうになる。一番苦しい時間帯、だけどなんとか20km持つかもしれん。
Lap 10 ダンシングやボトルの水の飲んで気分転換したいけど、そんな余裕はないわ。
Lap 11 もう苦しみに慣れた。心拍178とか見えるけど。ペース上げられないけど、一周一周しっかり走れている。
Lap 12 後10km今追加されても多分走れる。

Distance: 20km
Time: 28:42
Ave 41.4km
Ave HR: 172

自分に勝てたのはデカイ。ちなみにブランク前も含めて自己ベストでした。

帰って祝杯。ぷっはー!

10kmの壁

2014年05月29日 | トレーニング

福助湯。イェー

そういえば、Funride タイムトライアルシリーズが迫っているんだった。
距離は21kmオーバー。しかもエントリー時は未登録の部だったが、その後登録したのでクラスも登録の部へ。
こりゃやばい。体をならしておかないと。

港北夜練も行きたかったが、大黒様へ。
今日は風もなく良コンディション。いつもは10kmで白旗を上げてしまう個人TT、20km走り切れるでしょうか。

結果は…
10.5km (挫折)
Av 41.9 km/h
Av 171 bpm


11kmで「もういいや」と思ってやめてしまいました。
気持ち弱ぇぇ・・・

乳酸閾値のギリギリ下あたり、「ここを越えなければギリギリ爆発しない」という微妙なゾーンで走り続ける感覚は段々体に染みついて来たかも。自分を苛めながら「やめたい」と悲鳴をあげる体を、「いや、まだできる」とメンタルで騙し騙し抑え込むあの感覚。今日も11km地点で「あ、20km持つかも」という脚の感触はあったのですが、「でも、9kmも残っているのか。キツー!」という心の囁きに負けてしまいました。

やっぱり独りで追い込むのはきついなぁ。本当にメンタルだと思います。悔しいのでまた再挑戦だ。


機材ですが、新型リア・ディレーラー Shimano ClariSは絶好調です。これに換装してからずっと自己ベストが出ています。
お勧めです!爆安です!


ハンドルはスペーサーなしの所まで下げてしまいました。Sサイズのフレームなのでこれが限界。
サドルも2mm位上げようかな。ハイトに問題はないんだけど、上死点の膝がすこし窮屈な感じがするので。

次回リベンジするときは誰かを巻きこもう・・・

Tour of Japan 4th Stage Mt. Fuji 自走観戦

2014年05月24日 | レース


2010年に有給をとって平日観戦して以来、あの23%コーナーの独り占め感が忘れられず、また性懲りもなく応援に行って参りました。
本当は輪行して、帰りは電車でビールでも飲みながら帰るつもりでしたが、結局往復自走に。

須走に7時半には到着していたいので、自宅出発は朝の3時半になりました。微追い風で快調に246を西へ西へ。


タイヤをビクトリアOpen Corsaに久しぶりに替えました。しなやかさMAX!皮剥きも必要ありません。シルキーな乗り心地にニヤニヤ( ^ω^ )
一部下りでよれるんでね?という意見がありましたが、そんなことは決してなく、下りでもロックソリッドなコントロール性でした。先日25mmの乗り心地を絶賛しましたが、それに匹敵する乗り心地を23mmで実現できていますね。

頂上までの観戦ツアーバス(無料)に荷物を預けて、いざ出発!しようとしていたら友人の奥方を発見。また、弱ぺ女子二人組が、頂上に観戦にいく様子だったので、頂上ではなく狩休下の43%コーナーで観戦することを推しました。


では、出発!ここまで95km、バイクも体重もなにもかも重いので、タイムは250Wで登って1:10:00でした。遅すぎる~~~
ギアを32Tにして、2kg痩せて280Wで登れば1時間は切れそうだな。あ、あとカーボンバイクねw

後ろから知り合いを乗せたバスが来るのがわかっていたので、登坂中はいつ抜かされるのかとヒヤヒヤしていました。そしてバスの音が後方から来たのは、よりによって一番きつい23%の後の壁区間!一番蛇行したい所で直登を強いられ、死にました。

ま、練習をかねての観戦ですが、あくまでメインは観戦ですので、頂上はささっと冷やかして、荷物を受け取り(バスがゴールから更に100mくらい上に駐車しているという罰ゲームつき)、下山します。

そして弱ぺ女子と狩休下で合流し、23%区間に陣取ります。

待つことしばし、レースラジオが展開を絶叫する中、山の下のほうから車の音が聞こえてきました!
先頭が迫っています!。


MAVICがきた!










先頭はなんと!俺様!


ではなく、この日コースレコードは出した、ミルサマ・ポルセイェディゴラコール 0:38:51
ヒルクライムはP/Wでも、脚力でもなく、体幹と腕力なのがよくわかる。

イノシシ、カモシカの類。獣のように登って視界から消えていった。詳しくは、YouTubeに動画をあげたのでご覧あれ。


イランのチームが、集団を粉砕。強すぎ?胸毛のあるほうが、逃げていた2人の1人
KOLAHDOZHAGH Amir 0:40:28
もう一人の胸毛のあるほうが逃げていた2人の1人
MIZBANI IRANAGH Ghader 0:40:44


使用バイクですが、オーストリアのKTMバイクみたいです。ホイールはLightweight


総合一位につけるBOLE Grega (NIPPO) 0:41:04


この、インべたの傾斜が・・・それを上位集団はみんなインべたを攻めていった。


MONIER Damien 0:40:17とCARTHY Hugh (Rapha Condor) 0:40:10


PRADES REVERTE Benjamin 0:41:35
Ultegraですか。


なぜみんなインをつくのだ!おかしい!


健闘の清水みやたか0:42:37と増P-!0:42:39


This is road racing.


初来日の海外チームは、あざみのギア選択をよく間違えます。ランプレもその例にもれず、多くの選手が蛇行していました。




CONTI Valerio 蛇行しても42分かいな。


蛇行を許さぬ非情なチームカーの隊列w


POZZATO Filippo 0:48:08


一人だけごつい!さすがクラシックハンター


終始アシストを従えていた。彼の名はPALINI Andrea Francesco


子供とおとな


アシストとエース


Each is on their own.


MIYAZAWA Takashi


Duraもいれば…


Ultegraもおる。


スプリンターにとっては、災難な日でしたね。

レースレポートはこちら。アウターって…
今日の教訓は体幹と上半身。このレベルになり、この斜度になるとヒルクライムは心拍でも高回転でもなく、以下に体幹を保持し、ダンシングをし続ける上半身を維持できるか。上位の選手はみなパワーダンシングで登っていた。それを続けられる頑丈なエンジンマウントが必要だ。


Today's winning bike

+++

復路は残り110㎞を道志道経由で。
途中籠坂峠で六本木店のJimさん、道志道で小野てんちょ一行とすれ違うという、平日なのに知り合いとよく合う道中でした。







新緑の回廊に心を洗われ、脚は完全に焦げ付きました。


219.0km
9:02:23
3,482m up
202W NP
5,683kJ
Avg Speed 24.2km/h
Calories 6,337

Shimano Clarisにアップグレード!!!

