フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月27日(金) 霙のち雨

2009-02-28 02:00:52 | Weblog
  10時、起床。霙が降っている。「淋しさの底ぬけて降るみぞれかな」(丈草)が頭に浮かぶ。本当に寒々とした冬の雨である。朝食兼昼食のインスタント・ラーメンを食べてから、近所の耳鼻科へ行く。喉の具合は昨日の朝よりも悪化しているように感じる。医者は「ずいぶん腫れてますね。これは重症です」と言った。おかしなもので、そう言われると寒い中を来た甲斐があったような気がする。これがもし「たいしたことはありませんね」と言われたら、「そんなことで泣くんじゃありません。男の子なんだから」と母親に言われた子どものような気分になったことだろう。抗生剤、消炎剤、去痰剤、そしてそれらの薬から胃腸を保護するための薬が処方される。向かいの薬局で処方箋を渡す。今日は薬剤師との世間話はなし。今日は(おそらく明日も)寡黙な男でいかねばならぬ。高倉健でいかねばならぬ。
  霙は氷雨(ひさめ)ともいうが、氷雨は霙よりも概念が広く、冷たい冬の雨一般を指す場合もある。午後、霙は氷雨に変わった。氷雨といえば演歌の名曲「氷雨」は私の愛唱歌の一つである。愛唱歌といってもカラオケや宴会の席で歌うわけではなく、傘を差して歩きながらひとりで口ずさむのである。多くの歌手に歌われていて、最近では「うたばん」でジェロが歌うのを聴いたが、プロの歌手に「上手」という言い方はへんだが、実際、とても上手だった。しかし、何といっても日野美歌の「氷雨」が一番だ。あのすみずみまで自分のものにした情感たっぷりの歌いぶりは完成された芸術品を観るようである。「氷雨」の歌詞のポイントは「傘がないわけじゃないけれど」の部分である。たんに「帰りたくない」というのと、「傘がないわけじゃないけれど 帰りたくない」というのとでは陰影の深さが全然違う。もしも、私が女性から「帰りたくない」と言われても、「帰りなさい」と言うと思うが(高倉健ですから)、「傘がないわけじゃないけれど 帰りたくない」と言われたら、同じ返事を言えるかどうか自信がない。今日、ユーチューブで検索していたら、本田美奈子の「氷雨」を見つけた。これがいいのである。日野美歌とは違う彼女独自の「氷雨」である。本田美奈子が白血病で亡くなって3年が経つ。映像の中で伴奏のピアノを弾いている羽田健太郎も一昨年に58歳で急逝した。美しく、淋しい「氷雨」である。
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