寡黙に、しかし、メールは公私とりまぜて何通も書いたので、ある意味では饒舌な一日を自宅で過ごす。その中の一通のメールにまつわる話。
小学校時代の同級生だったN子さんからメールをいただく。N子さんはいま大阪の高校で英語の教師をされている。姓のイニシャルで書かないのは、結婚して姓が変わっているから、それでは別人のようでしっくりしないからである。N子さんは私のことを「孝治くん」と呼ぶきわめて少数の(絶滅危惧種といってよい)人たちの一人である。近所では廃業したクリーニング屋のおばさんぐらいだ。ただし、これはメールの中での呼称で、小学校時代、N子さんは私のことは「大久保くん」と呼んでいた。小学校のクラスには、美人で勉強もできる女の子というのが一人ないし二人くらいの割合でいると思うが(これは社会的法則の一種である)、N子さんはそういう女の子の典型だった。そういう女の子は学級副委員長になった。一方、学級委員長は男の子がなるものというジェンダーがはっきりしていた時代で、私もしばしばそれを務めた。しかし、3年・4年・5年・6年とずっと同じクラスであったにもかかわらず、私が学級委員長でN子さんが副委員長という組み合わせの記憶はない。どうしてかというと、学級正副委員長は通年のものではなく、学期ごとに別の生徒が選ばれたからだ。N子さんはたいてい一学期に副委員長に選ばれる。それに対して私は二学期か三学期に委員長に選ばれる。人望におけるこの違いが私とN子さんがペアになれない根本的な理由であった。ちなみに私としばしばペアを組んだE子さんは、いま、私の家の二軒隣に住んでいる。
で、N子さんが今日メールを私に送ってきたのは(前回=初回から数年が経っている)、N子さんはTVドラマ『ありふれた奇跡』を観て、昔自分が住んでいた土地(蒲田・池上周辺)がロケ地になっていることに気づき、もしかしたら「孝治くん」のブログにそのことが載っているんじゃないかと思ったら、やっぱり載っていて(しかも度々写真まで付けて)、それで嬉しくなって・・・ということであった。『ありふれた奇跡』のおかげである。そしてもうひとつの「ありふれた奇跡」ともいえるのは、私が購入してその書名をブログに書いた本の著者が、N子さんがつい最近リカレント教育で大学院の修士課程で学んだときの先生のお一人だったことだ。清水幾太郎研究のための一冊として購入した本だが、そんなつながりがあったなんて、驚いた。N子さんは『ありふれた奇跡』を毎週その時間(大阪でも木曜10時)にちゃんとテレビの前に座って観るそうだ。そうしないとこの素晴らしいドラマに対して申し訳ないような気がするという。その感覚は実によくわかる。私も努めてそうするようにしている。お互い、そういう世代の人間なのである。
小学校時代の同級生だったN子さんからメールをいただく。N子さんはいま大阪の高校で英語の教師をされている。姓のイニシャルで書かないのは、結婚して姓が変わっているから、それでは別人のようでしっくりしないからである。N子さんは私のことを「孝治くん」と呼ぶきわめて少数の(絶滅危惧種といってよい)人たちの一人である。近所では廃業したクリーニング屋のおばさんぐらいだ。ただし、これはメールの中での呼称で、小学校時代、N子さんは私のことは「大久保くん」と呼んでいた。小学校のクラスには、美人で勉強もできる女の子というのが一人ないし二人くらいの割合でいると思うが(これは社会的法則の一種である)、N子さんはそういう女の子の典型だった。そういう女の子は学級副委員長になった。一方、学級委員長は男の子がなるものというジェンダーがはっきりしていた時代で、私もしばしばそれを務めた。しかし、3年・4年・5年・6年とずっと同じクラスであったにもかかわらず、私が学級委員長でN子さんが副委員長という組み合わせの記憶はない。どうしてかというと、学級正副委員長は通年のものではなく、学期ごとに別の生徒が選ばれたからだ。N子さんはたいてい一学期に副委員長に選ばれる。それに対して私は二学期か三学期に委員長に選ばれる。人望におけるこの違いが私とN子さんがペアになれない根本的な理由であった。ちなみに私としばしばペアを組んだE子さんは、いま、私の家の二軒隣に住んでいる。
で、N子さんが今日メールを私に送ってきたのは(前回=初回から数年が経っている)、N子さんはTVドラマ『ありふれた奇跡』を観て、昔自分が住んでいた土地(蒲田・池上周辺)がロケ地になっていることに気づき、もしかしたら「孝治くん」のブログにそのことが載っているんじゃないかと思ったら、やっぱり載っていて(しかも度々写真まで付けて)、それで嬉しくなって・・・ということであった。『ありふれた奇跡』のおかげである。そしてもうひとつの「ありふれた奇跡」ともいえるのは、私が購入してその書名をブログに書いた本の著者が、N子さんがつい最近リカレント教育で大学院の修士課程で学んだときの先生のお一人だったことだ。清水幾太郎研究のための一冊として購入した本だが、そんなつながりがあったなんて、驚いた。N子さんは『ありふれた奇跡』を毎週その時間(大阪でも木曜10時)にちゃんとテレビの前に座って観るそうだ。そうしないとこの素晴らしいドラマに対して申し訳ないような気がするという。その感覚は実によくわかる。私も努めてそうするようにしている。お互い、そういう世代の人間なのである。