2014年05月20日 | インプレ

クラリス号、デビュー☆

壊す神あれば、拾う神あり。
こんにちは、メカトラ王、破壊王ニャロメです。

今日のお昼のこと。

小野てんちょからメール。

ホイール組んでいるんですが、いかんですわ。リム穴にクラックが入っています。
しかも、複数w

「やばい、ばれたか・・・」





知ってたw

KINLIN XR-300は、ハトメが軽量化をねらって弱いので、ここの品質が悪いのです。
以前、Wheelbuilderにも指摘されました。かのサイトでは、もう取り扱っていないそうです。その時のやりとり。

Osamu,

You may want to consider more durable rim options such as the DT Swiss 440, the Velocity A23, and the HED C2. They are all more durable than the Kinlin rims. We have moved away from building with them due to spoke hole cracking on some rims. We no longer have the PRO hubs in stock as they are no longer in production. You should take a look at the lighter and stiff G3 hubs. Thanks!
Jon O.


とりあえす川崎店には作業ホールドをお願いします。リムを探さなくては。

もう一件、ISOYA成城店に先日の埼玉TTで破壊されたRDの修理をお願いしていたのでした。
ついでにホイールバランス調整サービスもはじめたらしい。ということで、空転させると前に横に家をゆらすばかり振れていたディスクのホイールバランスをお願いしていました。(ちなみに、5月中は会員は半額らしいですぜ~)
その際、RDもUltegra新品に交換する予定でしたが、ちょっとしたコミュニケーション不足により、交換するRDが川崎店においたままになっており、RDの交換が済んでいませんでした。

電話したところRDが交換されていないことが判明。困りました。RDがないと家に実走で帰れない。T所てんちょに泣きつきます。
30分後、てんちょに電話すると・・・
「ニャロメさん、なんとか動くようようにしておきました!全然問題ないですよ!」
おそるおそる、聞いてみます。「何のRDにしたのですか、105?」
てんちょ「いえ、クラリスちゃんです!パーツ代はサービスしちゃいますよ。」
「確かに定価は1900円ですが…」
でも、クラリスって8速じゃなかったっけ??
疑問だらけで、成城に向かいます。


厚木からは成城のほうが断然近いことが判明。


うへー!本当にクラリスがついている。なんかかっこいい!金型がずらっぽい。

そして、あんなに地鳴りを起こしていたディスクホイールがピタッとおさまって回転するようになっています。これはすごいわ。

で、さっそく試乗をかねて30kmの帰宅ライド。
ホイール:
回転のふれがなくなったことの、平地で踏みこんでいる時の抵抗の少なさはよくわからない。ただし、空転時および登坂時のダンシング時の回り方のスムーズさは特筆もの。
結論をいうと、速くなるかどうかは別として、速くなったフィーリングは十分に享受できるかと。
特にディープカーボンの人は登りで明らかに回転がスムーズになるから、ダンシングは気持ちよくなると思います。

RD:クラリスのクオリティ高すぎでワロタwwww
可動域さえ合っていれば、シフターが位置決めを担っているわけだから、Clarisでも10速引けるんですね。
全く問題なくスパスパ入ります。全然問題なし。
どうせ壊すんだから、1900円のクラリスでもいいかもしれませんね(背中)
ただし、プーリーの回転がぬめっとしている気がしたので、プーリーはズラのそれを引っ剥がして移植しようと思います。

まいりました、シマノの品質管理。一番のローエンドの品質でさえ、ここまで素晴らしいとは。

というわけで、今年は日本一速いClaris使いを目指したいと思います。


Go West朝練 横浜~静岡個人TT (勝手にHomecoming)

2014年05月18日 | 長距離
土曜日の門限は珍しく遅く、14時。本当に珍しいことであります。
ということは、12時の浜松駅に間に合えば・・・ということで、GoWest朝練を敢行。
ところが、浜松まで250kmを時間内に走るためには、どう考えても家を2時半に出る(オイヤメロ)必要があるところ、さすがにそんな早い時間に起きられないので、家を出たのは3時半でありました。



未明の16号は空いていて走りやすい。順調に進んで、4時になるところで246に入った。
こんな早朝に走っているアホローディは俺くらい!ヤッホ~と走っていると。


こらー!そこの変なおじさん!と呼び止められました。

サトウさんではないか!
なんでも門限が9時半でヤビツに登るためには、この時間しかないんですと。
それにしても、早起きしすぎでね?


せっかくチームメイトも得たことですし、利害一致。

名古木まで交代して走ると、あっという間に到着。平均32km/h。ここでお互いの健闘を祈り、朝の5時なのにお別れします。

善波峠下ったところで平均31、このまま246ルートで御殿場越え、登りで平均を失って登り切った所で平均が29kmでした。

小山の田舎道をダンシングで登っているときに、「ぴゃかーん」とあの音が。そう、あの音が。


スポーク折れました…

リタイヤも考えましたが、ブレーキアーチを広げると後輪はフッレフレのうねうねですが、まぁ走れないことはない。
後輪にブレーキを当てると、シャリシャリ音が尋常ならざる爆音を奏でるので、後輪ブレーキはなるべく封印。
後は五感を徹底的に鈍感にして走ることにしました。良い子はまねしないように。
(後日、スポーク折れたまま100km TTしたと言ったら店長に怒られましたw)


本当にいい天気。富士山が360度どこからでも拝めました。

246は、登り切ってしまえばあとは三島までの極上ダウンヒルがまっています。29kmだった平均も30.4まで上がりました。(後輪からは変な音が・・・)

沼津から富士まで、松林の内陸側の道路を通ります。向かい風ですが、信号もなく、時々一般車両が風をさえぎってくれますので、修行ではありましたが更に平均時速をあげることに成功。

実はこのルート、2007年の東京大阪キャノンボールの時通っています。


富士の手前、吉原にて二回目の休憩。だんだん暑くなってきました。


一度富士市内に入ります。このあとさわやかハンバーグの前を通過しますが、まだ開店まで2時間もありますがな。




富士川。ここまで120kmでアベ30.4km。ここまで距離が長くなると、ちょっとスローに走った位では平均速度表示はビクともしません。その代わり、一度目盛が下がると、取り返すのも大変です。

都内で短距離だと、平均30kmを目指すには巡航38-40が欲しいところですが、地方の国道は信号がないので、33-35で巡航できれば平均30kmは普通にキープできる印象。ただし、ただし、それを延々と5時間やるのは「補給面」でつらいのです。


由比にくるとバイパスなので、自転車は側道に追いやられます。ここのトラップが一層わかりにくくなっていました。

ここからは疲労+退屈により写真がありません。今思えばハンガーノックの前兆だったかも。というのは・・・
人間の常時備蓄エネルギー:2000 kcal
今回のライドのトータル消費エネルギー:4565 kcal
消費目標:2565 kcal
実際の消費(コンビニ中心): 1200 kcalくらい。

通常のライドですと、1時間あたりの消費量は800 kcal位。ということは5時間ちょいで4200 kcal。今回はそれをかなり上回っています。摂取するより先にTTモードでどんどんエネルギーが出ていってしまう感じ。
結論としては自転車でやるITTは160-200kmで普通はエネルギーのほうから先に枯渇するような予感がします。今日も脚より先に体に力が入らなくなった感じでした。次回への教訓にしましょう(って何の?)

