~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

適性はどうだったのか?

2007年07月18日 23時54分38秒 | 家族・友人等
たしか高校1年の時のことだと思うのだが、進路選択の参考とするための「職業適性検査」があった。

1回目・・・・・結果が出なかった。向いている職業に「獣医」だとか「薬剤師」だとか理系のものが並んでいたように記憶しているが、いずれも異様に数値が低く、「回答の信頼性が低いです」と出た。

1回目でまともな結果が出なかったものだけもう一度追試(?)があった。

2回目・・・・・よく覚えていないが、「農業」とかなんとかがいずれも低い適性で出ていた思うが、今回はこう書いてあった。
「あなたの適性は拡散中です」


2年でおおまかに理系・文系と分かれることになったいた私の高校だが、履修科目の関係上、いったん文系コースを取ると、3年での理転は難しかった。

なので・・・・担任が言った。
「・・・・とりあえず、理系いっとけば?」

その当時の私は医学部進学希望だったので、たとえ数学がドツボであろうと、担任としてはそう言わざるを得なかったのだと思う。
私としては、あまりの数学のデキの悪さに絶望していた一方で、文学に溺れかけていたので(それもかなり不健康な溺れ方で・・・・汗)、たとえ、「回答の信頼性が低」かろうが、「適性は拡散中」だろうが、農業に向いてようが、獣医に向いてようが、もう理系はゴメンナサイで、迷うことなく文系に進ませていただいた。

結局、今にいたるまで、「これ」といって適職があったわけでもなく、販売員・編集者・秘書をわずか6年ほどの間に経験し、その後は、ビー玉売りのバイトをしたりもしたけど、職業としてはなにひとつとして確立できなかったことを考えると、そのときの適性検査はズボシであったともいえる。

仕事面では、どこへ行ってもとりたてて不適応もなかったし、むしろうまくいっていたくらいだったと思うが、なにが問題といって「すぐあきる」のが問題だった。
あきるともう辞めていた(殴)ので、もし専業主婦になっていなかったならば、いったい今頃はなにをやっていたのか・・と考えるだにおそろしい(爆)。
専業主婦にはあきてないのか・・といわれれば返答に窮するところなのだが、専業主婦からはたとえ「降り」ても親業からは離脱できないので、なにがあっても辞めるわけにはいかない。

・・というわけで、なんにせよ「続いている」という事実だけで、これが私の「適職」と判断するに十分だ、と最近は考えることにしている。

メンコンの歌心とは?

2007年07月16日 11時34分41秒 | その他音楽
昨日の深夜に放映された、神尾真由子さんのメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトの録画をさっき見てみました。

これはもうビックリでした、ほんと。

メンコンというと、「流麗」とか「清澄」とかいうイメージがあるのですけど、この演奏を聴いて、「もしかするとこれまで自分はなにかメンデルスゾーンについて誤解していたのではないか?」・・・・とまで考えてしまいました。

第一楽章は少しテンポ遅めで始まります。
たしかにメンデルスゾーンでよく言われるように「歌」であるには違いないのですが、「歌」は歌でも、「鼻歌」ではない。ポップな感じでもない。あえていうと「アリア」のように、一音一音を大事大事に、表情豊かに歌う。
スケールやアルペジオでも次の音へ移る一瞬一瞬に喜びや哀しみや怒りが宿る。音の出し方にしても、歌の発声のように、腹からのものもあれば喉付近のものもあり、口腔内で生み出されたものもある・・・という感じで、バイオリンという楽器から発生しているというより、身体のなかに宿っている音が一音一音外界に解き放たれていくという印象でした。

つい先日チャイコフスキーコンクールで優勝されたばかりですが、この録画は2004年11月のものですので、まだ10代の頃の演奏ということになります。

このころ、彼女が師事していたのかどうかはよくわからないのですが、現在の神尾さんの師匠は、ザハール・ブロン氏と公表されています。
ブロン氏といえば、ヴァディム・レーピン、マキシム・ヴェンゲーロフ、樫本大進、庄司紗矢香、川久保賜紀などのお師匠さんでもあるという、ほんもののスーパーティーチャーなのですが、ずっと以前に「樫山大進~~炎のレッスン~~」なる番組が放映されたことがあり、その録画を急に見たくなり、これも続けて見てみました。

