相内鉱山の後、一度小坂に戻って、未だ言ったことのなかった小坂七滝の道の駅に。小坂に戻る際に、ついでに鴇(ときと)鉱山跡も探してみました。鴇集落から大分奥に入口の標識がありましたが、そこから先は雑草に埋もれて、行けば熊と友達になりそうでしたので、標識までで今回は撤退。
鴇鉱山は、延宝6年(1678)に発見され、南部藩の藩営鉱山となり、現地で選鉱、製錬まで行われた。その後は中断と再開を繰り返し、明治35年(1905)にはかなりの盛況になり、近くに鉱山集落が出来た。同40年に藤田組(現DOWA)が買収して鉱夫375人で採掘を行い、国内重要鉱山にも指定され、索道で小坂製錬所まで鉱石を運搬したとのこと。
大正10年(1921)に選鉱場が焼失し、そのまま閉山となった。戦後の昭和30年、同和鉱業㈱(現DOWA)が探鉱を行ったが、すぐに閉山。
遺構として、レンガ造りの煙突やカラミ捨て場、選鉱場の跡地等が残されているそうです。また川沿いの道は鉱石運搬用のトロッコ線路の跡で、毛馬内まで続いていたという。
(小坂・カラミ(製錬滓)処分場)
その後小坂に戻り、大規模リサイクル施設として現在稼働中の小坂製錬の周辺をウロウロして、旧小坂鉱山も少し見ることが出来ました。見れたところ、雑草などで見られなかったところ、いろいろありましたが、小坂の周辺を3時間以上もウロウロ出来たのは、今回初めてで、面白かったです。