草薙に入ったところで、以下のような記録でした。Misson Accomplishedということで、後はポタリングにします。
160km ITT
Av 30.2km/h
Av 203W
4094KJ

個人的に「一般道ソロでAv 160km」は調子をはかるよいバロメーターなので、ちょっと嬉しかったり。なにせノーマルバイク、向かい風の静岡だし。
PowerCal計測ではあるもの、5時間17分間Av 203Wでローラーをやり続けたのと同じくらいのダメージはありますw

せっかく静岡まで来たし、いつもは素通りしてしまう母校を24年ぶりに訪れるチャンス!と考え日本平へ。そこには24年前と変わらぬ青春の原風景が待っていました。



東名高速を行きかう車のタイヤ音
駿河灘の遠景
茶畑の緑
谷を越えてみえる日本平
ボロイ寄宿舎
路面のわるい外周道路
砂糖のはいっていない薄味のコーヒーが入っていたポット
遠くに南アルプス
振り返れば富士山の頭だけ
宇宙空母のような校舎

ここで5年間の青春を過ごしました。
行ってよかった来てよかった。
今度はゆっくり市内に泊まろう。


5時間半かかった道のりを、1時間で帰ってきました。

もうじじいなので、翌日はActive Recoveryの予定。脚がありません。
といっていて蓋をあけるとどうなったか・・・はこちらの記事で。

エルゴパワーの下ハンスプリント時の使い勝手について

2014年05月18日 | インプレ
仮説:カンパエルゴパワーは、下ハン時の利用はスプリントを想定していて、高速巡航は想定していない?


前日160km個人TTで脚が閉店状態だったのですが、スポークも折れてしまったことだし、お昼に新宿御苑でチビ太出迎えという楽しい用事も仰せ使いましたので、日曜日朝はISOYA川崎店の朝練へ。

店に行っても今日もメンツはまばら。(ハイシーズンですしね)
ニャロメ、師匠、BKの3人で出発しますが、途中でtezzさん、Y溝くん、岡ちゃんがドッキング。
tezzさんが大森海岸で50kmで牽いて、「ひぇ~」となっていたら、そこからさらに岡ちゃんがかぶせてきおった。
そして散々先頭でアタックしたあげく大井ふ頭へ消えていきました。殺り逃げか。
それにしても、前日160kmちかくMTBで練習しているtezzさんが強い。今日の第一集団は、Active Recoveryのつもりで参加した二人が集団をひっかきまわして結果的に他人のペースに引き摺られているうちに元気になってしまうという、Passive Recovery練となりました。

■五反田の坂は二番手からもがいたものの、動きを読まれて頂上近くで師匠に刺される。
■麻布坂は一番下からもがいて後続の心を折って作戦勝ち。遅くてももがいている姿を後ろに見せることが大切♪
■首相官邸前は速めにしかけすぎて後ろからまくられ終了。
■その後皇居一周流す。
■復路は六郷大橋スプリント一本勝負。
アプローチのランプを師匠が一本引き。これは助かりました。45kmくらいで坂を登り切り、最初の継ぎ目でしかけようと思いましたが、自重。(後ろで誰かに見られている気がした)
残り100mでもがきMAX開始。ギアを2枚重くして、腕でハンドル引いて腹筋でステムを引き起こすイメージで。
後ろを見るとtezzさんが横に並びかけてきますが、そのままトップエンドスピードをキープして先着~♪
最後まで垂れずにもがき切ることができました。MAXは55km/h

通常はカーボンバイク、およびTTバイクでISOYA朝練を出ていたので、あまりクロモリ檸檬号でスプリントすることが多くなかったのですが、今日気がついたことがあります。それが冒頭の啓示でした。

仮説:カンパエルゴパワーは、下ハン時の利用はスプリントを想定していて、高速巡航は想定していない?

最近スプリントするときは、脚で踏みこむことはあまり考えず、とにかく上半身を使うことを意識しています。雑巾をしぼるようにハンドルをねじって握り、手前につよく引く。腹筋を総動員してハンドルを起こす反動がつかってもがく。そのような使い方をする前は、下ハンを握ってシフトダウンするのが面倒くさくてしょうがなかったのです、実は・・・


アップポジションからのエルゴの使いやすさは、いまさら説明の必要はあるまい。


しかし、下ハンの下部分を持って高速巡航している時、シフトダウンをするのはなかなか難しい。


親指が遠いのである。
「やべ、一段重くする筈がまとめて二段重くしてしまった。」

ということがよくあり、仮にそこまで下手でなくても、シフトダウンには微妙な力加減が必要で、神経をつかうものであった。(当社はシマニョーロを使用w)


しかーし!である。下ハンでモガくとき、引き付けやすいようにRのきついところを強く、「雑巾をしぼるように」手前に引くことになる。


こうなると、スプリント時のダウンシフトは快適なものになる。


あっ!このポジションは、DI2と同じではないか。

…エルゴパワーかって4年以上経つのですが、こんな大切なことにやっと気が付きましたw

ホイールさえなんとかすれば、クロモリ檸檬号でもレースできるんじゃね?と思った日曜日の朝でした。

++++++

そんなこんなでオヤジ達の自己満足朝練は終了!車を走らせ新宿御苑に向かいます。


靴を忘れた…裸足であるくか。


快晴の下、緑がいっぱいの広い空間。チビ太はご機嫌でおネエ走りをしていました。


関節が十分に発達していない幼児に、本気でジャイアントスイングの大技をかけると、脱臼する例があるそうです。まじで気をつけましょう。


でも、子供は喜ぶんだよなぁ。見てよ、この100万ドルの笑顔。^^

復帰第一戦、埼玉TT 2014

2014年05月12日 | レース


2年ぶりのレース。最後に出たれゑすは・・・2012年の同じれゑす。TT好きなんですね。
まずは復帰への足がかりとして、出るだけ出ようと未登録10kmの部へのエントリーを決意したのが一ヶ月前。
その後、T芝アキオキャプテンから
「ニャロメさ~ん。TTTもやりましょうよ。」
と誘われ、自信がないままにOK。このためだけに選手登録、個人TTのクラスも未登録から登録に変更。
直前の大黒埠頭の練習で
個人⇒10km Av 41km
TTT⇒20km Av 42km
に到達したことで、「できるんちゃう?」と変な自信を持って当日を迎えました。

個人的な感覚として、「大黒埠頭+1の法則」があり、これは大黒埠頭のタイムに+1をすると大体利根川の平均時速になる、というものです。これが私の変な自信の根拠でした。