ほんとに「炎のレッスン」なんですよ、これが(レッスンではシベリウスのコンチェルトをやってました)。

樫山さんが17歳か18歳くらいの時の映像なんですけど(ちなみに彼は10歳くらいからブロン氏に師事)、技術的なことはもちろん細かく細かく指導されるのですけど、歌う、弓を振り回す、弾きながら生徒に歩み寄ってぐっと顔を近づける。叱ることはないですけど、ほめるときは「私の愛する大進、すばらしい!!」と抱きしめる。できてないところは、「できてない」とただ言うのではなくて、なぜそう弾かなければならないかを説明したうえで、自分ですばらしいお手本を弾いてみせる。
もちろん、生徒がただならぬ優秀さだからこそ成り立つレッスンだと思うのですけど、まさに「魂を吹き込む」というレッスンで、やっぱり門下に綺羅星のごとくに名プレイヤーが並んでいるのは、これは生徒の天分だけに由来するわけではないよな~と納得です。

そのレッスンの中で、言われていたことはどれもどれも「なるほど」なんですけど、ひとつあげるとすると、「常に発見する」(訳してあるのでちょっとニュアンスは違ってくるかもしれませんが)ということ。どんなに弾きこんだ曲でも、瞬間瞬間に新鮮な発見というか感動を持つ・・ということだと思います。
先の神尾さんの演奏はまさにそんな感じで、彼女は「今このステージで、この音に初めて感動したのでは?」と思わせるような、鮮度のいい音が綴られていました。
そういう音を聴くと、「では彼女のバッハは?ベートーベンは?チャイコフスキーは?」と次々と聴きたくなるわけで、これは聴衆にとっては大変な引力です。


今日午前は自分は弾きもしないで、こんなことやってましたけど、また新たな力をもらったような気がします。

失われたドキッを求めて

2007年07月14日 01時13分13秒 | 家族・友人等
早いものであと一週間で夏休みです。
休みに入ると、上の子はともかくとして、下の子はほぼ一日中うちにいるので、
赤ん坊のように手がかかるわけではないにしても、私自身がじっくり一人でなにかに取り組める時間はなくなってくるわけなので、今のうちと思って、ヒマさえあれば弾いて弾いて弾いております(汗)。
つい数ヶ月前までは一年中娘はうちにいたわけのですけれど、ちょっと手が離れると、すでに「いない時間」を中心に生活が組み立てられておりまして(汗)、親子であっても所詮人間なんて自己チューなのでございます。


その娘なんですが、今のところ喜んで、毎日私と仲良くピアノの練習をしております。
もちろん「できない~~」とカンシャクを起こすこともあるにはあるのですが(先だっては、先生のところでもやっててさすがにこちらもキレそうになりましたが)、おおむね自分から前向きに取り組んでいるようです。

娘がやっているのは、バーナムの一番最初のテキスト(紫のやつ)、少し曲らしいものが載っているもの、あとソルフェージュの3冊です。
私には、(申し訳ないけど)別におもしろくもなんともない、とにかくドからソまでの間の音をいったりきたりするレベルの練習です。
・・が、娘には結構おもしろいらしい。
今のところ、ほぼハ長調ばかりですが、あるとき、ほんとは左手で「ソ」を弾かなければならないのに、間違って「ラ」を弾いてしまった。
まあ、ただの間違いです。
なのに、やった当事者である娘はすごくウケている。
いわく「このラは、てんとうむしの背中からスルって落ちるみたいでおかしい」

なんですか、それは?
どうも、「ソ」だと平らなんだけど、「ラ」だと少し盛り上がっているらしい。
わかったような、わからないような(苦笑)。

ほかもだいたいこんな感じでして、ドからソまでの5つの音の順列組み合わせだけの毎日毎日、それだけでも十分楽しめるようなのでした。
そうなると、やはりこちらも<(申し訳ないけど)別におもしろくもなんともない>などと言っていてはバチがあたりそうなので、
少し、「てんとうむしの背中」でも感じてみるか・・と思ったことでした。


たぶん子どもを教えておられる先生方というのは、こういう感性を楽しまれているのだろうな・・と、私すでにピークを過ぎることウン十年、角質化した脳で思うことでございました。

