鈴木侍従長は思いもかけなかった事態に困惑した。浜口首相がロンドン会議妥結の回訓の裁可を願い出る、その直前に断乎反対を加藤軍令部長が願い出るというのでは、天皇がどう決定してよいか、その判断を迷わせるだけだ。
鈴木侍従長はロンドン会議が紛糾し始めたときに、自分の意見をはっきり次の様に表明している。
「これはどうしても、まとめなければいけませぬ。自分が侍従長という職にいなければ、出て行って加藤あたりを説得してやるのですけれども、現在の地位ではそうすることもできない」
「いったい、陛下の幕僚長である軍令部長は、もっと沈黙を守って自重してくれなくては困る。民衆に呼びかけて、世論を背景に自分の主張を通そうとするが如き態度はまことに遺憾である」
「だいたい七割でなければ駄目だというのは凡将の言うことで、軍令部長というものは、与えられた兵力でいかにこれを動かすか、六割でも五割でも決められたら、その範囲内でどうでも動かせますというところに軍令部長たるゆえんがあるので、七割でなければ駄目だとか、今日の若い士官たちは昔と違うとかいう風なことを言うのは、第一おかしな話で、若い士官たちを導いてよくするのは、軍令部長たる人の心がけ如何で同にでもなると思う」
「今と昔と精神的にもすべてにおいて、違ったことは、決して無い。どうも加藤は一徹で、感情的で困る」。
以上のようにはっきりと条約締結に賛意を示している鈴木侍従長は、加藤軍令部長を侍従長官邸へ呼びつけて面談した。
鈴木侍従長は、先輩としてたしなめるような口調で、「拝謁は反対上奏のためという噂があるが、事実かどうか」と訊ねた。
加藤軍令部長は「そうだ」と返事をした。
そこで鈴木侍従長は「そういうことになれば、一番お困りになるのは陛下である。一方は国策上の責任者たる総理大臣、他方は統帥部の幕僚長、この二人が相反する上奏をしたのでは、陛下をお苦しめさせることになる。その辺のところを十分に考慮しているのか」。
「もちろん十分考慮した上での決意である。幕僚長として責任がもてぬから、上奏申し上げるのだ」と加藤軍令部長は答えた。
鈴木侍従長はかつての鬼貫太郎の気迫で迫った。「シーメンス事件の折、八代大将は自らの主張を強く主張するときは、常に辞表を懐にして閣議などに出られた。次官の自分もまた然りだった。君にはその覚悟があるのか」。
加藤軍令部長は言葉に窮した。鈴木侍従長はなおも、次の様に迫った。
「今後の方針で海軍は、『政府方針ノ範囲ニ於イテ最善ヲ尽クスベキハ当然』と決めたというではないか。兵力量の決定はもともと軍令部長の任務であり、軍令部長が如何と言うたら、総理大臣はそれに従わねばならぬ」
「実は自分が軍令部長の時、昭和二年、ジュネーブ海軍軍縮会議において、兵力量を出先で勝手に決めたことについて、私は岡田海相を通じて斉藤実全権に反対だと電報して、取り消させたことがあった」
「軍令部長の責任とはそういうものだ。ところが、今回の騒ぎではどういうことか。海軍が今後の方針を決め、君はそれを承認した。そしていわば自分が従うと決めた兵力量を、総理が陛下に奏上するのに、自分は反対です、いけませんと、真っ先に上奏するというのは、道理にもとることになるのではないか。君はどう考えるのか」。
以上のように鈴木侍従長が述べると、加藤軍令部長は「とにかく用兵作戦上、これだは困るのです……軍令部長としては……」とますます答えに窮した。
鈴木侍従長はさらに次の様に言った。
「いわゆる三大原則なるものは、自分が軍令部長在職時代にはなかったと記憶する。潜水艦保有量についても、わが保有量を多くすれば、米国もまた保有量を多くする」
「そうなれば、大いに考えねばならぬことになろう。対米作戦においては、アジアにある米根拠地を速やかに奪取すること、つまりフィリピンを即座に攻略することが絶対必要の先決問題である」
「しかるに米国が多数の潜水艦をフィリピンにもつことは、わが作戦を非常に困難ならしめるように思われるが、この点も君はどう考えているのか」。