今回はニャ嫁さんもチビ太をつれてのレース感染(半日コース)に同意してくれたので、朝6時45分に家を出ました。
会場には8時45分に到着。
(注:実はコミニュケ良く読んでいませんでした。エントリーは8時半まで。ですのでエントリー間に合わず、ペナルティです。というわけでこのスケジュールは子供連れにはモトモト無理なことが判明。)

さてさて、会場について、自転車にホイールをはめると何か様子がおかしいです。
チェーンが「だらーん」としています。このままでは走れません。
どうやらRDの下のプーリーガイドのところが、ばねが利かず前方に曲がったまま。チェーンのテンションが張れていません。(決してチェーンをねじってしまったわけでも、チェーンラインがあべこべなわけでもなく。)

アキオさんの車の横で困った顔をしていじっていると、横からトコトコ親切そうな顔をした方が歩いてきて、いろいろアドバイスをしてくれました。
「チェーンラインかな」
「位置決めボルトを飛び越えちゃったのかな」
あらあら、この人はRDの分解も始めてしまいました。
「全部違うな。ひょっとしてスプリングがおかしいのかな。」
あらあらあら、内部の分解が始まりました。この御仁、ただものではありません。私としてはすがり付く思いで作業を見守ります。


「ありゃ~。これはスプリングがだめになっていますね。このスプリングだとプーリーガイドが戻りません。」
「スプリングをペンチでむりやり曲げるか、ディレーラー交換ですね。」
・・・
個人TTのスタートはもう30分後。ここで泣く泣くDNS決定です。
スペアのRDを持っている人は・・・いるわけないです。
誰かのRDを強奪するか、固定ギアで走るしか方法はない。ここで女神が登場します。
まゆこ「女子のTTが終わったら、まゆおのRD貸すよ。」

これで方向性が決定しました。10時半にまゆこさんが戻ってきたら、達人に依頼して、RDを強奪して移植することにしました。


ところで、このRD分解の達人、何者でしょうか。ただものではありません。後で調べてみると、地元企業、日本ロボティックスの方でした。この日会場で、前輪のホイールバランスを無料で診断調整するテントがあったと思います。そこの主でした。
本当にありがとうございました。貴殿のおかげで、チームメイトが3人のところを2人で走らずに済みました。


この後、トミザーさんご子息とリアルで初対面したりして少しの間チビ太と遊びました。レース会場に子供をつれてくると、レースを忘れて一日中のっぱらで遊びたくなってしまいます。いかんいかん、今日はチームメイトとレースなのだ。許しておくれ。

チビ太は鯉のぼりを見たり、グライダーを見れたりして結構楽しんでいたようです。この後、栗橋駅に母子ペアだけ先に帰宅しました。





河川敷を20分ほど風向きを確認しながら走って、アップを終了。脱脂綿にハッカ油をさして鼻にぶっこんでプロ気取りです。いよいよスタートの1時が迫って参りました。



<作戦会議>
アキオ「目標はアベ44kmね・・・」
一同「オエー」
アキオ「追い風区間は50km、向かい風区間も42km位ね。」
一同「なんか人外の会話をしておる・・・」
アキオ「スタートして6km追い風、10km向かい風、4km追い風ね」「向かい風10kmここがきついから3人でまとまって声をかけながらいきましょう」

スタートラインに並ぶと、あっというまに出番が回ってきました。
2年ぶりにこの場に戻ってこれました。感無量。笑顔が隠せません。

スタート、クリートは問題なくキャッチ、アキオ ー ニャロメ ー ノリックの番手で進みます。序盤はアキオさんペースメイク、ニャロメペースキープ、ノリックペースセーブで行く作戦です。


スタートしてから2kmの長い区間をアキオさん1人で引きます。この日は逃げ水が見えるほど気温が上がりました。


追い風ですので一度スピードに乗ると選手交代は不要なのカモ。スピードを見ると・・・
50km
あれ?意外と楽。交代して先頭にでて1km引きます。巡航は48-52km位。
心拍は・・・
170~180台
最初の追い風区間はAve 48.4kmでした。追い風TTTって凄いですね。追い風、とはいえ微風で、おそらく風速は3mくらいかと。
しかし、前半で既に心拍180に入ってしまいました。本当に持つのでしょうか。
6km地点で折り返し、10kmの長さがある向かい風区間に入ります。地獄の始まりです。

向かい風区間、ここから地脚の差が出始めます。アキオさんが先頭を引く場合は、アキオさんが「おしまい。お願い。」とハンドサインを出して交代するのですが、不肖ニャロメが先頭を引く場合、サインを出さなくても本人が勝手にへばるので自然に抜かれてしまいます(号泣)


ノリックさんもしっかり先頭交代でチームに貢献。そして半分以上はアキオさんが先頭を切り裂いて進みます。

心拍は既に180台にはいって10分以上が経過。すでに脚を見せる、使う、どころかどのようにしてこの煉獄の巷から生存して帰るかが焦点となってきました。

基本的にこの区間はアキオバイクのシートステーを見つめていた記憶しかございません。

10km経過して、S/G地点に戻ると、観客が応援してくれ、カメラを構えた友人知人もたくさんおります。ここで先頭にでると格好いい写真を撮って もらえることはわかっていたのですが、ブロガー魂を発揮しようにも、先頭を奪う脚はございません。




こうやって写真を後ろから見ると、おいらの後部座席は無風に見えますね♪

ひたすら歯を食いしばって遅れないようについていく、先頭交代の順番が回ってきたら、ペースを落とさないように、短い間でも引く。隊列に戻る際に脚を使わないよう、集中する。
結局、向かい風区間10kmのアベレージは
41.1km
心拍の平均は186!でした。

折り返すと、残りは追い風区間残り4km。ここからはペースを50kmに跳ね上げて、上げ上げで終わらせるのが当初の作戦でしたが、もう生き残るので精一杯。「しがみついてでも千切れない」「千切れない」もう記憶が飛び飛びです。だって心拍190ですから(爆)

20秒くらい前を走っていたPiacere Yamaチームを、14kmあたりでパスしていたのですが、どうやらペースメーカーに使われていたらしく、このあたりから抜きつ抜かれつのデッドヒートになります。これがよい気分転換になりました。
残り2km、ノリックさんが「もうこれで千切れます!!!」宣言きました。うお~とうとう二人になっちゃった!と思っていたら・・・
その1分後、なぜかノリックさん再ドッキング。「ゴールが見えたからがんばっちゃいました。」


最後の1kmは驚異的な地脚を見せたノリックさんが先頭を牽引。おいらは息も絶え絶えでゴール!!もうダンシングする力も残っていません。心拍193ですからw



追い風ラスト4km
Av 48.4km
Av HR 189
Max HR 193!
Av Power 295

気持ち的にはもうちょっと頑張りたかったが、このデータを見る限り、全力出してますね・・・
最後の500mで出し切っているので、やはりキャプテンのレースコントロールはさすがであったとしかいいようがありません。