聴いてるばかりじゃわからない

2007年07月12日 14時55分20秒 | ピアノ
遊びと自分の勉強をかねて、本日いろいろ初見いたしました。
リストの「エステ荘の噴水」とシューベルトの「D664のソナタ」、ほか。
このなかでリストはまったく初めてというか、編曲や連弾でない楽譜はなんとなんとこの年にして初めて弾いてみました(殴)。

リストさまにむかっていまさらなにを言う・・ですけど、
いや~実によくできている。そんなの当たり前なんですけど、
ピアノのセオリーにかなっているというか、最大の演奏効果が上がるように出来てますし、構成や和声進行にも思わず「おお~っ」と声が出るくらいです。
そりゃ、いろんな曲があるでしょうから、すべてがそうというわけでもないかもしれませんが、これまで耳からたくさん聴いてて、あまり良さがピンとこなかったのですが、譜面見て実際弾いてみてしびれました・・・美しい。

そのあとですね、シューベルトを弾いてみたんですよ。
比較的やさしいといわれているソナタの3楽章。
もう大変です、リスト弾いてもなんともなかったのに、指と腕つりまくりです。
この曲、スケールやらアルペジオがたくさん出てくることもあって、ボロが出やすく、よくコンクールなんかの課題曲に選ばれてるのを見ますけど、
一見どうということなさそうなのに、弾いてみるとどうしてだかメチャクチャ弾き難い。
10度がたまに出てくるせいもあるのですけど、スケールやアルペジオの配置・範囲が微妙に自然でなかったりする。
それと、ペダルでの保持が難しいバスの持続音がある。
こういうのどこかで見たことある・・と思ったら・・・シューマンでした。
<こんな無理な弾き方させてなにかご利益あるのかっ>
と暴れそうですよ、ほんと。

よく「演奏効果」ということが言われますけど、シューベルトやシューマンは<(演奏効果が)上がらない>方の筆頭に名前があがるように思います。この二人の曲は「どかん」と盛り上がるわけではないので、技術的に難しいうえに曲自体のメリハリもいまひとつだったりする(特に長い曲)。
簡単にいうと「苦労して弾けるようになっても、聴いてるほうからはそんなに難しい曲とは思ってもらえない」ってやつです。

かつてあるピアノの先生とお話したとき、
「発表会の曲選ぶのに<うちの子にも弾けて、けっこう派手で聴きばえのする曲ないですか?>といわれて困る」という笑っておられました。
まあ、みんな楽して「すごい」と思ってもらえればそれにこしたことないですから(笑)。


たかが姿勢、されど姿勢

2007年07月11日 02時16分27秒 | ピアノ
そういえば・・・・

と思い出したのだけれど、ちょっと前まで私は大変に弾く姿勢が悪かった。
今でもそう上等とは思えないが、たとえば初めて聴いてもらう先生に
「あんた、姿勢が悪い!」といきなり言われるほど目だっていた。

姿勢については、別にピアノを弾く姿勢だけではなくて、
子どもの頃は勉強する姿勢も歩く姿勢もかなり悪くて、
これは目が悪かったせいも少しはあるのかもしれないが、
なにかというと母親に注意されていたような気がする。

歩く姿勢は一時的にではあるけど、
日舞をやっていた3年間ほどはマシになった。これは自分でもよくわかった。
ピアノを弾く姿勢に関しては自覚もなかったし、直す必要もあまり感じなかったので放置していた。
実際、ピアニストにはいろいろな姿勢の人がいるし、それが上手下手と直結しているともあまり思えなかったからだ。

ただ、年をとってきたせいなのか、長時間練習をするようになったせいなのか、
前傾した姿勢では、腰に負担を感じるようになった。腰だけではなくて、
いろいろなところに無理を感じるようになった。
もうひとつは、アップライトピアノのころは、いってみれば壁に向かって弾いているわけなので、あまり姿勢を起こすメリットも感じなかったのだが、
グランドに買い換えてからは、ピアノのお尻のほうまでを自分の延長というか一部として自覚しているので、自然と姿勢を起こして視線も若干遠くに配するようになった。

というわけで、最近はいきなり「あんた姿勢が悪い」といわれるほどは目だっていないと自分では思っている。

姿勢がよくなったからそうなのか、そうなったから姿勢がよくなったのかはわからないのだけれど、
最近かわったことといえば、「走る」ことがなくなった。
「走る」というのは技術的ゆとりと直結しているので、姿勢だけの問題でないことは明らかなのだが、
以前は姿勢の通り「のめりこむ自分」しかいなかったのだが、今は、「のめりこみそうになる自分」を少し客観視して<おい、待てよ>と「手綱をとる自分」の自覚もある。

