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フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月20日(金) 晴れ

2024-09-21 12:19:35 | Weblog

7時45分、起床。

死んだふりはやめなさい。

「ばれちゃしょうがねいな」

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

本日の朝ドラ。あの美佐江はすでに亡くなっていたのか。子供が3歳になってすぐ車に轢かれて死んだそうだ(自殺か?)。その残された手記を読む寅子。美佐江は東京で「特別な自分」を失っていったのだ。あのとき自分が美佐江に寄り添っていれば・・・と悔やむ寅子。家裁に送致された美佐江の娘に向き合うことが最終週のテーマの1つになる。

今日は午前中に大学で会合があるので、昨日のブログは書いている時間はない。

図書館にジンメル『社会学の根本問題ー個人と社会ー』(居安正訳)を返却する。夏休みを使って取り組んでいた原稿は今日の午前2時過ぎにネットから提出した。なんとか2万字に収めた。これが在職中に書く(出す)最後の論文になるだろう。

教員ロビーのメールボックスに本が2冊入っていた。ありがとうございます。

嶋崎尚子ほか『台湾炭鉱の職場史』青弓社。

エヴァ・イルーズ(久保田裕之訳)『なぜ愛に傷つくのか』福村出版。

早稲田ウィークリー(ネットマガジン)のポスター。「大学生のうちにやって良かった20のこと」か・・・。わが身を振り返って20もあがらない。実際は、各界で活躍する9名の卒業生へのインタビューで、各自が2~4つのピソードを語り、合計が20ということである。

私なら・・・

 出身高校のバドミントン班のコーチを2年間(大学1・2年)勤めたこと。

 地元の学習塾の講師を2年間(大学3・4年)勤めたこと。

 海外旅行(ヨーロッパ)に行ったこと。

 たくさん本を買ったこと(すべて読んでいたわけでないが)。

・・・そんなところかな。サークルには入っていなかったし、大学に友人は少なかったが、そのことはまったく後悔していない。何かを選ぶということは何かを選ばないということだから。

畑山直子氏(大正大学専任講師)の博士論文公開審査会に出席。論文タイトル「生き抜くために移住する —埼玉県秩父地域を事例とした若年移住者の生活史分析—」。審査会終了後、畑山さんに、この研究に着手してから論文の完成までに何年かかりましたかと尋ねたら、「12年です」とおっしゃった。子供が小学校を卒業するまでの時間だ。「手塩にかけた」という言葉がふさわしい。

昼食を食べに出る。

「たかはし」に行く。

二重弁当を注文する。

食後の一服は「カフェゴトー」で。

アイスココアを注文して、小説の続きを読む。

 私は地上の風景を頭に思い浮かべてみた。もし彼女のいうとおりだたとしたら、この上あたりに二軒のラーメン屋と河出書房とビクター・スタジオがあるはずだった。私の通っている床屋も近くにある。私はもう十年もその床屋に通っているのだ。
 「この近くに行きつけの床屋があるんだ」と私は言った。
 「そう?」と彼女は興味なさように言った。
 世界が終わってしまう前に床屋に行って髪を切るというのも悪くない考えであるような気がした。どうせ二十四時間かそこらで何かたいしたことができるわけでもないのだ。風呂に入ってさっぱりとした服に着替え、床屋に行くくらいが関のやまかもしれない。(『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』29章より)

 「最後の晩餐には何を食べたいか」「最後の一日には何をしたいか」というのは定番の質問である。この場面の条件は、「私」はあと24時間で自分の世界(意識の中での)が終わるということである。床屋はそのことを知らないし、彼には関係のないことである。彼の世界が終わるわではないからだ。もし実在としての世界が終わるのであれば、たぶん床屋は営業をしていないだろう(もし営業していたらたいした床屋である)。

今朝焼きあげた(ショーケースに入る前の)ケーキがたくさん並んでいる。スタッフの方に「どれが一番お好きですか?」と聞いたら、「う~ん、どれにしようかな」と目をキラキラさせながら悩んでいる。あ、あの、ごちそうしますよという話ではないんですけど(笑)。

カウンターの中ではマスターがこれからタルトタタン用の林檎を煮ようとしている。

タルトタタンに使うのは「津軽」という林檎。「紅玉」は水分が多くてタルトタタンには向いていないそうだ。へぇ、知りませんでした。

タルトタタンの話をしていたら食べたくなった。アップルティーと一緒に。最近、何かの雑誌で「東京のタルトタタン20選」に選ばれたそうである。

研究室に戻って、まだ書いていない昨日のブログを書こうかどうしようか迷ったが、原稿を書きあげて、頭は疲れ、目もしょぼしょぼしているので、今日は休むことにした。東京駅のホームで電車を待ちながら、「どこか遠くへいきたい」と思った。しかし、遠くに行くには疲れている。

蒲田に戻り、「一二三堂」で『NHK俳句』10月号を買う。

レジのそばの棚にはユーミンのLPジャケットが置いてある。ご主人が若い頃、買ったものである。1979年12月に発売されたアルバムだ。当時、LPというのはちょっとした高い買い物だった。

しかし、夏はいまほど暑くはなかった。むしろ冬の寒さの方が記憶に残っている。そんな話をご主人とした。

ナツの墓の水に蛙が入っている姿を見るようになったのも今年からである。「ホント、助かってますケロ」

シャワーを浴びて、着替えて、扇風機の風にあたりながら、『NHK俳句』10月号の「巻頭名句」(井上弘美選)に目を通す。

 晩秋の水にしづんでゆく錨 鴇田智哉

これは「夏の河赤き鉄鎖のはし浸る」(山口誓子)を意識した句ではなかろうか。

しばらく昼寝。クーラーが故障しているので、扇風機の風を強めにして。これはこれで気持ちがいいものである。昔はみんなこうしていたのだった。

夕食は、妻が昨日帯状疱疹のワクチンを接種して体が痛いというので、「吉岡家」に食べに行く。

私はせいろとカツ煮。妻は鴨せいろ。

デザートは家でシャインマスカット。

風呂から出て、昨日と今日の日記を付ける。

1時半、就寝。