ゴール後、プチゲロ。幽体離脱してスタート地点に戻ります。


「し、死ぬ~っ」
追い込みすぎて口の周りに白い塩が付いているところをダダに指摘される私。

記録は20km Av 43.9km 惜しい!だがアキオさんによるといいタイム。
確かに昨年5位入賞のタイム(Av 43.8)よりは速いので、どのくらいの順位か気になりますが・・・


今年は全体のレベルが高く、昨年度5位のタイムでも10位でした。レベル高すぎー

そして個人TT 20kmで我々チームより速いタイムで走った化物がX人います。おそろし。


自分で言うのもなんですが、みんな出し切った清々しい顔で必要以上に爽やか♪
スキンスーツは旧型が好きです、腹筋が見えるからw


来年は化物退治を致しましょう。

やはり、半年程度の付け焼刃的練習ではチームのお役に立てません。もう少し実力の底上げし、後半のペースアップにもモリモリ貢献できるように
なりたいもんです。アキオさんが二人いれば、Av 44半ばは可能ではないかと・・・
そのためには、ソロ20kmでAv 42か。これまた大変だ。

今シーズンはFunrideタイムトライアルシリーズが後3戦残っているので、TTマシンもまだ出番がたくさん残っていそうです。


帰路はBEX成城によって、田所てんちょに2年ぶりにやっほーできました。


母の日でしたね。

42でぐるぐるぐる(@@)

2014年05月09日 | トレーニング
2年ぶりのレースが今週末に迫って参りましたっ。
ブランク前の90%くらいまでは回復しておりますが、結果はあまり高望みできません。ひとまずこの場に戻ってくれたことを嬉しく思います。

アキオキャプテンからチームTTのお誘いを受けたのが数週間前。その時点では登録選手ではなかったので、このためだけに選手登録を完了!w
晴れて竹芝サイクルレーシングでTTTできることになりました。

しかし、フルメンバーで一度も練習をしていません。ノリックさんに至っては初めてのTTバイクを組み上げたばかりとか。しかも風邪引いたばかりで病み上がりなんだそうで。ブラジルW杯ではありませんが突貫工事をしましょう、ということで木曜日の夜、南風7mが吹き荒れる大黒埠頭に集合致しました。メンバーは:


ノリック、アキオ、ニャロメ


牛が一頭混ざっていますね・・・Orz
体重70kgを目指してがんばろー!(一年前89kg、今77kg。これから削るのが大変!)


ノリックさんのP3はYu-ki君のあれですね。MAVIC COSMICは80mmか!光を当てると暗闇で光るロゴが格好いい。

今日の目標は20km走ること。とにかく走りきること。
そのために、3人列車の最後尾の車掌として、鬼監督MASAに控えてもらうことにしました。最後尾に監督が乗車しているので、もし誰かが列車から降りた場合車掌が列車運転に加わる算段です。それでは20km TTT開始!

前回、前半の高揚感で飛ばしすぎ>長く引きすぎ>後ろにさがって隊列に復帰するときに脚を使う、を繰り返し疲弊>12kmでギブアップ。という経験をしてしまったので、やや抑え気味、また最長で半周しか牽かない、と言い聞かせ前半をやり過ごす。10km終了時で平均40.8位。いい感じ。アキオ4:ニャロメ4:ノリック2で回す。ただし一度先頭から降りて三番手に入るところで脚を使ってします。コーナー立ち上がりも先頭が一番楽そう。ラインがバラバラでコーナーに入り、出て行くのでここで地脚の差がでる。ノリックさんももう少し短めに引いたほうが良いかもしれない。もしくは番手を飛ばすとか。(そういえば風邪ひいていたのではないか)

向かい風のストレートのコーナーからの立ち上がりでアキオさんが抜け出してしまうことが多くなる。中切れしてるの俺かw。ダンシングして詰めると後ろのノリックさんに悪いし、徐々に詰めると俺が疲弊するし、難しい。

12kmあたり。後ろからペースダウン!の声がかかる。ここで先頭は二人で回すことに。自分もかなりつらくなっていた。こういう中盤の序盤でもっとチームメンバー同士で声を掛け合うべきだった。励まし一つ、罵声一つで集団はすぐ活性化する。本番ではやかましく声を掛けていこう。

一周後、付き位置になった筈のノリックさんが猛然とかぶせてきた!すげぇぇ!と思ったら影武者MASAおじさんでした。
助かります!お願いします!ということで1周半後ろで休ませて頂きました。さすがに一周半は休みすぎで、その間はアキオさんがほとんど牽きっ放し。脚が復活したのでラスト2周から先頭交代に戻ったら、今度はペースが速いと怒られる。基本的に最後の3分の1はアキオさんの独演会でした。

結局19.6km位で計測終了。Avは42km/h。
本番では、以下を気をつけたい。
★序盤は抑え目。
★中盤は集中、声かけ、励まし。
★なるべくローテーションはコンパクトに。(本番はコーナーの少ないOut and Backなので助かるが・・・)
★なるべく長い間3人で回す(番手飛ばし、付き位置は早めに表明する)

横浜~直江津345km エピローグ 「次の停車駅は新潟です」「えっ」

2014年05月05日 | 長距離

350km味のビールは、骨まで染みた。くぅ~。
海辺の真っ暗な階段で着替えて、携帯お手ふきで体を拭き、一路直江津駅へ。
20時52分発、最終電車の特急「北越」で横浜に帰ります。
この列車で長岡で上越新幹線最終に乗り換えれば、夜の1時に新横浜に帰着可能。

そう、乗り換えができれば…

+++350kmの顛末+++
[1] 誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「これはナイトライドではなく、禅だ。」
[2] 誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「漬物石太郎の苦闘と根性」
[3] 誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「渋峠は自走に限る」
[4] 誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「何キロで牽けばいいですか。」「ゆっくりで」
++++++


「北越」入線。おぉぉぉ。ヨンパーゴ系だ。まだ現役なのか。

40年?いやもっとか。半世紀を走り続けた国鉄特急。足回りがとてもいい感じ。
モーター音と、揺れが眠気を誘います。外は真っ暗。直江津、柿崎、柏崎・・・初めて訪れる地名が並びます。


いい旅だった。余韻に浸りながら次から次へとビールをパカパカパカッ!

長岡駅到着は9時42分。

… 

そして車内を流れる国鉄唱歌のチャイム♪

「次は終点の新潟~にいいがたああああ~」
「なお、本日上越新幹線の営業は終了しております。」

( ゜д゜)最終電車寝過した


お、おう・・・

緊急事態発生!!このように、最終接続の新幹線を寝過した場合の晩回策は、以下の通り:
[1] 自走で東京へ帰る
ーー新幹線の切符は事情を考慮して再利用できる(窓口で説明すること)ーー
[2] 長岡か新潟に一泊して、始発の新幹線で帰る(指定席が無効になる)
[3] GW期間の臨時夜行快速、「ムーンライトえちご(昔の名前)」で帰る
[4] 臨時あけぼので帰る

鉄としては[4]が鉄板ですね。千載一遇のチャンス。緑の窓口でそのように申し出たところ(+6000円と値は張りますが)、
「新津駅で3時間待ちますけど、いいですか?」

「…」


ニャ嫁に出禁をくらいそうなので、チビ太起床前に帰宅できる夜行電車にしました。

しかたない、夜行列車を楽しむか!♪♪


撮り鉄


充当された電車はこれ。
国鉄色ヨンパーゴ!やった~!