演奏姿に関しては、動きの激しいのも好きだし、鍵盤にめりこむように弾くのもきらいではない(この前のショパンコンクールの入賞者にいましたね、そういうタイプの方が)。
今、自分として興味があるのは「どうしてあの姿から、こんな音楽が生まれるのか?」といいたくなるような、動きの少ない(省エネ?)スタイルだ。
私のまことに勝手な観察によると、指揮者なんかは若いころから順にいくと
 動き → 呼吸 → 気
と、団員を動かしていく方法が変わっていっているような気がする。
演奏者はまさか「呼吸」や「気」だけでは楽器は鳴らないわけなのだけれど、
指の運動量が多い曲や、時間的に長い曲をこれからも弾き続けたいと思うならば、
余分な動きはできるだけ抑えていかなければ、体力的に持つまいと思う。

なにしろ、一番体力のある若いころに弾いてないですからね、
人生折り返し地点と思われる今からでも、さまざまな曲にトライせねばなりません(・・って、別にしなくてもいいし、誰にも頼まれてないのだけど・・)。
鍛える一方で、「どうやったら、楽できるか?」と考えなければならないわけです。
40歳以上のおばちゃんはすごいですよ、コンペなんか骨折しそうな大曲弾かれる方もおられますしね。でもここで「わあ、大変そう」とか「よくもあんな曲を」と思われることは、すでに演奏としては「・・・????・・」なわけで、やはり「涼しい」とまではいかなくても、「あの曲ってほんとは難しいんだよね?」くらいの反応までには、余裕を持ちたいです。



「これくらい家計のスリム化も真剣に考えろよっ!」という突っ込みはナシということで

七夕コンサート

2007年07月07日 22時23分50秒 | ピアノ
七夕コンサート(777コンサート)が終わりました。

ちなみにプログラムですが・・・・。


~~~~~ 第1部  キラキラの星&月&光 たまに闇? ~~~~~~
 
1. ベートーベン:ピアノソナタ第14番 
          嬰ハ短調 作品27の2<月光> 第1楽章 

  ブラ-ムス: ブラ-ムスの子守歌 (Richard.Glayderman編曲)
                                     

2.モーツァルト:きらきら星の主題による変奏曲 KV265 

3. ショパン:ノクターン 作品9の2
    ランゲ:花の歌                                   

                                    
4. バッハ:平均律第1巻 第13番よりプレリュード

5. ベートーベン:ソナタ第1番 ヘ短調 作品2の1 第1楽章

6. ショパン: エチュード 作品10の1

7. モーツァルト:ソナタ10番 KV330  第1、2、3楽章

8. バッハ:「音楽のささげもの」より<3声のリチェルカーレ>

9. ブラームス:間奏曲 作品118の2 イ長調

10.ラヴェル:水の戯れ

11.ドビュッシー:月の光



