JRの夜行列車も少なくなりました。
道内で残るのは札幌と本州を結ぶ急行「はまなす」と、
特急は「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」だけです。
ところでかつては札幌駅を基点に道内各方面に夜行列車が走っていました。
その中で道内で唯一、愛称が与えられた普通夜行列車があります。
それが小樽ー釧路間を走っていた「からまつ」です。
この列車に愛称が付いていたのは1974年7月から1980年9月まで。
それ以前から走っていましたが、
このときからマルス(指定券類の販売システム)で寝台券を売ることになり、
販売の都合上名前をつける必要があるということで愛称がつきました。
ちなみに全国では「からまつ」の他「山陰」「南紀」「ながさき」の夜行普通列車に愛称が付いています。
私は高校のときにこの「からまつ」に乗りました。
どうせ乗るなら始発からと、札幌駅から小樽駅へ向かい釧路駅まで乗りとおしています。
でもどういう経緯で釧路駅へ向いそのあとどこへ行ったか、覚えていないんだなぁ…。
でもこの列車に乗ったことだけは覚えている。
それだけ愛称のついた普通夜行列車に乗ることは印象的なことだったのですね。
編成は寝台車2両(うち1両は池田ー釧路間回送扱い)に座席車4両、
その他荷物車などが3両というのが所定の編成だったようです。
さて、1976年の時刻表でこの「からまつ」を見てみましょう。
始発の小樽駅出発は21:16。
札幌までは張碓のみ通過し札幌駅到着が22:02、出発は22:20。
岩見沢駅までは豊幌駅だけを通過し到着が23:15、このあたりまでが札幌の通勤圏でしょうか。
再び各駅に停車しながら茶志内駅を過ぎると日が変わり滝川駅から根室本線へ。
この先帯広駅まで通過するのは東滝川、滝里、布部、鹿越、東鹿越、幾寅、羽帯の各駅だけ。
さすが普通列車、夜中でもこまめに停車するんですね。
帯広駅到着は5:35、池田駅が6:19。
このあたりまでで実質的に夜行列車の役割は終わり、寝台車も1両締め切りになります。
このあとは始発列車として釧路駅まで各駅に停車して到着が9:30。
小樽駅から12時間14分の旅でした。
12時間ですよ。
今では考えられない、長旅です。
また夜行列車としては帯広駅あたりで役割は終わりますが、
当時は札幌圏から十勝圏までひとつの列車を仕立てるほど夜行需要があったということでもあります。
これも帯広との距離が縮まった今では考えられませんね。
道内に鉄道網がまだ張り巡らされていた頃のお話しでした。
道内で残るのは札幌と本州を結ぶ急行「はまなす」と、
特急は「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」だけです。
ところでかつては札幌駅を基点に道内各方面に夜行列車が走っていました。
その中で道内で唯一、愛称が与えられた普通夜行列車があります。
それが小樽ー釧路間を走っていた「からまつ」です。
この列車に愛称が付いていたのは1974年7月から1980年9月まで。
それ以前から走っていましたが、
このときからマルス(指定券類の販売システム)で寝台券を売ることになり、
販売の都合上名前をつける必要があるということで愛称がつきました。
ちなみに全国では「からまつ」の他「山陰」「南紀」「ながさき」の夜行普通列車に愛称が付いています。
私は高校のときにこの「からまつ」に乗りました。
どうせ乗るなら始発からと、札幌駅から小樽駅へ向かい釧路駅まで乗りとおしています。
でもどういう経緯で釧路駅へ向いそのあとどこへ行ったか、覚えていないんだなぁ…。
でもこの列車に乗ったことだけは覚えている。
それだけ愛称のついた普通夜行列車に乗ることは印象的なことだったのですね。
編成は寝台車2両(うち1両は池田ー釧路間回送扱い)に座席車4両、
その他荷物車などが3両というのが所定の編成だったようです。
さて、1976年の時刻表でこの「からまつ」を見てみましょう。
始発の小樽駅出発は21:16。
札幌までは張碓のみ通過し札幌駅到着が22:02、出発は22:20。
岩見沢駅までは豊幌駅だけを通過し到着が23:15、このあたりまでが札幌の通勤圏でしょうか。
再び各駅に停車しながら茶志内駅を過ぎると日が変わり滝川駅から根室本線へ。
この先帯広駅まで通過するのは東滝川、滝里、布部、鹿越、東鹿越、幾寅、羽帯の各駅だけ。
さすが普通列車、夜中でもこまめに停車するんですね。
帯広駅到着は5:35、池田駅が6:19。
このあたりまでで実質的に夜行列車の役割は終わり、寝台車も1両締め切りになります。
このあとは始発列車として釧路駅まで各駅に停車して到着が9:30。
小樽駅から12時間14分の旅でした。
12時間ですよ。
今では考えられない、長旅です。
また夜行列車としては帯広駅あたりで役割は終わりますが、
当時は札幌圏から十勝圏までひとつの列車を仕立てるほど夜行需要があったということでもあります。
これも帯広との距離が縮まった今では考えられませんね。
道内に鉄道網がまだ張り巡らされていた頃のお話しでした。
ご訪問いただきありがとうございます。
紀勢本線の普通夜行列車は1974年にマルス収容の関係により名称が付くことになりました。
このときについた名前がここにあるように「南紀」です。
その後1978年に名古屋ー紀伊勝浦間に特急ができたときに「南紀」の名前を譲り、
ご指摘のように「はやたま」と改称しています。
私は1983年に紀伊半島を旅行しましたが、
その際乗ったときには「はやたま」でした。
夜行普通列車「南紀」については以上の経緯となっています。
期末試験が終わる毎実家に帰って物です。
貧乏学生はそれが普通と思っていました。
札幌からは、通勤客(お酒入った)や帰省等で
混んでいたので暫らく立席でした。
確か貨物優先の運行と記憶しています。
狩勝峠を過ぎると、列車内も冷え込み、
新得で降りると、朝5時ごろも相まって
冷たい空気で体がピンとなった記憶が有ります。
「からまつ」の言葉で学生時代の思い出が蘇って来ます。
ありがとございました。
樹海ロードも道東道もないころは「からまつ」が当たり前でしたね。
札幌ー新得
確か朝5時ごろ着きます
大学時代の帰省を思い出します