車内はGWの上京客で満員でした。


このカラー、Trek Project Oneで注文したい。

自宅への帰参は6時半でした。帰宅後、嫁に怒られました…

+++笹団子川崎幸区のフーテン太郎さんに盗まれる事件+++


ISOYAの皆さまと山分けするはずだったお土産の笹団子。

一日おいて、4日の朝自主練に回復走に行って参りました。


回復ポタリングなので、Team Z姿で出撃。

ISOYAに着くものの、店員さんがいません。
非つくば組は何の連絡もうけていないので、ちゃんと中止のアナウンスをしてほしいよな~
仕方がない、みなさんを勝手に引率して、自主練行ってしまいましょう。

背中のサコッシュにいれた笹団子は、お店の脇のフェンスにくくりつけておきました。


行き先は横浜シンボルタワー。制限速度は30km/h!
(同時刻:土佐社長「ん!なんだこのサコッシュは?」「中身は笹団子。そうか、ニャロメ君のお土産か」「しばらく置いておこう。後で店長が出社したらみんなで分けようか」)


横浜に40年近く住んでいますが、こんないいところがあるなんて知らなかった。と横浜在住の3名が申しておりました。
(同時刻:川崎幸区のフーテン何某太郎「ん!なんだこのサコッシュは?」「中身は笹団子。そうか、ニャロメ君のお土産か」「わざわざおいらのために置いてくれたのか。そうかそうか頂きます」「う~ん。笹の香とあんこがうみゃーな。」)

数時間後、抜け殻となった笹団子のお土産をおの店長は手にするのでありました。

もう一度、笹団子買いに行きましょう!

誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「何キロで牽けばいいですか。」「ゆっくりで」

2014年05月04日 | 長距離
直前の記事は↓
誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「これはナイトライドではなく、禅だ。」
誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「漬物石太郎の苦闘と根性」
誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「渋峠は自走に限る」

+++前回までのあらすじ+++
太平洋~日本海を目指し勇躍横浜を旅立ったニャロメと林道の二人組。深夜の寒さと、上州からっ風に体力を奪われ、ヘロヘロになって高崎に到着。大休憩地点の健康ランド前で、先頭のニャロメは後方から大きな物音を聞いた。
それは林道太郎が漬物石に乗っかって大落車する音だった。大けがにもめげず彼女の待つ金沢へ走り続ける林道あらため漬物石太郎。ペースを落としつつも草津の登り口までたどり着いた。渋峠へのヒルクライムは、絶景補正がかかったのか二人とも意外なパワーを発揮しマイペースでクリア、過去最高の雪の回廊を満喫し、ご満悦の体で長野側へ降りる。
「後は日本海まで下りです」というわけにはいかない。制限時間は4時間。残りは100km。無事に直江津の人魚ちゃんにはあえるのだろうか。

++++++

2100mの頂きからの極上ダウンヒル。2時間半かかった登りを、1時間で降りてきました。
最高速は69km止まりでしたが。
新品の25Cタイヤのダウンヒルの安心感、衝撃吸収が素晴らしく良い。しばらくこのタイヤでロングを走ります。


信濃中野から飯山へ右折し、最後の峠、富倉峠の登り口の北飯山まで10km。この区間は向かい風の爆風が吹いていて、いくら踏んでも進みません。ここで二人相談。

ニャロメ「何キロで牽けばいいですか。」
漬物石「ゆっくりで」
ニャロメ「だから、何キロで?」
漬物石「ゆっくりで」

察しろ!ということでしょうか。25kmで巡航することにしました。


向かい風区間なので、単独走行は疲弊します。


次か次の次に日本海に来る時は、帰りはこれでぴゅーんと帰りますか。


いよいよ来ました。ここを左折して、標高差300mを登ると、後は長い長い長い長い日本海へのダウンヒルです。
かなり長いです。強調しておきます。


富倉峠は目分ですが5kmで250mアップ、平均6%。途中までやけにギアが足りないな~とおもったらアウターにチェーンが掛かっていました。平均210Wでヘロヘロになってクリア。
長旅の最後に平均6%越えは脚に来ます。


そして、とうとうやってきました!!!
このトンネルは、このルートで日本海を目指したものにしかわからない感動のトンネルです。
もう、登りはありません・・・


ウィンブレを着こんで、日本海側へ転がり落ちていきます。


その前に、朱鷺の看板さんにご挨拶。

…この後、直江津の海水浴場まで40kmを残していますが、ダウンヒル区間で漬物石さんが遅れ気味です。
下りでもペダルを回していないので、ひょっとしたらエネルギー不足気味なのかも?

途中数分待っても降りてこないので、登り返して見ると、道端で座っています。
「ハンガーノックみたい!補給食食べてる。」という声が返ってきました。

回復を待つ間、500m位の田舎道を4本TTしました。240W-260W位なので全くのショボショボw

ここから先は日も暮れ、疲労もマックス、漬物石さんの疲労も回復はするものの、今度は修電との時間の競争で私自身に余裕がなくなり始めました。漬物石さん、焦って先を急いでしまいすいませんでした。

7時に直江津のヤマト運輸センターに到着、ここで先に配送しておいた着替えと輪行袋の入ったメッセンジャーバッグを回収、後はビールを買って直江津海水浴場に向かいます。


そして、日もすっかり暮れた7時半、日本海に到着~☆
黄金色の恵比寿麦酒は、350kmの黄金の味わいが致しました。あんなに旨いビールは久しぶりだった。




標高図

<<<旅のデータ>>>
Ride Time (Time Moving) 14:55:27
Distance, km 347.10
Work, kJ 7893
Calories, 8,833
Ave Speed (kph): 23.26
Ave Heart Rate (bpm): 125
Ave Power (Watts): 146
Normalized Power 184
Training Stress Score 600.8
Gained, m 3750.00
<<<>>>

この後、私は修電に乗って横浜へ、漬物石さんは金沢に向かうわけですが、よい旅には不思議なエピローグが付いて回るもの。
今回は、新幹線接続寝過ごし事件笹団子フーテン太郎さんに盗まれる事件が発生致しました。これに関しては後日譚として別途報告の予定です。

以上、駄文長文にお付き合いくださいありがとうございました。

誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「渋峠は自走に限る」

2014年05月04日 | 長距離
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誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「これはナイトライドではなく、禅だ。」
誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「漬物石太郎の苦闘と根性」

+++前回までのあらすじ+++
太平洋~日本海を目指し勇躍横浜を旅立ったニャロメと林道の二人組。深夜の寒さと、上州からっ風に体力を奪われ、ヘロヘロになって高崎に到着。大休憩地点の健康ランド前で、先頭のニャロメは後方から大きな物音を聞いた。
それは林道太郎が漬物石に乗っかって大落車する音だった。大けがにもめげず彼女の待つ金沢へ走り続ける林道あらため漬物石太郎。ペースを落としつつも草津の登り口までたどり着いた。標高2100mを越えてあと6時間で日本海にたどり着くことはできるのか。

++++++


天上の楽園へのヒルクライムが始まった!

