フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月9日(月) 晴れ、雲が湧く

2024-09-10 12:29:34 | Weblog

7時半、起床。

今朝は早起きをしたので、朝食前に朝ドラをリアルタイムで観た。時間は早足で進む。8年に及んだ原爆裁判は原告側の敗訴に終わり、義母は亡くなり、多岐川はガンの手術を受け療養中で、ヨ・ハンスの娘は母が朝鮮人であることを隠して生きてきたことに反発し、よねと轟は尊属殺人の被告の弁護を引き受け、寅子は東京家庭裁判所少年部部長になり、桂場は最高裁長官に就任する。これ、全部一回分の話である。まるで一週間の振り返りのようである。詰め込み過ぎでしょ。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。過不足のない食卓である。

昨日のブログを書く。

いつも食パンを買っている大森のパン屋「ベイクマン」のインスタに土下座のイラスト。何かと思ったら、「本日、製造が遅れております。主な原因としては熟睡による寝坊が考えられます」とのこと(笑)。

今日は11時45分に歯科を予約している。白い雲が盛り上がっている。

ここは「おしゃべり歯科」である。医師とおしゃべりをし、担当の歯科衛生士さんとおしゃべりをし、受付の方とおしゃべりをする。診療中は口を開けているからおしゃべりはできないが、診療前、診療の合間、診療後におしゃべりをする。11時45分(から)というのは午前中の最後の予約の時間帯なので、後ろに患者がおらず、みんなゆとりがあるのである。来月も同じ時間帯で予約をした。

白い雲はますます盛り上がり、両手を振り上げた怪獣のように見える。

帰宅して原稿書き。

3時近くなって、いつものように遅い(遅すぎる)昼食を食べに出る。

多摩川を越えて、矢向にある「ノチハレ珈琲店」へ向かう。普段は水曜日に行くことが多いのだが、今週の水曜日は早稲田で卒業生と会うので、今日にしたのである。

「ノチハレ珈琲店」の定休日は火曜と土曜である。

曜日のせいか時間帯のせいか、先客はいなかった。

いつものようにマヨたまトーストと梅ソーダを注文する。梅ソーダを飲めるのもあと1回(来週)か2回(再来週)かな。梅ソーダが終わると、夏が終わったなと思う。

私が入店した後もしばらく客は入って来なかったので、久しぶりで店主さんとたくさんおしゃべりができた。「ノチハレ珈琲店」はいま9年目で、来春、10周年を迎える。ここに店を開く前、関内(横浜)の駅前でキッチンカーで珈琲を販売していたそうである。朝早くから販売を始め、出勤人たちにに買ってもらえたそうだが、果物を絞ってジュースを作ることがキッチンカーでは許可が下りなかったり、夏の暑さが半端なかったことなどから、キッチンカーは短期間でやめたそうである。矢向は地元で、自転車で通える場所に店舗を探して、ここに決めたそうだ。スケルトンの物件だったが、以前はお好み焼きやもんじゃのお店で(客としてきたことも会った)、空調装置が店の広さの割に大きいそうである。店主さんはとくに「カフェをやりたい」という夢があったわけではなく、なりゆきでカフェを開くことになったという方があたっている。その点は「スリック」のマダムに似ている。

マヨたまトーストを食べ終え、梅ソーダも飲み終えた頃、ベビーカーに赤ちゃんを乗せた女性が入って来て、梅ソーダを注文した。私はハレブレンドを注文し、卓上にキンドルを置いて、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の続きを読むことにした。ところがその女性は10分足らずで、梅ソーダ―を飲み干し、会計を済ませて、店を出て行った。駅のホームの立ち食いソバ屋並みの短期滞在である。カフェの利用の仕方としては異例である。「ずいぶんと早いね」と私が店主さんに言うと、「そうですね。私も驚きました」と店主さんにとっても珍しい客だったようだ。「はじめての方?」「はい、初めていらした方です」。ベビーカーを押していたのだから近隣にお住いの方だろう。以前から店の前を通っては一度入ってみたかったのかもしれない。お子さんが生まれて、カフェからしばらく遠ざかっていて、カフェでの過ごし方の感覚が戻っていないのかもしれない。あるいは急に何かを思い出したのかもしれない。それとも赤ちゃんがうんちをしてしまったのかもしれない。でも、それにしてはあわてて出て行った感じはしなかったな。ほんの束の間、一息入れたかっただけなのかもしれない。

