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フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月13日(土) 晴れのち曇り

2007-10-14 02:55:06 | Weblog
  土曜日は授業がない。月曜日も授業がないので、土・日・月と週休三日のように傍からは見えるのだが、日・月はその週の授業の準備(文献を読むとか、映像教材の作成とか、授業の前日では間に合わないもの)にあてているので、休日らしい休日は土曜日だけである。休日の楽しみは朝寝坊と昼寝である。寝ることはそれ自体が快楽だが、身体の疲れが取れるという効用がある。一週間の疲れを翌週に繰り越さないためには、土曜日の朝寝坊と昼寝は欠かせない。
  昼寝の後、散歩に出る。東急プラザの新星堂でモーツァルトのピアノ協奏曲第24番の入ったCDを探す。一昨日、大森の駅ビルの新星堂をのぞいたときに見つけた(しかしそのときは購入しなかった)ゼルキンのピアノで第20番が一緒に収録されているCDがいいんじゃないかと思ったのだが、蒲田店にはなかった。その代わり内田光子のピアノでやはり第20番と第24番を収録したCD(イギリス室内管弦楽団、指揮はジェフリー・テスト)があったので、それを購入した。栄松堂で村上春樹の最新エッセー『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)を購入。面白いタイトルだ。レイモンド・カーヴァー風なのだろうか。

  「ただ黙々と時間をかけて距離を走る。速く走りたいと感じればそれなりにスピードも出すが、たとえペースを上げてもその時間を短くし、身体が今感じている気持ちの良さをそのまま明日に持ち越すように心がける。長編小説を書いているときと同じ要領だ。もっと書き続けられそうなところで、思い切って筆を置く。そうすれば翌日の作業のとりかかりが楽になる。アーネスト・ヘミングウェイもたしか似たようなことを書いていた。継続すること-リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気を使っても気をつかいすぎることはない。」(15-16頁)

  帰宅してさっそくCDを聴く。内田光子のピアノは情緒が安定している。女性ピアニストの演奏というのは決まり文句のように「情熱的」と形容されるものが多いが、内田の演奏はそうしたジェンダー的なものを感じさせない。内田は、モーツァルトのピアノ・ソナタ及びピアノ協奏曲の全作品の録音で世界的な名声を得たのだが、こうした大仕事を遂行するためには、むらっけのない持続する意志が必要で、その意味では、村上春樹と相通じるところがあるのではなかろうか。
  夜、反町隆史主演のTVドラマ『ドリーム・アゲイン』の初回を観る。死んだ人間が他者の肉体を借りて生き返るという物語には既視感があるが、生き返った目的が、愛する人を守るためとかではなくて(そっちの方向にいくのかもしれないが)、自分がやり残した夢(もう一度野球がやりたい)のためということろが、「夢は必ず叶う」をモットーとする現代社会を反映している。志田未来があいかわらず陰気な役をやらされている。子役でもなく、かといって大人の役でもない、中途半端な年齢なのだろう。次回も観るかどうかは微妙である。