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2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

横手やきそば食べ歩き ソースの歴史

2024-02-06 23:54:22 | 食文化

横手焼きそばの食べ歩きを1月からしていますが、戻ってからや外出しない時には、その資料作りとなります。足で稼ぐだけでは知識として不十分ですので、横手焼そばの歴史から、段々広がり過ぎて、ついに今日は一日ソースのお勉強となりました。

焼きそばについてネットで調べると、どうしても画一的な資料はなく、いつ頃で東京で食べられていたと云う話があったとか、大阪ではこうだとか、あいまいな情報が多くあります。これを矛盾なく整理しようとすると、ある程度確実と思われるところまで客観的なデータで調べておく必要があります。

また、最近では「まとめサイト」と称して、取材もしていないのに店の紹介を書いたするものもあるようで、話がトンチンカンなサイトも見受けられます。そうした情報を排除するためには、こちらが情報武装する必要があり、また複数で書かれているかをチェックしたり、書かれた時期や情報の出元を確認する必要があったりします。さらに別なサイトから必要な部分だけ「切り取った」ため、情報が不確か、誤解を招く記載になったりするところもあるようです。

今回ソースのお勉強をしたのもそのためで、焼きそばやその親戚のお好み焼き、もんじゃ焼きなどを調べるうえで、ソースはメーカー発の情報があるため、これを元に周辺の話と照らし合わせて、矛盾が出れば、その情報がおかしいと云うことがわかります。

-ソースの歴史-

ウスターソースが発売されたのは1837年(天保8)、英国ウスター州でのこと。これが日本に入ってきたのは江戸時代末期で、日本での製造が始まったのは、1885年(明治18)、ヤマサ醤油が「ミカドソース」として発売したものだったが、不発で1年で生産中止となった。

ウスターソースの製造販売で最初に成功したのは、1889年(明治22)上菱醤油製造(旧茨城県鳩崎村:のちにキッコーマンが子会社化)の「鳩ソース」で、すぐに全国的な販売が行われ、1890年の第三回内国勧業博覧会でも人気を博した。この開発に関わった安井氏は神戸で1896年(明治29)には安井舎蜜工業所(現阪神ソース・「日ノ出ソース」ブランド)を設立、国内初のソース専業メーカーが誕生した(会社はソース開発は1885年と主張)。

明治20年代後半には、一般市民にも洋食が広く普及した時期と合致し、三ツ矢ソース(1894年・現ハグルマ社・和歌山)、錨印ソース(1896年・現イカリソース・兵庫)、矢車ソース(1897年・伊藤胡蝶園・東京)、白玉ソース(1898年・野村用食料品製造所・廃業・大阪)、犬首印ソース(1905年・現ブルドックソース・東京)、カゴメソース(1908年現カゴメ・名古屋)とソースメーカーが各地で創業された。

時々一時



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