見知らぬ方からメールを戴きました。
唯一私が担当する民主党公設掲示板のポスターが、かなり前の「暮らしを守る力になる」バージョンだったらしく、県連で制作した「反省、結束、改革」バージョンに貼り換えて欲しいとの内容でした。
県連に在庫を含めて問い合わせたところ、指摘戴いた方にはこれまで幾たびご助言戴いたそうで、「壬生でよく見つけたなあ~」ととのことでした。
たった1枚ですが、やはり重要なことですから、遅延なく対応させて戴きました。
さあ、反転攻勢です。
見知らぬ方からメールを戴きました。
唯一私が担当する民主党公設掲示板のポスターが、かなり前の「暮らしを守る力になる」バージョンだったらしく、県連で制作した「反省、結束、改革」バージョンに貼り換えて欲しいとの内容でした。
県連に在庫を含めて問い合わせたところ、指摘戴いた方にはこれまで幾たびご助言戴いたそうで、「壬生でよく見つけたなあ~」ととのことでした。
たった1枚ですが、やはり重要なことですから、遅延なく対応させて戴きました。
さあ、反転攻勢です。
「大阪都構想」が潰えた、橋下徹維新の会党代表の弁です。
もはや“あだ花”だったというべきか。しかしそこは「みんな」とは違って、己の理想を貫徹すべく様々なアジテートがありました。渡辺喜美氏や石原慎太郎&安倍総理に至るまで、彼との協働を模索し、一部実現できたのは、彼のズバ抜けたカリスマ性を礎としたバリュー&スキルがあったからでしょう。
私たち民主党は特に、先の統一自治体選挙において「維新」に凌駕をされました。特に近畿地区において辛酸を舐めたことは、私にとって辛い経験です。“浪速のエリカ様”の騒動が、もう少し大きくなっていれば…。ネガティブと言われても、あそこでもう少し踏んばっていたかったと。
松野頼久同幹事長が代表になることで、“民主党主導”の政界再編がなされるとの楽観的私見がささやかれています。“強い野党”であった頃の民主党は、敵失まがいの姑息な手法に埋没はしませんでした。
「それ見たことか」とタカを括る前に、再び政権を党に我々はふさわしいのか、胸に手を当てて考えてみましょう。
那須塩原市=旧西那須野地区の議会報告会を傍聴しました。10月に初めて行われる、壬生町議会と住民との懇談会――トーク&ディスカッションの参考にと伺いましたが、なかなにスリリングなやり取りが展開されました。
中でも新庁舎建設の段では、議論百出、「民意に悖る」と概ね反対の意見が。傍聴していて「解らなくもないが」との念にとらわれましたが、合併をする際の“急ぎ過ぎた感”は否めません。
全体に、班長さんの献身的な姿勢が目立つ中、考えてみれば10月の最初の壬生公民館での会合は、私が班長であると。汚点を残さぬよう、今日の研鑽を最大限に生かして参ります。
昨日のUAゼンセン関東ブロック議員団会議の主眼は、来年夏に迫った参議院選挙でした。
2年前に苦杯を舐めたかわいたかのり氏のリベンジに向け、様々な確認がありました。
私からは、統一選から3ヵ月ずれる東北被災地の候補者との強固な連携を熱望しました。
時間(とき)はいつだって、No For Oneです…。
政治活動を休止していたわけではありません。
ただ、非改選ということで、出遅れ感が何となく…。ほか自治体は改選後の臨時議会が開かれたり、委員会改選や会派改編が行われたりで、横目に少し羨ましく思えていました。
そんななか、先日藤岡隆雄民主党栃木4区総支部長と杯を傾ける機会がありました。国政、また一党一派一族独裁の壬生町の現状を憂い、語り合い、互いの決起を確認しました。
今日は午後から、UAゼンセン関東ブロックの議員団会議が浦和で開催されます。来週はまず、那須塩原市の議会報告会の傍聴、政研フォーラム栃木の幹事会、電機連合栃木地協の政・労・使研修会、民主党栃木県連大会と公務が目白押し。再来週は『頑張り隊』総会、議運、選挙支援、党青年委員会役員会、6月議会一般質問通告と続きます。つまり、立ち止まってはいられない、ということです。
おっと、そろそろ時間です。では、行って参ります!