~~~~~第2部 バロックタイム&ブラックホール~~~~~

12. バッハ:フランス組曲第6番 ホ長調BWV817


13. コレルリ:ヴァイオリン・ソナタ ニ短調 作品5の12「ラ・フォリア」より


14. 北村 俊彦「ブラックホール」(リコーダー合奏)



~~~~~第3部 星に願いを 主婦に剣を~~~~~

15. いずみたく:見上げてごらん夜の星を

16. 西村由紀江:やさしさ
 
17. KEY= KIYO   :  夏影 
    折戸伸治= KIYO: 鳥の詩 


18. ガーシュイン:私の彼氏
 
19. L,ハーリン= 加羽沢美濃:   星に願いを 
    F,チャーチル= 加羽沢美濃:  いつか王子様が 

20. すぎやまこういち=林 知行 :序曲のマーチ


21. 加古 隆=石川 芳: パリは燃えているか
    バッハ=後藤 丹: G線上のアリア

22. M.J.Hill & P.S.Hill ハッピー・バースディ変奏曲


23. ハチャトリアン:剣の舞



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



七夕にちなんで、「空や月や夏に関した曲にしましょう・・・」と最初声をかけたのはたしか私だったような気がするのですが(汗)、
「3声のリチェルカーレ」とか「パリは燃えているか」とか、暗くてドロドロとした曲を選んでしまったのは・・はい、私です。すみません。

しかも、今日来てた服なんですが・・・
たまたま同じ建物内のホールで行われていたコンペの仕事で来ていた友人Mちゃんに、
「うわ!!・・エロ忍者というか・・エロくのいち」
と驚かれたような黒の網目入りでして、ひとりでヘンなことしてたよなあ・・と思いましたが、
なぜか大トリが「剣の舞」で、これもなんだか「何にちなんだのか???」という選曲でしたので、ま、いっか・・と思っております。


コンサートといってもですね、メンバーはいつもの練習会とほぼ同じで10数人。
それにほんの数人のお客さまがいらしていて、特に「コンサート」って雰囲気でもなかったはずなのですが、
これがどうして、やはり150席のスタジオで照明を調整したり、吊マイクを使ったり、ビデオを2台くらい使ったりすると、それなりに緊張感がありまして、
プログラム製作や司会、それに舞台上の椅子や譜面台の出し入れなどの係も分担したわけですので、規模は小さくても、やはりひとつのコンサートの形にはなりました。
それだけのことなのですけど・・・・いやあ、その緊張感といったら
ということで、なかなかフォーマルな会になりました。
女性のドレスも楽しめましたし・・。

私4歳児を連れていってましたもので、控え室にいる時間が長く、プログラムのほとんどはモニターを通して聴いたのですが、いくつかここ10日くらいで激変した演奏がありました。
なんといいいますか、私なぞは <y=○分の1x(エックス)>の関数のようにだらだらと右アガリになるタイプなのですけど、どうやったら、あるところからいきなり2乗やら4乗になるような上達ができるのか、それって、それまで全然練習してないだけなのか、なにかがわかったとたんに「おおっ!」と膝を打ったような状態になるのか・・・もうみなさんそれなりのお年なのに、なんでこんなことになるのか(爆)、私にはナゾです。
大人の学習者をなめてはいけません。恐るべしです。

今回は母娘の共演とか、リコーダーに子どもさんが混じってとか、こういうサークルならではの微笑ましい光景もみられました。

お隣のホールでは折りしも子どもたちのコンクール開催中で、一音一音に神経を集中し、抜けたのかすったのと聴衆も一喜一憂されていたはず。なので、ある意味正反対の演奏会が同じフロアで同時刻に行われていたことになりますけど、
それもピアノ、これもピアノ
これから私も、自ら弾くものとしてはもちろん、親としてもバランスのいい経験を積んでいきたいものだなあ・・と思っております。

ちなみにですね・・・

会場を借りたのは準備&撤去含めて5時間(13:30~18:30)ですが、
一人2000円の会費でおつりが出るくらいでした。
たまには、こういう会もいいですね。


キレとノリ

2007年07月05日 21時41分53秒 | ピアノ
音楽を聴くときに反応する要素は人それぞれだと思うのですが、
どうも私は、おばちゃんのクセにいまだにリズムと低音に反応しているみたいなんですね。
といって、ロックとかジャズとかが好きなわけでもないのですけど、
あきらかに、音色や美しいメロディーラインよりもそちらへより反応してます。

これは主観的にそう思うだけではなくて、