ここまで230km。脚は使い切っているはずだが、絶景補正が入り意外と踏める不思議な峠。
地獄谷ロープウェーまではAv 230Wで登れた。


ここまで全部自分の脚で来た。この風景、この高度、全部俺のもの。


漬物石さん、お先に~
交通量はGWとあって多めですが、みなさん自転車乗りにやさしいです。


Z坂が見えてきた。黙っていても表情が緩んでくる。


車で登るなんてヤボざます。自転車で登るに限ります。


もうすぐGiro d'Italiaが始まりますが、ドロミテアルプスステージもこんな感じですよね。


漬物石さんが、横浜から輪行で来たという御仁を連れて登ってきました。なかなか快調に登っています。ホントに怪我仁でしょうか?


しばらく並走して一緒に登ります(後ろから漬物さんが写してくれました)
中ノ条から輪行してきたそうです。


笑っているのか、うれし涙なのか、またしても涙腺崩壊w
自走で日本海を目指す時のみ、この高揚感の感情が押し寄せます。


うぉぉぉぉ!来た。この風景の向こうから走ってきた!


下界を睥睨することしばし。


林道さんも感動しながら登って参りました。


草津白根山までは、後少し!風が爆風に変わりました。一部区間では自転車が進まないくらいの向かい風ですが、気にしない。


白根山は素通りして、山田峠~渋峠へ。
山田峠をヒーヒー登っていると、雪原をスノーボーダーがシャーっと滑って行きました・・・

そして・・・
とうとうやってきました・・・
雪の回廊!


今年は雪の壁が高すぎてカメラに収まりません!
推定8m!


この区間は山田峠と渋峠の間、比較的短い区間で、路駐スペースはありません。ですので、バイクと自転車客のみが記念撮影に興じることができます。


いや、まじ、今年の壁は高い高い。


ちょっと壁に正拳鎖骨打ち込み。


渋峠、確か輪行で2回、ロープウェーで1回、そして自走でこれが3回目です。他にも湯田中側から1回あったな。
いずれにせよ、登っている時に涙が止まらなくなるのは、自走で来た時だけ。
こうやって後日ブログを書いたり読み返した時、そこに至るまでの苦労や疲れは風化して、善き思い出だけが残ってしまうのだけど、やはり渋峠は自走に限る。この感動があるからこそ、あの意味のない関東平野の160kmが活きてくるw

さて、頂上で2時半。
日没は6時半。
ここから日本海まで100km。
間に合うのでしょうか?

続く

誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「漬物石太郎の苦闘と根性」

2014年05月04日 | 長距離
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+++前回までのあらすじ+++
太平洋~日本海を目指し勇躍横浜を旅立ったニャロメと林道の二人組。深夜の寒さと、上州からっ風に体力を奪われ、ヘロヘロになって高崎に到着。大休憩地点の健康ランド前で、先頭のニャロメは後方から大きな物音を聞いた.

林道「ワァァァァ!!!」

ドンガラガッシャーン。ズズササァー!


ヒィ!林道さん落車である。
これは大変だ。この旅行はこれからどうなってしまうのだ。
まず、落ち着いてけがの状態をチェック。
肩、肘、腿、掌の4点で着地した模様。掌の皮がべロンと剥けて痛々しい。
肩、ひじ、腿は小さめの擦過傷。だが、ジャージ、ウィンブレ、タイツが破れてしまっている。
なぜこんな所で・・・


犯人はこの漬物石である。
よもやこのようなものが路肩にあるとは思わないだろう。これに深夜突然乗ってしまえば、それはコントロールを失うだろう。


本当にこの傷でこの先続けられるのか。本人は大丈夫と言っているが、お風呂に入る時も染みていたそうだ。
幸いだったのは、健康ランドのフロントでたくさんの絆創膏を善意で頂けたこと。今は気を巡らせてもしょうがない。とりあえず目覚ましを4時半にセットして、二時間でも睡眠をとれるように頑張ってみる。
この後林道さんが走り続けられるかは、明日の朝判断しよう・・・

・・・そして夜が明けた。
林道さんはけがの具合は軽い。走れそうだ、と言っている。

そうか。ならばエスコートしながら日本海まで何としてでも行くぞ。
ここから直江津まで196kmだ。


走りだす。まずは三国街道を北にとり、渋川へ。


いつのまにか三国街道を並行して走る、新しい道ができていた!?
赤城山を右手に、気持ちよいモーニングライド。落車明けの林道太郎は、どうだろうか?


つらそうだ。
「(手の皮がむけたので)ダンシングできね~!」と言っています。


天気は最高!最高の景色が我々を待っているであろう。
脚さえ持てば。


榛名山の特徴的なシルエットを左手に。
3年前にここに来た時、平均時速は29kmでした。今回は25.3kmくらい。向かい風もあったし。


中之条あたりで、吾妻線沿いの道に降りる。GWということもあり、行楽客の車が増えてきた。
林道さんなかなかペースが上げられない。そりゃそうだ。200W位でペソペソ牽くのがちょうどよいみたいだが、どうしてもナチュラルに240W位でてしまうので、つい自然に離れてしまう。途中から強制的に後ろに下がって先頭を牽いてもらいました。

岩櫃城を過ぎ、新道と旧道(ダムで水没する方の道:川原湯と吾妻峡経由)の分岐を旧道へと向かうと、交通量がめっきり減って素晴らしい道になりました。


緑が疲れた脚に力を吹き込みます。

以前走った時は、八ッ場ダム建設用のダンプカーがひっきりなしに通る、交通量の比較的多い渓谷沿いの道でしたが、悲しいことにダムの建設が2020年と決定し(以前来た時は民主党政権のころもあった)、この区間は一部水没が決まってしまいました。
むかし休んだ道端、町のコンビニも今はひっそりとシャッターを閉めていて、さながらゴーストタウン。眩しい新緑とは裏腹に、少し悲しくなりました。


新緑はダムがあるにしろないにしろ、変わらずこの谷を彩り続けるでしょう・・・


吾妻峡にやってきました。
あれ?ダンシングしている。
どうやら私が先頭を牽くより後ろに控えたほうがよいペースになるようです。


新緑が最高に気持ちよい。


この橋を潜ると長野原は近い。長野原草津口で新道と合流し、そこからまた六合村方面へ右折すると一気に交通量の全くない、日本の里山ヒルクライムが始まります。




そして、横浜から走ること220km、とうとう白根山の雪をかぶった山頂が見えて参りました!


