その日、横須賀の料亭で飲んでいたが、新田大尉は大西大佐が日頃の言動からすれば決起した青年将校に少しは共鳴すると思ったのに、かえって訓戒的態度をとったのは甚だおもしろくないと言い出した。
新田大尉は居合わせた大西大佐に「あなたの血は赤誠の赤い血ではなく灰色に濁った血だ」とからみ始めた。
すると大西大佐は「この野郎、灰色の血か赤い血か見せてやる」と新田大尉につかみかかり、大佐と大尉は四つに組んだまま階段から転がり落ちた。
その後、昭和12年8月、新田大尉は渡洋爆撃に参加、爆撃隊長として不帰の客となった。大西大佐は通夜の席に駆けつけ、新田大尉の写真の前に一睡もせずに端座し続けた。
それから七年後、大西海軍中将は軍需省航空兵器総務局次長として、朝日講堂で「血闘の前線に応えん」という講演を行なっているが、この中で「美談のある戦争はいけない」と述べている。
「だいたい非常に勇ましい挿話がたくさんあるようなのは決して戦いがうまくいっていないことを証明しているようなものである」
「たとえば、足利・北条が楠木正成に対して、事実は勝った場合がそれである。足利や北条の方には目ざましい武勇伝なり、挿話なりというものはなくて、かえって楠木方に後世に伝わる数多い悲壮な武勇伝がある」
「だから勇ましい新聞種が沢山できるということは、戦局からいって決して喜ぶべきことではない」などと話した。
昭和15年重慶に入った蒋介石軍に対して、第一、第二および南支連合航空隊が合同して一挙に攻撃することになった。
各航空隊の司令官が漢口に集まり、曙荘というクラブで飲んだ。山口多門少将、大西瀧治郎少将、寺岡謹平少将、それに特務機関長の左近直允少将である。いずれも海軍兵学校の同期生である。
先任の山口多門が中央から司令を受けているので「重慶爆撃は各国大使館もあることだし、慎重にやらないといかんぜ」と念を押した。
これが大西少将の癇に触った。「なにをいうか、日本は今戦争をしているんだ。イギリスだって、ヨーロッパで負けかかっているではないか。アメリカも戦争に文句はあるまい。絨毯爆撃で結構だ」と言った。
山口少将は「大西、馬鹿なことをいうんじゃない」と応じた。
すると大西少将は「ふん、へっぴり腰。だいいち貴様のところのあの飛行機はなんだ。古くてガタガタじゃないか」
そう言ったとたんに山口少将は盃を投げつけ、徳利をつかんで大西少将に打ちかかった。寺岡少将と左近少将が止めようとしたが、二人は取っ組み合いの大喧嘩になった。
そのあと二人はなんとか和解をしてまた飲みなおした。山口少将は「おれも徹底的に叩きたいのだが、中央が重慶は慎重にやれというんだ」と告白すると、大西少将が「それが戦争だよな、山口」と言って、酒を飲み続けた。
新田大尉は居合わせた大西大佐に「あなたの血は赤誠の赤い血ではなく灰色に濁った血だ」とからみ始めた。
すると大西大佐は「この野郎、灰色の血か赤い血か見せてやる」と新田大尉につかみかかり、大佐と大尉は四つに組んだまま階段から転がり落ちた。
その後、昭和12年8月、新田大尉は渡洋爆撃に参加、爆撃隊長として不帰の客となった。大西大佐は通夜の席に駆けつけ、新田大尉の写真の前に一睡もせずに端座し続けた。
それから七年後、大西海軍中将は軍需省航空兵器総務局次長として、朝日講堂で「血闘の前線に応えん」という講演を行なっているが、この中で「美談のある戦争はいけない」と述べている。
「だいたい非常に勇ましい挿話がたくさんあるようなのは決して戦いがうまくいっていないことを証明しているようなものである」
「たとえば、足利・北条が楠木正成に対して、事実は勝った場合がそれである。足利や北条の方には目ざましい武勇伝なり、挿話なりというものはなくて、かえって楠木方に後世に伝わる数多い悲壮な武勇伝がある」
「だから勇ましい新聞種が沢山できるということは、戦局からいって決して喜ぶべきことではない」などと話した。
昭和15年重慶に入った蒋介石軍に対して、第一、第二および南支連合航空隊が合同して一挙に攻撃することになった。
各航空隊の司令官が漢口に集まり、曙荘というクラブで飲んだ。山口多門少将、大西瀧治郎少将、寺岡謹平少将、それに特務機関長の左近直允少将である。いずれも海軍兵学校の同期生である。
先任の山口多門が中央から司令を受けているので「重慶爆撃は各国大使館もあることだし、慎重にやらないといかんぜ」と念を押した。
これが大西少将の癇に触った。「なにをいうか、日本は今戦争をしているんだ。イギリスだって、ヨーロッパで負けかかっているではないか。アメリカも戦争に文句はあるまい。絨毯爆撃で結構だ」と言った。
山口少将は「大西、馬鹿なことをいうんじゃない」と応じた。
すると大西少将は「ふん、へっぴり腰。だいいち貴様のところのあの飛行機はなんだ。古くてガタガタじゃないか」
そう言ったとたんに山口少将は盃を投げつけ、徳利をつかんで大西少将に打ちかかった。寺岡少将と左近少将が止めようとしたが、二人は取っ組み合いの大喧嘩になった。
そのあと二人はなんとか和解をしてまた飲みなおした。山口少将は「おれも徹底的に叩きたいのだが、中央が重慶は慎重にやれというんだ」と告白すると、大西少将が「それが戦争だよな、山口」と言って、酒を飲み続けた。