レッスンでも「リズムはいいのですが、ハーモニーがいまひとつです」といわれることがあるので、客観的にもそうなんだろうなあ・・と思ってます。

なので・・実は・・・

自分では弾いたことないですし、
楽譜も持ってないですけど、

プロコとかショスタコとかバルトークとか好きです。
いつか絶対弾いてやろうと思ってます。(弾くころには、杖ついて歩くような年齢になってるかもですが・・・・・)

もっというとですね、
ベートーベンの曲にしても何に反応してるかというと

1にリズムのキレ、
2にがっちりした構成、
3に全体を貫く気合、
・・・
・・・
・・・・最後のほうに、大きなメロディーラインとか、人類愛ともいわれる精神とか(私に理解できてるとは思えません)がくるんですが・・・・

こう並べてみると、ハーモニーなんか全然でてこないじゃん

なので、「ショパンの音色」とか「ドビュッシーの和音」とか「モーツァルトのメロディー」とかによく耳を傾け、またそれを表現しようとしている方々をみると、
「お・おとなだあ~~~~」と思ってしまいます。

ここのところ、ドビュッシーの「ゴリウォーグのケーク・ウォーク」とか、ラヴェルの「道化師の朝の歌」(←これの二重グリサンドの弾き方、誰か教えてください)とかにハマりつつありまして、
「結局フランスものもそっち方面から攻めるのか?」と思わないでもないですけど、なんでもいいから食いつきやすいところから入ってみるべし、です。


その前に明後日は、バッハと連弾3曲じゃ~~~


おばちゃんは楽しいぞ

2007年07月04日 14時39分32秒 | 家族・友人等
先週のことですけど、小学校のクラス茶話会がありました。
私は、まあ主催者側です。

出席は13人だったので、席も自由、議題もなし、ただダラダラとしゃべるべし・・といういい加減な会にするつもりでした、もともと。

一人ずつ自己紹介形式で始めたのですが、これがもう脱線しまくりでして、自己紹介が13人終わったときは、すでに2時間経過しておりました
なんでそんなことになったかというとですね・・・・
おばちゃんたちが暴走したからです(爆)。

「ええっと、あたしが中学のとき来日したあのグループ・・・えっとえっと・・・」
「ベイシティローラーズでしょ」
「そうそう、あの頃キッスもおったねえ」

・・・・・・・それって、私と同年代じゃん・・・

その他がん検診、人間ドックの話でもちきり。
あと、どんなパートやってるか、とか。

私とおない年というのがすでにバレている某さん。
なんでもテニススクールに複数通い、コーチも雇い、あちこちのコートにも道場破りよろしく出没している様子。
一週間のほとんどの日中をテニスで使っているようなのだけれど、ついに夜も通いたくなり、そのために夏から娘を塾に入れるという。どうももともとのテニス好きというわけではなく、何年か前にやり始めたらハマったということらしい。
私も他人のことは言えんが、すごすぎる。
しかも、テニスをやれる身体を作るために、今流行りのなんとかキャンプのDVDも買いたいという。
ある人いわく「・・狂っとるねえ・・・」

ほんとですわ、
私が オト狂いなら
さしずめ、彼女は
タマ狂いというところでしょうか?

がん検診の話をする一方で、どんなパートがおいしいか、どれほど自分があるものに狂っているかを生き生きと語る、40代あるいは40ちびっと前のおばちゃんたちの摩訶不思議。
「ようするにヒマで、かつしあわせ」といわわればそれまでなんですけどね



コンクールに思うこと

2007年07月02日 13時28分53秒 | ピアノ
私はあまりこの手のことは書かないようにしているのだが、
コンペに距離をおきたくなった理由を少し書いてみたいと思う。

コンクールというのは本来「才能の発掘」の目的を持っていると思うのだが、
私が大人になっていろいろ周りを見回してみると、全国規模のコンクールでも幼稚園児の部門があったり、私らのような趣味の部門があったり、少子化の影響なのかどうか、採算を考えてのことなのか、規模の大きい「おさらい会」レベルで、ほんとにあっちでもこっちでもしょっちゅう開かれているのを目にするようになった。
参加するほうも「おさらい会」感覚であればそれはかまわないが、やっぱりたとえ幼稚園児でも結果は結果なので、落ちる子は落ちる。賞品のぬいぐるみがもらえたりもらえなかったりする。

小さいころからそれに慣れていくのがこの道だという考え方もあるし、やっぱり厳正なる評価が下されなければ進歩もない、という考えかたもある。
別に私はそのこと自体を批判する気はないのだけれど、では、審査員というのは絶対なのか?
ときどき、点数を公表されるコンクールがあって(たいがい決勝の段階くらい)、こういうのを私はよく見るのだけど、これが信じられないくらい点数が分かれていることがある。
