陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

545.源田実海軍大佐(5)兵器の改善・発明等を軽視または無視している大馬鹿野郎だ

2016年09月02日 | 源田実海軍大佐
 次に、柴田大尉が立ち上がり、次の様な意見を述べた(要旨)。

 「吹き流し標的に対する射撃の成績を見てもわかるとおり、敵機にぶっつかるほど接近して射撃すれば、命中弾数および命中率(発射弾数に対する命中弾数)は確かに飛躍的に向上する」

 「しかし、戦闘機の固定機銃が攻撃機等の旋回機銃と比べて断然有利な点は、連続射撃における射弾の散布界が小さく、従って命中効率(単位時間における命中弾数)が高いということである」

 「このことを考慮しないで、至近の距離で旋回機銃と打ち合ったならば、命中効率は、散布界が大きく連続発射における命中率の低い旋回機銃と(機銃数を一対一とした場合)ほとんど一対一となり、一機をもって多数機を撃墜し得る、戦闘機固有の威力を減殺することとなる」

 「その実例の一端を、昨年(昭和七年)第一次上海事変において、小谷機に二〇メートルまで接近して被弾し白煙を吐いた、敵ボーイング戦闘機が示している」

 「なお、小谷機が撃墜されなかったのは、米人ロバート・ショートが、射撃が、あまり上手でなかったか、操縦者等の致命部に被弾しなかった小谷機が幸運であったか、そのいずれかであると思う」

 「したがって、戦闘機固有の威力を遺憾なく発揮するためには、被害を最小限にして有効な命中弾を得る適当な射距離から射撃する必要がある」

 「しかし、そのため射距離が多少延長する。従って命中効率が低下する。そこで、命中効力(命中効率+弾薬の威力)を向上させるため、優秀な照準器その他高性能の兵器弾薬等の発明、ならびに実戦的な訓練を実施する必要がある」。

 以上のように、柴田大尉は意見を述べた。

 ところが、柴田大尉の意見開陳が終わるか終わらないうちに、出席していた海軍航空本部技術部長・山本五十六(やまもと・いそろく)少将(新潟・海兵三二・十一番・海大一四・霞ヶ浦航空隊副長・兼教頭・在米国大使館附武官・二等巡洋艦「五十鈴」艦長・空母「赤城」艦長・ロンドン会議全権随員・少将・航空本部技術部長・第一航空戦隊司令官・ロンドン会議予備交渉代表・中将・航空本部長・海軍次官・連合艦隊司令長官・大将・戦死・元帥・正三位・大勲位・功一級)が、スックと立ち上がった。

 山本少将は、立ち上がると同時に、次の様に言って、柴田大尉らを叱責した。

 「いま、若い士官達から射距離を延ばすという意見が出たが、言語道断である。そもそも帝国海軍の今日あるは、肉迫必中の伝統的精神にある。今後、一メートルたりとも射距離を延ばそうとすることは、絶対に許さん」。

 柴田大尉はこれを聞いた瞬間、「この人は精神偏重に眼がくらみ、各国海軍とも、敵艦を遠くから射撃して撃沈するため、艦砲(兵器)の研究・開発・発明・発達に伴って射距離が伸びてきている、という歴史的な明白な事実、およびその自然必然性を忘れ、兵器の改善・発明等を軽視または無視している大馬鹿野郎だ(と言われても仕方がないようなことを、権力をかさに着て威張ってものを言っている)」と思った。

 昭和八年十二月源田実大尉は、空母「龍驤」の戦闘機分隊長に着任した。九〇式艦上戦闘機の一個分隊の指揮官だった。

 この時、源田大尉は初めて、山本五十六少将の部下として勤務した。

 「真珠湾作戦回顧録」(源田実・文春文庫)によると、第一航空戦隊は空母「赤城」「龍驤」の二隻と駆逐艦四隻で編成されており、第一航空戦隊司令官は、山本五十六少将だった。

 昭和九年、演習の後、第一航空戦隊の研究会が、旗艦である空母「赤城」の士官室で開かれた。研究会は、特別の制限がない限り、将校は誰でも参加ででき、発言できた。

 この研究会の席上で、意見が対立して収拾が困難な場合に、よく山本司令官が立ち上がって、明快な判断を下した。

 源田大尉は以前から、山本五十六という人は、なかなかの人物であるとは聞いていたが、本物にお目にかかったのは、この時が最初だった。

 昭和九年当時の連合艦隊司令長官は、末次信正(すえつぐ・のぶまさ)大将(山口・海兵二七・海大七・首席・巡洋艦「筑摩」艦長・軍令部第一班第一課長・海軍大学校教官・ワシントン会議次席随員・少将・第一潜水戦隊司令官・海軍省教育局長・中将・軍令部次長・舞鶴要塞司令官・第二艦隊司令長官・連合艦隊司令長官・大将・横須賀鎮守府司令長官・予備役・内務大臣・内閣参議)だった。