そもそも、辻少佐が、怒鳴りつけたのは、その場の感情的なものではなかった。辻少佐は、七月二日夜、服部参謀の同期生、横田千也少佐とともに前線に出た。
横田少佐はハルハ河の第一回渡河の援護部隊の大隊長だった。部隊は、後続部隊の先陣として、横田大隊長指揮のもとに、十隻の折畳船で五十メートルの河を渡り、ソ連軍の第一線の敵地に突入した。
辻少佐も横田大隊長とともに、敵陣に突入した。そこに敵戦車が攻撃してきた。「豪に入れ、肉薄攻撃準備!」と、辻少佐の隣に立っていた横田大隊長が怒鳴った瞬間に斃れた。
横田大隊長は頭部貫通で戦死したのだ。右から左から、正面から十数輌の敵戦車が突入してきた。戦場は修羅場となった。手榴弾が飛び、機関銃が火を噴いた。
三十分の戦闘で、敵戦車二輌を火炎瓶で焼き、一輌を砲塔に飛び乗って捕らえた。太陽が昇るとともに、歩兵第七一連隊、第七二連隊が駆けつけた。
辻少佐はその後も戦場にいた。小松原師団長も前線に出てきた。だが、敵航空機と戦車の圧倒的な攻撃で、日本軍は押されてきた。
そのような過酷な戦闘のあと、七月四日、「須見連隊長ビール事件」が起きた。この事件について、辻政信はその著書「ノモンハン秘史」(辻政信・毎日ワンズ)で次のように記している。
午後三時頃であった。悲痛な顔をした須見連隊の将校が、部隊の危機を訴えるように報告している。「火炎瓶と地雷を下さい」。声が慄えている。
師団長はたったいま参謀長を失ったばかりのところへ、またしても前岸の急を訴えられ、苦悩の色がさすがに濃い。
師団参謀は手不足で、前岸に行く余裕はまったくなさそうだ。またお手伝いしようと思って副長に申し出た。異論はない。
師団長は柔和な瞳で、「君、行ってくれるか、御苦労ですが……」と、心からいたわり、喜んで申し出を承認された。
「護衛兵を連れて行け」と言われたが、白昼、敵砲弾下を潜るには一人に限る。敵がどんなに弾薬が豊富であったにしても、まさか一人の目標に対して大砲を向けることもあるまいと考えながら、砲弾の合間を縫いながら、再びハルハ河を渡った。
昨日からの渇きを癒すのはただこのときだ。橋板の上に腹ばいになって水筒で河水を汲み、たちまち二本を飲み干した。師団長にも、兵にも飲ませてやりたい……。
ハラ高地の連隊本部に辿り着いたとき、まだ陽が高いのに連隊長は夕食の最中であった。不思議にもビールを飲んでいる。
この激戦場でどうしたことだろう、ビールがあるとは……。飲まず食わずに戦っている兵の手前も憚らないで……。不快の念は、やがて憤怒の情に変わった。
「安達大隊はどうなっていますか?」
「ウン……安達の奴、勝手に暴進して、こんなことになったよ。仕方がないねえ……今夜斥候を出して連絡させようと思っとる」
部下の勇敢な大隊長が、敵中に孤立して重囲の中に危急を伝えているとき、連隊長が涼しい顔をしてビールを飲んでいるとは――。これが陸大を出た秀才であろうか。
ついに階級を忘れ、立場を忘れた。
「安達大隊を、何故軍旗を奉じ、全力で救わないのですかッ、将校団長として見殺しにできますかッ」
側にいた第二、第三大隊長も、連隊副官も、小声で連隊長に対する不満を述べている。軍旗はすでに将軍廟に後退させていたのである。
連隊と生死を共にせよとて、三千の将兵の魂として授けられた軍旗を、事もあろうに、数里後方の将軍廟に後退させるとは何事か。
食事を終わった連隊長は、さすがに心に咎めたらしく、重火器だけをその陣地に残して、歩兵の全力で夜襲し、ついに安達大隊を重囲から救出した。