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5月24日から始まる埼玉県蕨市議会議員選挙において、盟友=大嶋公一候補予定者の支援に向かうため、日程調整やら宿泊先の手配やらをしています。
そういえば、7月末には大親友=小野寺健仙台市議の改選もあるということで、取り急ぎ対応について党青年委員会事務局の花岡朋久氏に連絡を。「統一選最大の功労者である小野寺議員支援のチームをつくりたい。御礼や友情の濃淡を勘案したうえで、特化したカタチはとれないだろうか」――そんな提案です。
花岡氏によれば、黒岩青年委員長が「被災地候補支援」という形で、おもに東北の同志を対象に支援体制のたたき台をつくっているとのこと。27日の役員会に上梓されるそうなので、まずは一安心です。
50で青年委員をはる往生際の悪い私ですが、まだまだやりたいことがイッパイです。
ユーチューブでディープパープルの『BURN』を視聴していると、妙な違和感にとらわれました。
時は1975年、看板ギタリストのリッチー・ブラクックモアは去り、ショーケン似のトミー・ボーリンにと変わっていました。ステージ上の影は薄いの何の。
で、この曲の難解のところが露わに。
リッチ―が「ポール・ロジャースのように、ムーディーなボーカリストを」との意図で獲得したデイビット・カヴァーデールが、この曲に関してはまったく機能していません。
ベースのグレン・ヒューズが、サビを「これでもか」と言わんばかりに歌い切り、その間トミーの怠慢なギターソロ、カヴァーデールの再びの登場時には会場は白けている始末…。
ヒューズの絶叫ボーカルをよ是とするなら、なにゆえイアン・ギランをクビしたのか、よく解りません。因みに私は、ヒューズのキャラが大嫌いです。
これは政治にも言えることで、適宜な人材を配置しなかったら、民心はすぐに離れていきます。
――相も変わらず、岡田さんの影は薄いですね。カヴァーデールにならないよう、祈るばかりです。
大江健三郎氏の同名小説のタイトルを、過去に“座右の銘”としていた時期がありました。大学生から編集者の間、多分6~7年間かと。
「むやみやたらに跳んでも」と思った瞬間、日常は退屈なものとなり、しばらくそれが続きました。
36歳時に政治家になることを決意し、いよいよ設えた座右の銘は“人生は、極楽のようにはつくられていない”です。以来13年間、その思いは変わっていません。
ただ今さらながら、先を見過ぎるるあまりふん切れない自分がいることも事実です。
「見る前に跳べ」――復活も良いのかと。
後援会事務所デッキの柵がかなり老朽化してきたなと思っていたところ、父親がどこからか材料を調達し、 リューアルがなされました。かなりの出来です。
何と、ミニ菜園までも造っていて…。
こだわりはいいのですが、事務所での仕事で横を通るたび、対応に困ってしまいます。
まあ口にこそ出しはしませんが、感謝しています。まあ適当に、父の日のプレゼントを奮発してやろうかと。
寸暇を縫って、『竜三と七人の子分たち』を。
北野武監督の、“笑い”へのこだわりが随所に散りばめられていました。爆笑を煽るような過剰なモノでなく、むしろ“オジイチャンたち”が醸し出す、真剣なのにもの悲しくもある、氏独特なそれです。
クライマックスの、バスジャックしたうえ若いインテリヤクザを追いかけるシーン――商店街の隘路をものともせず突き抜けていくここに、作品のキモがあったと思います。それにしても、随分とハチャメチャにやったもんです。
あっ、私的には、狡猾なチンピラ役の下條アトム氏が妙に気になりました。昨日の『太陽にほえろ!』再放送では、実兄の恨みを晴らすべく人質をとって立てこもる、愚直な犯人役を演じていました。「素晴らしいナレーション」と賛辞を受ける氏ですが、いつでもチンケな役どころを演じられる玄人好みのところが、北野監督の目にとまったんっだんだと理解します。
それにしても「アトム」という名前、父親の下條正巳氏が「これからは原子力の時代だ」とつけたそう。お二人とも、「アトム」っぽくはありませんね。