江戸末期、幕府は南下するロシアに対する警備のため東北6藩に蝦夷地の警護を命じました。
仙台藩は白老に本陣を置き広尾、厚岸、根室、国後、択捉に出張陣屋を置きました。
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庄内藩は浜益に本陣を置き留萌、苫前、天塩に出張陣屋を置いています。
→ https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/581b78d2c5994569cc8534dcaf49bfbf
そして南部藩は函館に本陣を置き砂原、モロラン(室蘭)、ヲシャマンベ(長万部)に出張陣屋を置きました。
函館の本陣は遺構は残っていませんが、ロープウェイ山麓駅付近の“南部坂”に名を残しています。
出張陣屋の砂原、室蘭、長万部の各所は残っていて、国の史跡に指定されています。
その砂原の陣屋跡は砂原3丁目の市街地にあります。
国道を走っていると看板があるのでわかりやすい。
築造されたのは1856年、1868年(明治元年)に撤退しています。
現地は高さ3mの土塁が残っており、東西37間(66.6m)、南北33間(59.4m)、
ここに約30名(50名とも)が駐屯していたと言われています。
土塁以外の遺構は見当たりません。
市街地の中にあるので街並みに飲み込まれたのであろう。
簡単な陣屋跡の案内板もありますが、その内容もどうも怪しい。
この陣屋についていろいろな資料がありますが、内容がバラバラだ。
このような例はいろいろあり、自治体の公的資料でも信用できない。
この陣屋についても砂原町史ではモロラン出張陣屋の屯所(派出所)という記述がありますが真偽は不明。
いろいろな経緯があったことは承知していますが、事実を特定することは大変なことだと思います。
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