私は丹波屋旅館で中頓別の文化を意識したと書きましたが、
それをさらに上回る事実を発見したのは市街地図を見てから。
そこにはなんと簡易裁判所の記載がある。
こんな小さな町に簡易裁判所とは、これいかに。
調べてみると道内に簡易裁判所所在地で一番人口が少ないのが中頓別町でした。
今の状況がどうであれ、簡易裁判所の所在地はかつてはその地方の中心地だった。
これは本別町でも感じたことで、かの地の文化度はかなり高いものでした。
とすると、中頓別町もかつてはかなりの賑わいを誇ったところに違いない。
そのひとつの語り部が旧丹波屋旅館だった。
俄然、中頓別町に興味がわいてきた。
中頓別が発展したきっかけはペーチャン川で砂金が発見されたこと。
これによりゴールドラッシュが起きますが、
資源の枯渇によりブームが去り本格的な開拓がはじまります。
次の転機は宗谷線(後の天北線)が開通したこと。
大正3年には小頓別まで、5年には中頓別まで開通しています。
ということで、最初は小頓別が発展しやがて中頓別が栄えてくる。
当時、両集落には数十軒の商店が立ち並び遊郭もあったという。
その後頓別村より分村し中頓別村が成立、この地方の中心として発展。
村の産業は当初は林業、その後畑作になり酪農業へと移っていきます。
そのような町の様子が窺われる、コンパクトながら見ごたえのある施設でした。
しかし冬期休館という資料館が多い中、開館しているとは大したものです。
※暖房はないので暖かい格好で訪問してください
*中頓別町郷土資料館
住 所:枝幸郡中頓別町字中頓別37
開館時間:9:30~16:30
入 館 料:高校生以上120円、小中学生60円
休 館 日:月曜日、祝祭日
そして音威子府の駅で蕎麦を食べる。
それが王道だ。