壬生の政局やいかに…

真の民主主義町政を求めて…

『BURN』の怪…

2015-05-13 22:14:39 | Weblog

ユーチューブでディープパープルの『BURN』を視聴していると、妙な違和感にとらわれました。

時は1975年、看板ギタリストのリッチー・ブラクックモアは去り、ショーケン似のトミー・ボーリンにと変わっていました。ステージ上の影は薄いの何の。

で、この曲の難解のところが露わに。

リッチ―が「ポール・ロジャースのように、ムーディーなボーカリストを」との意図で獲得したデイビット・カヴァーデールが、この曲に関してはまったく機能していません。

ベースのグレン・ヒューズが、サビを「これでもか」と言わんばかりに歌い切り、その間トミーの怠慢なギターソロ、カヴァーデールの再びの登場時には会場は白けている始末…。

ヒューズの絶叫ボーカルをよ是とするなら、なにゆえイアン・ギランをクビしたのか、よく解りません。因みに私は、ヒューズのキャラが大嫌いです。

これは政治にも言えることで、適宜な人材を配置しなかったら、民心はすぐに離れていきます。

――相も変わらず、岡田さんの影は薄いですね。カヴァーデールにならないよう、祈るばかりです。


「見る前に跳べ」

2015-05-13 21:33:23 | Weblog

大江健三郎氏の同名小説のタイトルを、過去に“座右の銘”としていた時期がありました。大学生から編集者の間、多分6~7年間かと。

「むやみやたらに跳んでも」と思った瞬間、日常は退屈なものとなり、しばらくそれが続きました。

36歳時に政治家になることを決意し、いよいよ設えた座右の銘は“人生は、極楽のようにはつくられていない”です。以来13年間、その思いは変わっていません。

ただ今さらながら、先を見過ぎるるあまりふん切れない自分がいることも事実です。

「見る前に跳べ」――復活も良いのかと。