高度を上げると山桜が満開に。


後続の林道さんですが、登りの方がいいペース。下りよりも登りの方がよいペースで刻めるみたいです。


六合の道の駅で、ヒルクライム前の最後の大休憩。びっくりカツカレーセットにおそばをつけて、1060円。この燃料があれば、日本海まで行けるでしょう。林道さんは少し量を少なくしてカツ丼定食。これは、後でどう影響するでしょうか。

現在の標高が700mくらい。これから2100mの山と、690mの山を登って日本海側へ転がり落ちていきます。
時間は11時。良し!行くぞ。


スタートと同時に絶景里山ヒルクライムが始まります。
鯉のぼりを見ると、どうしても家に残したチビ太を思い出してしまいます。


実は草津までの登りが一番きつい。そんな中、一般車の交通に気を使わずにゆるりと登れるのが六合村ルートの良いところ。


痛い体に鞭うって、林道さんもヒーヒー登ってきました。

そして、天狗山レストハウスについたのが正午ちょうど。横浜から230km地点。やっとメインディッシュにありつきました。
さて、行きますよ。

誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「これはナイトライドではなく、禅だ。」

2014年05月04日 | 長距離


誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「漬物石太郎の苦闘と根性」
誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「渋峠は自走に限る」
誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「何キロで牽けばいいですか。」「ゆっくりで」

自転車生活を再開してはや8カ月。だいぶ乗れるように体が戻ってきました。そうなると、以前のような超ロングライドをしてみたい熱病に罹患してしまいます。

このブログの過去帳をひも解くと、ロングライド3傑は下記の通り。
1. 2009 July 6 380km 自宅から伊豆半島一周
2. 2011 May 1 335km 自走直江津 via 渋峠
3. 2010 Aug 23 285km 秋葉街道 分杭峠ダブルクライムつき

このなかで、伊豆半島自走は膝靭帯を痛めた苦い経験があったので、今年のGWは渋峠か、秋葉街道を妄想するようになっておりました。そんな4月のある日、希望者をさぐってみると、ISOYA仲間のうえだっちさん、林道さんが釣れました。
しかしながら、直前になって当初の予定の1日の天候が思わしくなく、2日に順延した関係でオリジナルメンバのうえだっちさんが家庭の都合で泣く泣くDNS。同じく行きたがっていた小野てんちょの悔しい気持ちもまとめて日本海にドボンと落として行くことに。

最小人数にて挙行することになったので、深夜0時ではなく、夕方5時半に妙蓮寺駅を出発することに。その日は私がチビ太のおかあさんでしたので、一度保育園へお迎えし、ウェアに着替えて(笑)から、再度林道さんとママの待つ妙蓮寺に向かいました。

駅に往く道すがら、お父さん脱走の只ならぬ気配を察したのか、手を後ろに組んで歩み出すチビおじさん・・・










「あっ。おかあさんがいた。」


その日、保育園の父母懇親会にパパ組ではただ一人出ておりました。駅前であきれ顔のYOMEと話していると、うさぎ組の担当の先生が通りかかってしまい、直江津行の事情を説明する羽目に。

5時半になりました。
サイコンをゼロにして、出発!
「それでは、へんな林道おじさんとお父さんはじてんしゃのおべんきょうに行ってくるね。」


まずはお約束、太平洋にタッチ!


今回の秘密兵器、ヘルメットトップマウントのION700。これは正解でした。でももう少し下に向かうように調整が必要ですな。


Joule GPSは6時間前後でバッテリーが枯渇してしまうので、大休憩の度に充電していました。


ISOYAにいって店長犬のSORAに挨拶。おなかがすいていたので、レジ横にあったボントレガーブランド(!?)の羊羹を買ってその場でもしゃもしゃ。


日も暮れました。多摩川沿いから環八沿いに高井戸をまず目指します。


昔上井草には開かずの踏切がありました。今はこのくらいしかありません。しかし、この後の谷原では陸橋トラップにはまりました。


この日、都内と埼玉県内は微追い風でした。群馬県に入ると、それは向かい風に変わり、苦行が始まります。このころは一般道の交通も流れていたので、まだ快適に走れていたのですが。


朝霞から新座に入るところで、最初のコンビニ休憩。


入間川を越える。このころから、夜の帳が下りてあたりは真っ暗。水田の傍を通ればカエルの声が聞こえ、畜産農家の近所を掠めれば肥やしの良い香りが。そして残り距離数字は全く減らない。
うんうん、エキストリームツーリングらしくなってきたぞ。


漆黒の254号線北上を続けていくと、川島ICの近くで巨大な松屋の工場が。
よく調べると、これは配送センターでした。

写真には撮り忘れましたが、高崎市内でガトーフェスタ ハラダの工場の前を通過した時は、香ばしいバターの香りが漂ってきて、おなかが「グー!」と鳴りました。

川越街道(254号線)、途中までは順調そのものでしたが、途中から向かい風に。とにかく田舎で街灯もまばらにしかたっておらず、ひたすら先頭にたって向かい風を切り裂き進みます。切り裂く、とはいっても時速は30km届くかどうかというところ。とにかく暗くて何も見えないので、ずっと走っていると意識が無になっていきます。目をつむって1分走っても景色は変わらないでしょうか。禅の修行僧よろしく、心と前頭葉を無にしてひたすらロボットのようにクランクを廻し続けました。
先は長いです。ですので回転の上死点にペダルを乗せるだけで後は勝手にバイクが前に進んでいく、「あの」スイートスポットを意識してこぎ続けました。


荒川を越えると、熊谷市内に入ります。




この橋を越えて左折すると中山道になります。ここから、籠原>深谷>本庄>藤岡と西上しますが、徐々に高崎に近づいてはいるものの、距離はなかなか縮まらない。


深谷のファミマで作戦会議です。
ニャ「今12時。このまま走り続けて草津まで行くと、到着は朝の5時。」
林道「真っ暗闇の中、草津まで登るのか。道端見えるの?」
ニャ「もちろん見えない。なので深夜の走行はやめよう。高崎近辺で健康ランドを探そう」
・・・というわけで高崎で2時間ほど休憩することになりました。
とはいえ、向かい風で疲れまくった上に、深谷から高崎まで結構距離を残していました。

まさに、漕いでも漕いでも関東平野。自走で日本海を目指した者たちのみが知る、果てしない荒涼感!
しかも、昼間ならばいざ知らず、夜は景色がまったく見えないのでひたすら漕ぐのみ、おまけに今夜は上州名物からっ風の吹き下ろしと来ています。


途中、深川の沿道にはこんなものが。
林道さん、渋沢栄一さんはこんな人です。
日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。理化学研究所の創設者でもある。Wikiより


途中、迷ってはいないものの、高崎市内を目的地の健康ランドを求めて迷走。

夜2時を過ぎ、気温も下がり、風も強まり、二人のやる気、集中力はグングン下がって参ります。
このような時、得てして不幸が人を襲います。


この時、前方ではチビ太が路肩で何か細工をしていました。

そして、ゴールの健康ランドが見えた最後の100mで、私は後方から何かを聞いたのです。

林道「ワァァァァ!!!」

ドンガラガッシャーン。ズズササァー!


一体、ゴール手前にて何が起きたのか!詳しくは次回。