もちろん飛び抜けてうまくて誰もが満点に近い点を出す演奏というのはあるにはあるのだが、そうそうたる先生方が採点されていても、ひどい時はある演奏に「50」をつける先生もいれば「70」の先生もあり、そして「90」点の方もいる。そして、たいがい上下カットでの平均点が出される。
これは、将来演奏会を開いて食べていこうという方がたにはある程度必要なことかもしれない。「いい」と思ってくれるお客さんがある数以上存在しないと演奏会は成立しないから。

でもそれは、そこにリーチのかかった方々のみに関係のあることであって、小学校低学年とか、趣味の部門とかで意味があるのか・・と思わないでもない。

数年前に私が参加し始めたときは、けっこうおもしろかった。
個性的な方々も多かったが、聴いていておもしろい演奏が通過していたりして、技術面で少し難があっても参加する楽しみがあった。
たぶん、参加人口も少なかったからそれでよかったのだと思う。
ところが、爆発的に参加数が増え、予選・本選・決勝の三段階選抜になると、やはり少々のミスも厳しくチェックされるようなところが出てきて、子どものコンクールと同じく、まずしっかりしたタッチで指がきちんとまわっていることを問われるようなところが出てきた。
そうなると、当然子ども時代コンクールでバリバリ鳴らしたけど結局ピアノには進まなかったという方々の、復活戦みたいな感じにもなってきて、それを悪いとはいわないけど、聴いていておもしろいというものでもなくなってきた。
技術の大切なことは認めるけれど、大人になってから鍛えた技術にはやはりある限界がある。それに、40代も70代も一緒に審査しなさい・・といわれる審査員こそ当惑されていると思う。
「それでも、いい。弾く場所があれば。だれかに弾いてもらえれば」という気持ちで参加するなら価値はあると思うが、それならば、ステップとかなんとかで温かく拍手でもしてもらって弾いたほうが気分がいい。どんなにいいと思っても拍手もなく、途中で演奏を中断されられたりするのは、やはり「評価の場」ならではのことだ。

私は、今まで自分の採点に不満を抱いたことはないし、逆に身に余る評価をいただいたと思っている。それだけに「あの方のように弾いてみたい」と仰ぎ見るような気持ちで聴かせていただいた演奏が、自分よりはるか下の評価だったりするのは非常につらかった。自分の耳とか音楽観が混乱するような気持ちすら抱いた。

参加する人間がいればコンペは成立するし、審査員も頼まれるから点数をつけなければならないのであって、こと趣味の部門については審査員の方がたも大変な思いをされているときく(ひとつには、ヘンな曲を弾く私のようなものもいるから、らしい)。
とりあえず、人前で弾く機会も適当に得られたし、弾いてみたいホールでも弾けたし、そこそこの評価ももらったし・・で、これ以上を何を望むことがあろうか、というのが今の私だ。

・・・ただ、ヘンな曲を弾いて、困惑する審査員の顔をみたい・・・という邪悪な気持ちだけは抑え難いが(殴)・・・

至福のひととき

2007年07月01日 16時05分25秒 | 雑感
今、某コンペを聴いての帰りです。
「聴いて」といっても実は二人しか聴いてません。もともと都合で早く帰るつもりでしたが、胸いっぱいでこれ以上は聴けなかった。

コンペの戦友というべき友人が参加したのですが、ほんとにすばらしい演奏をされました。
彼女はモーツァルトのあるソナタを長く弾いていて、私も何回も聴かせていただいており、つい2日前もうちで弾いてくれたばかり。
相当な上がり症で本番ではなかなか力がだせないだとか、大人になってからピアノを本格的に始めて、それはそれは厳しい先生について泣きながらレッスンを受けられたこともあるとか、いろいろなことをこちらも知っているので、弾き始めるまでは正直ハラハラしてました。
しかし、最初のフレーズが聴こえてきた瞬間、ほんとに一聴衆としてただただ聴き入るのみ。
ひとつ前のかたが、緊張からなのか、大音量で若干荒れ気味の演奏をされたのですが、
その余韻の残る会場に清水が流れるがごとく、静かにみずみずしく曲が始まりました。

感謝と幸福感とどこかもの哀しさの漂う演奏・・。
「ここを聴いてくれ」的なあざとさのない、謙虚で気品に満ちた演奏・・。
全体に音量も表現も抑え気味でしたけど、それがかえって、この曲の真の姿を明確にしていたようにも思います。

などというのはあとから考えた分析でして、聴いてる最中は、ただただいろんなものが顔面流れ落ちるのみでして、もうこれ以上コンペという場でほかの演奏を聴ける状態ではありませんでした。

こんな演奏を客席で聴く幸せに恵まれたのは、私が今年出場していないから。
来年も聴衆の立場で楽しめればそれでいいと思っています。