陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

394.真崎甚三郎陸軍大将(14)それだけ悪いことをしているなら、何故君が陸相のとき罷免しなかったか

2013年10月10日 | 真崎甚三郎陸軍大将
 渡辺教育総監「只今は永田軍務局長の行動を議題としているのではない。問題を紛糾させるためなら別だが、永田君のことはまた別に論議する機会があるだろう」。

 菱刈大将「そうかも知れぬが、その三月事件とやらいうのは、従来小耳にはさんだことはあるが、こういう席ではまだ聞いたことがない、ついでに事情を聞いてみてはどうか」。

 阿部大将「それは別の機会がよかろう」。

 真崎大将「陸相は永田と三月事件の関係は御承知のことと思うがどうか」。

 林陸相「荒木前陸相から何らの引継ぎも受けていないから知らぬ」。

 荒木大将「それでは申し上げる」。

 ここで荒木大将は、三月事件の性格から、宇垣、建川、二宮、小磯、大川周明のことなどを挙げて、永田もまたその一味として動いていることを、冗漫な口調で述べた。

 林陸相「只今のお話だけでは永田を罷めさせねばならぬほどの事実がよく諒解できない。殊にそれだけ悪いことをしているなら、何故君が陸相のとき罷免しなかったか、今頃になって持ち出されることはすこぶる迷惑だ」。

 これには荒木大将も一本参った。沈黙せざるを得なかった。

 林陸相「永田に非違があれば無論これを糺明するのは自分の責任であり、あるいは永田の責任といえども自分もまたこれを負わねばならぬこともある。抽象的な攻撃より具体的な事実を示されたい」。

 荒木大将「具体的に言えば永田は一日も現役に留まっておれないと思えばこそ抽象的に言ったのだが、御希望とあらば申し上げよう」。

 それを引き取って真崎大将が三月事件について、永田が起案したクーデターの原案を提出して、各参議官に回付した。右下がりの永田特有の文字、誰が見ても疑う余地がなかった。

 真崎大将は末席に控えている永田軍務局長を特に呼び寄せて、「これは貴官の執筆と思うが間違いはないか」と念を押した。一見した永田軍務局長が「その通りである」と答えた。

 真崎大将「これほど歴然たる証拠がある。三月事件は闇から闇に葬られているが、かような大それた計画を軍事課長(当時)自ら執筆起案しながら、時の当局者はこれを不問に付している。軍規の頽廃これよりもはなはだしいものがあろうか。その者をこともあろうに陸軍軍政の中枢部たる、軍務局長の席につかせているとは何事であるか」。

 それまで三月事件の真相については、林陸相をはじめ列席の参議官は、知らない者が多かった。わずかに杉山参謀次長が、陸軍次官として知っているだけだった。

 いわんや永田の起案になる計画書の本物は杉山次長すらも見ていなかった。これは、小磯軍務局長が一見した上、宇垣にも見せないですぐ永田に返し、永田軍治課長は金庫に収蔵したまま、山下に事務引継ぎのときにはすっかり失念していたものだった。

 林陸相はさすがに驚いた。永田軍務局長は釈明を求められれば、何時でも応答する気構えでいささかも困惑の色を見せていなかった。

 このとき、林陸相が何か言おうとするのを押さえて、渡辺教育総監が立ち上がって、次のように言った。

 渡辺教育総監「只今の書類は、確かに穏やかならざることが書いてある。しかも書いた者は永田であることも間違いはない。けれどもこれは永田個人の策案で、陸軍として責任を負うべき書類ではないように思うがその点は如何なものか」。

 真崎大将「なるほど正式の書類ならば、局長、次官、大臣の決裁がなければならぬという渡辺総監の意図のようであるが、普通の書類とは違う非合法なるクーデター計画ですぞ、大臣、次官の決裁印がなくても、実質はりっぱな公文書である」。

 渡辺教育総監「自分は単なる私文書と思ったが、真崎参議官の見解では公文書、軍の機密文書だとの御意見、列席の諸官は果たして同認められるか」。

 渡辺教育総監は巧みに各参議官の見解を知ろうとした。だが誰も発言するものはいなかった。そこで、荒木大将が次のように発言した。

 荒木大将「念を押すまでもなくこれは立派な軍の機密書類である」。

 渡辺教育総監「宜しい。一歩を譲って機密公文書と認めよう。それならばお尋ねするが、軍の機密文書を一参議官が持っていられるのはどういう次第であるか。機密書類の保存はきわめて大切なことである。これが一部でも外部に洩れたとすれば、軍機漏洩になる。真崎参議官はどうして持参せられたか、御返答によっては所要の手続きをとらねばならぬ」。