陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

393.真崎甚三郎陸軍大将(13)陸相が独断で罷免したことは統帥権の干犯ではないか

2013年10月03日 | 真崎甚三郎陸軍大将
 陸相官邸で開かれた、この軍事参議官会同に参集した参議官は、荒木貞夫大将、阿部信行大将、川島義之大将、菱刈隆大将だった。

 それに、松井石根(まつい・いわね)大将(愛知・陸士九次席・陸大一八首席・歩兵第三九連隊長・少将・歩兵第35旅団長・参謀本部第二部長・中将・第一一師団長・ジュネーブ軍縮会議全権委員・台湾軍司令官・大将・上海派遣軍司令官・中支那方面軍司令官・死刑)と、新参議官の真崎甚三郎大将も出席した。

 省部から出席したのは、陸軍大臣・林銑十郎大将、新教育総監・渡辺錠太郎大将、参謀総長代理として参謀次長・杉山元中将、軍務局長・永田鉄山少将らだった。

 だが、この会議では、期せずして、さきの三長官会同の延長戦が行われたのである。この会議の模様は、「順逆の昭和史」(高宮太平・原書房)によると、次の通り。

 最初、林陸相が普通の挨拶をし、渡辺大将から教育総監就任の言葉が述べられた。次に真崎大将が教育総監更迭の経緯を真崎流に解釈して、林陸相の措置を非難した。

 林陸相は蒼白な顔をして聞いていたが、別にこれを反駁しようとしなかった。そうすると、荒木大将が立ち上がって、次のように述べ正面きって挑戦してきた。

 「只今、真崎大将の話を聞くと陸相の措置ははなはだ失当で、統帥権干犯のおそれもあるように思われる。この点、陸相の明快なる答弁を願いたい」。

 そう言われると、林陸相も黙っているわけにゆかぬから、経緯報告をして、真崎大将の陳述が事実と相違せることを詳細に述べた。

 すると荒木大将は再び立ち上がり、林陸相に対して再反論した。以後、軍事参議官会同では、次のような、熾烈な議論が展開した。

 荒木大将「陸相は真崎大将の陳述は事実と違うとのことであるが、将官の人事については三長官協議の上決定することに陸軍省と参謀本部の間に協定があり、その協定は上奏御裁可を得ているものである。それを無視して真崎大将の承諾しないものを、陸相が独断で罷免したことは統帥権の干犯ではないか」。

 林陸相「独断ではない、参謀総長宮殿下の御同意を得ている」。

 阿部大将「その協定は御裁可を仰いだものではないと聞いている。いわゆる上げ置き上奏で、陛下に奏上しただけのものではないか」。

 渡辺教育総監「その問題は山縣公が非常に心配されて、そういう協定をして将来過ちないようにしたもので、只今阿部大将の言われる通り、上げ置き上奏となっている」。

 林陸相「これについては陸軍省でも参謀本部でも研究した結果、教育総監が辞任を肯じないときは、陸相、参謀総長合議の上辞任させて差し支えないという結論を得ている」。

 荒木大将「杉山次長、果たしてその通りであるか」。

 杉山次長「左様であります」。

 菱刈大将「理屈はそうでもあろうが、ただ何となく陸相の執られた措置は穏当を欠いたように思われる」。

 林陸相「こういうことになったのは私の不徳の致すところである。しかしこれ以外に執るべき手段がなかったから、その点は御了承を願いたい」。

 荒木大将「陸相は軍の統制云々と言われ、真崎大将がその統制をみだしたようなお話しであるが、それはそもそもどういうことであるか」。

 林陸相「真崎大将は派閥的行動があり、それが軍の統制上すこぶる面白くない影響を与えている」。

 松井大将「派閥は確かにある。それはかねて自分も面白くないと思っていた」。

 川島大将「自分もその点は松井大将と同感である」。

 真崎大将「派閥とか何とか言われるが、それなら、永田軍務局長はどうであるか、永田は宇垣陸相のとき三月事件に関与し、陸軍の統制を乱したのみならず、その後の行動は永田こそ派閥的行動をしている張本人ではないか、こういう者を側近に置いて、自分らを責めるのは順逆を誤ってはいないか」。