加藤軍令部長は「それはそうかもしれない。……しかし、いまさら……如何することもできぬ」と答えた。
鈴木侍従長はロンドン会議が紛糾し始めたときに、自分の意見をはっきり次の様に表明している。
「これはどうしても、まとめなければいけませぬ。自分が侍従長という職にいなければ、出て行って加藤あたりを説得してやるのですけれども、現在の地位ではそうすることもできない」
「いったい、陛下の幕僚長である軍令部長は、もっと沈黙を守って自重してくれなくては困る。民衆に呼びかけて、世論を背景に自分の主張を通そうとするが如き態度はまことに遺憾である」
「だいたい七割でなければ駄目だというのは凡将の言うことで、軍令部長というものは、与えられた兵力でいかにこれを動かすか、六割でも五割でも決められたら、その範囲内でどうでも動かせますというところに軍令部長たるゆえんがあるので、七割でなければ駄目だとか、今日の若い士官たちは昔と違うとかいう風なことを言うのは、第一おかしな話で、若い士官たちを導いてよくするのは、軍令部長たる人の心がけ如何で同にでもなると思う」
「今と昔と精神的にもすべてにおいて、違ったことは、決して無い。どうも加藤は一徹で、感情的で困る」。
以上のようにはっきりと条約締結に賛意を示している鈴木侍従長は、加藤軍令部長を侍従長官邸へ呼びつけて面談した。
鈴木侍従長は、先輩としてたしなめるような口調で、「拝謁は反対上奏のためという噂があるが、事実かどうか」と訊ねた。
加藤軍令部長は「そうだ」と返事をした。
そこで鈴木侍従長は「そういうことになれば、一番お困りになるのは陛下である。一方は国策上の責任者たる総理大臣、他方は統帥部の幕僚長、この二人が相反する上奏をしたのでは、陛下をお苦しめさせることになる。その辺のところを十分に考慮しているのか」。
「もちろん十分考慮した上での決意である。幕僚長として責任がもてぬから、上奏申し上げるのだ」と加藤軍令部長は答えた。
鈴木侍従長はかつての鬼貫太郎の気迫で迫った。「シーメンス事件の折、八代大将は自らの主張を強く主張するときは、常に辞表を懐にして閣議などに出られた。次官の自分もまた然りだった。君にはその覚悟があるのか」。
加藤軍令部長は言葉に窮した。鈴木侍従長はなおも、次の様に迫った。
「今後の方針で海軍は、『政府方針ノ範囲ニ於イテ最善ヲ尽クスベキハ当然』と決めたというではないか。兵力量の決定はもともと軍令部長の任務であり、軍令部長が如何と言うたら、総理大臣はそれに従わねばならぬ」
「実は自分が軍令部長の時、昭和二年、ジュネーブ海軍軍縮会議において、兵力量を出先で勝手に決めたことについて、私は岡田海相を通じて斉藤実全権に反対だと電報して、取り消させたことがあった」
「軍令部長の責任とはそういうものだ。ところが、今回の騒ぎではどういうことか。海軍が今後の方針を決め、君はそれを承認した。そしていわば自分が従うと決めた兵力量を、総理が陛下に奏上するのに、自分は反対です、いけませんと、真っ先に上奏するというのは、道理にもとることになるのではないか。君はどう考えるのか」。
以上のように鈴木侍従長が述べると、加藤軍令部長は「とにかく用兵作戦上、これだは困るのです……軍令部長としては……」とますます答えに窮した。
鈴木侍従長はさらに次の様に言った。
「いわゆる三大原則なるものは、自分が軍令部長在職時代にはなかったと記憶する。潜水艦保有量についても、わが保有量を多くすれば、米国もまた保有量を多くする」
「そうなれば、大いに考えねばならぬことになろう。対米作戦においては、アジアにある米根拠地を速やかに奪取すること、つまりフィリピンを即座に攻略することが絶対必要の先決問題である」
「しかるに米国が多数の潜水艦をフィリピンにもつことは、わが作戦を非常に困難ならしめるように思われるが、この点も君はどう考えているのか」。
加藤軍令部長は「それはそうかもしれない。……しかし、いまさら……如何することもできぬ」と答えた。