~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ドキュメンタリー番組 ~リヒテル~

2007年07月30日 12時23分29秒 | 見る・読む
昨晩放映された番組、

<BS2 クラシックロイヤルシート>
NHK-BS2
2007年 7月30日 (月)  00:55~03:59 クラシックドキュメンタリー

リヒテル・謎のピアニスト
第1部  ~ 才能と苦悩のはざまで ~
7月30日(月) 00時55分23秒~02時11分53秒 [1時間16分30秒]

内 容:
20世紀を代表するピアニスト、リヒテル (1915~1997) の生涯を綴ったドキュメンタリーの2回シリーズ。
第1部は生い立ちと初期の交友関係を中心に描く。
構成: ブリューノ・モンサンジョン


クラシックドキュメンタリー
リヒテル・謎のピアニスト
第2部  ~ 音楽そして友との交わり ~
7月30日(月) 02時14分53秒~03時31分23秒 [1時間16分30秒]

[ 制作: 1997年 IDEAL AUDIENCE / IMG ARTST (フランス) ]



のうち、第一部だけを録画で見た。これはリヒテル本人へのインタビューとそれに関する映像で構成されている。
10年前の制作のようで、私は初めてみたのだが、第一部を見るだけでかなりのエネルギーを要した。録画していてよかった・・・・(泣)。

まず、リヒテルの演奏場面を見るだけで大変だった。
これだけまとめて見たのはもちろん初めてなので、画面からはみ出さんばかりの動きの激しさ(特に若いころの演奏)、独特の指さばき、突如切れたように繰り出される強打、・・・・心拍数上がりまくり。
リヒテルの父は、ピアニストにして教師だったため、自己流にピアノを弾き始めた息子に批判的だったらしい。
でもお母さんが「好きに弾く」ことを許したため、「音階の練習なんかしたこともない、指の練習も。初めて弾いた曲はショパンのノクターン1番、次に弾いたのは、エチュード25-5」
10-4を弾いている映像もあったが、ハンカチをピアノの中に投げ入れると同時に、突如激速での演奏。スフォルツァンドはかなりの高さからの強打(普通は、あの高さから打ち下ろす時間的余裕は無いと思われ・・)。度胆を抜かれました。

激動の時代だっただけに、自分が兵役にとられそうになったり、母親が帝政ロシアの高官がらみの人物をかくまって、そのとがで父親が殺されたり、
さらになんと母親は父の死後、このかくまった人物と再婚したりと、信じられない波乱万丈伝。
1週間くらいまえに「テルミン」(のだめ最新刊で出てきた電子楽器)というDVDを見て、テルミン博士の数奇な人生に仰天したのだが、ソ連時代の暗黒面・・いきなり拉致されて諜報員にされるとか、いなくなったと思ったら殺されてたなどなど・・、知識としては知っていても、こうして本人たちが語る映像の前には、絶句するしかない。

師のネイガウスについての思い出もおもしろかった。
いわく
「ネイガウスには、音の響かせかたを習いました。
リストのロ短調ソナタでは静寂を。音のない時間の演出のようなものを習った。
椅子にすわって心のなかで30数え、ポンと鍵盤をさわる。音が出ないと聴衆は<あれっ?>と思う。どうしたんだろう?と。その時やっと最初の音を鳴らしはじめる」
こう弾くであろう、と聴衆が構えている通りに演奏するのではなく、意外性が大事だ・・といったような話に続いていた。その意外性の表れなのかどうなのかはわからないが、
「ネイガウスは演奏に大変ムラがありました。ある夜のシューマンプログラムではソナタは一小節ごとに間違う。なのに、クライスレリアーナや幻想曲は、これ以上はないというような名演だった」
・・・・リヒテルによると、ネイガウスは教育熱心すぎたらしい。教育熱心なのはピアニストにはマイナスになることが多い、とも語っていた。


プロコフィエフについての話も興味深かった。
「プロコフィエフは面白い人間だったが、キケンな人物。主義主張がなく、どんな仕事でも請け負う。スターリンの誕生日のための曲も作った」

当時、スターリンに依頼された作曲をことわるなんて絶対にできない話だと私は思うのだが・・・・。そういうリヒテル自身がスターリンの葬儀で演奏している。(ただその演奏は、反スターリン的だった、という噂が流れたらしい・・。
その理由のひとつに、弾き始めると同時にペダルが効かないことに気付き、少しでも効けば・・という思いで楽譜をペダルの下に敷いたら、爆弾を仕掛けたと勘違いされたこともあるようだ)

プロコフィエフについてはこうも言っている。
「プロコフィエフはラフマニノフに批判的だった。練習曲(音の絵)などは、どれもダメだと言っていた。それはなぜか・・・・・影響を受けていたのだ(ここでリヒテルはニヤリとした)。特に、あのあたりがね(といって、ある箇所を歌った)」

プロコフィエフとラフマニノフが対立していた、というよりプロコフィエフが皮肉っぽく批判していたことについてはなにかで読んで知っていたが(ラフマニノフはアメリカへ行ってしまったので、当時の体制の下ではほめるわけにもいかなかったのかもしれない・・)、こういう話を直接「語り」の形できくのは、どれだけ大量の伝記を読むよりもイメージが生き生きとする。たとえ、語り手の好き嫌いやその他のフィルターに覆われていたとしても、だ。

というわけで、後半を見て、もし書けるようだったら、感想をまたUPしてみたいと思う。