 やがて秋はその姿を消した。ある朝目を覚まして空を見上げると、秋はもう終わっていた。空にはもうあのさっぱりとした秋の雲の影はなく、そのかわりにどんよりとした厚い雲が不吉な知らせをもたらす使者のように北の屋根の上に顔をのぞかせていた。街にとって秋は心地良く美しい来訪者だったが、その滞在はあまりにも短かく、その出立はあまりにも唐突だった。
 秋が去ってしまうとそのあとには暫定的な空白がやってきた。秋でもなく冬でもない奇妙にしんとした空白だった。獣の体を包む黄金色は徐々にその輝きを失い、まるで漂白されたような白味を増して、冬の到来の近いことを人々に告げていた。(中略)「今年の冬の寒さはおそらく格別のものになるだろうな」と老大佐は言った。「雲の形をみればそれが分かるんだ。ちょっとあれを見てみなさい」
 老人は僕を窓際につれていって、北の尾根にかかった厚く暗い雲を指さした。
 「いつも今頃の季節になると、あの北の尾根に冬の雲のさきぶれがやってくる。斥候のようなもんだが、そのときの雲の形で我々は冬の寒さを予想することができる。のっぺりと平たい雲は温暖な冬だ。それが分厚くなればなるほど冬は厳しくなる。そしていちばん具合が悪いのが翼を広げた鳥の恰好をし雲だ。それが来ると、凍りつくような冬がやってくる。あの雲だ」
 僕は目をすぼめるようにして北の尾根の上空を見た。ぼんやりとではあるが、老人のいう雲を認めることができた。(中略)
 「五十年か六十年に一度の凍てつく冬だ」大佐は言った。「ところで君はコートを持っておらんだろう?」(「世界の終わり―森ー」より)

 われわれの住む街でも、秋は短いだろうと言われている。しかし、夏の暑さのことがさかんに話題になるようには、冬の寒さのことは話題にならない。むしろ冬の温かさ、雪の降る日の少なさのことが話題になっている。ダウンコートは厚さの異なる3着をもっているが、一番軽いやつでたいてい間に合っている。一番重いやつは去年は一度も着なかったように思う。

それぞれに小さな男の子を連れたママ友らしき二人連れが入って来た。席を立つにはいいタイミングだ。滞在時間はちょうど1時間だった。

電車の窓から見る東の空のモクモクとした雲は下の方が灰色になっている。

帰宅して夕刊を広げると、囲碁の国際大会で日本の一力遼(いちりき・りょう)棋聖が優勝したという記事が一面に出ていた。囲碁はだいぶ前から中国と韓国が二強で(国をあげての英才教育が行われている)、日本人の優勝はなんと19年ぶりである。快挙といっていい。日本囲碁界の悲願であった。ちなみに将棋は日本がダントツのトップである(言い方を換えれば、国際的に普及していないボードゲームのである)。

夕食まで原稿を書く。

夕食はモツ鍋。まだ季節が早いように思うが(残暑がきびしい)、妻が言うには、「ちょっと前、涼しくなったときに買ったニラがしなびちゃうから」。食材の事情なのね。

デザートはシャインマスカット。

食事をしながら『降り積もれ孤独な雪よ』最終回(録画)を観る。最終回だから、すべての謎が明らかになったが、上質なミステリー小説と違って、伏線にもなかったような出来事が最終回でいきなり出てくるというのは、『笑うマトリョーシカ』同様、びっくりするというよりも興覚めである。裏になったままのものも含めてテーブルの上のカードだけで勝負してほしい。机の下から新しいカードを出さないでほしい。そうでないと、何でもありになってしまう。

「最終回で人が死ななかったのはよかったですね」

原稿を書く。自分が以前い書いた論文を読み返して、書こうと思っていたことがすでに書いてあることがわかって、「やれやれ」と思うことがよくある。新しくひらめいたのではなくて、思い出しただけなのだ。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。