安達少佐以下約百名の死傷者を担いで、夜半過ぎ渡河を開始した。その最後尾の兵が橋を渡り終わるのを見届けてから、ハルハ河を渡った。
以上が、辻政信の「ノモンハン秘史」に記されている「ビール事件」の記事である。
横田少佐はハルハ河の第一回渡河の援護部隊の大隊長だった。部隊は、後続部隊の先陣として、横田大隊長指揮のもとに、十隻の折畳船で五十メートルの河を渡り、ソ連軍の第一線の敵地に突入した。
辻少佐も横田大隊長とともに、敵陣に突入した。そこに敵戦車が攻撃してきた。「豪に入れ、肉薄攻撃準備!」と、辻少佐の隣に立っていた横田大隊長が怒鳴った瞬間に斃れた。
横田大隊長は頭部貫通で戦死したのだ。右から左から、正面から十数輌の敵戦車が突入してきた。戦場は修羅場となった。手榴弾が飛び、機関銃が火を噴いた。
三十分の戦闘で、敵戦車二輌を火炎瓶で焼き、一輌を砲塔に飛び乗って捕らえた。太陽が昇るとともに、歩兵第七一連隊、第七二連隊が駆けつけた。
辻少佐はその後も戦場にいた。小松原師団長も前線に出てきた。だが、敵航空機と戦車の圧倒的な攻撃で、日本軍は押されてきた。
そのような過酷な戦闘のあと、七月四日、「須見連隊長ビール事件」が起きた。この事件について、辻政信はその著書「ノモンハン秘史」(辻政信・毎日ワンズ)で次のように記している。
午後三時頃であった。悲痛な顔をした須見連隊の将校が、部隊の危機を訴えるように報告している。「火炎瓶と地雷を下さい」。声が慄えている。
師団長はたったいま参謀長を失ったばかりのところへ、またしても前岸の急を訴えられ、苦悩の色がさすがに濃い。
師団参謀は手不足で、前岸に行く余裕はまったくなさそうだ。またお手伝いしようと思って副長に申し出た。異論はない。
師団長は柔和な瞳で、「君、行ってくれるか、御苦労ですが……」と、心からいたわり、喜んで申し出を承認された。
「護衛兵を連れて行け」と言われたが、白昼、敵砲弾下を潜るには一人に限る。敵がどんなに弾薬が豊富であったにしても、まさか一人の目標に対して大砲を向けることもあるまいと考えながら、砲弾の合間を縫いながら、再びハルハ河を渡った。
昨日からの渇きを癒すのはただこのときだ。橋板の上に腹ばいになって水筒で河水を汲み、たちまち二本を飲み干した。師団長にも、兵にも飲ませてやりたい……。
ハラ高地の連隊本部に辿り着いたとき、まだ陽が高いのに連隊長は夕食の最中であった。不思議にもビールを飲んでいる。
この激戦場でどうしたことだろう、ビールがあるとは……。飲まず食わずに戦っている兵の手前も憚らないで……。不快の念は、やがて憤怒の情に変わった。
「安達大隊はどうなっていますか?」
「ウン……安達の奴、勝手に暴進して、こんなことになったよ。仕方がないねえ……今夜斥候を出して連絡させようと思っとる」
部下の勇敢な大隊長が、敵中に孤立して重囲の中に危急を伝えているとき、連隊長が涼しい顔をしてビールを飲んでいるとは――。これが陸大を出た秀才であろうか。
ついに階級を忘れ、立場を忘れた。
「安達大隊を、何故軍旗を奉じ、全力で救わないのですかッ、将校団長として見殺しにできますかッ」
側にいた第二、第三大隊長も、連隊副官も、小声で連隊長に対する不満を述べている。軍旗はすでに将軍廟に後退させていたのである。
連隊と生死を共にせよとて、三千の将兵の魂として授けられた軍旗を、事もあろうに、数里後方の将軍廟に後退させるとは何事か。
食事を終わった連隊長は、さすがに心に咎めたらしく、重火器だけをその陣地に残して、歩兵の全力で夜襲し、ついに安達大隊を重囲から救出した。
安達少佐以下約百名の死傷者を担いで、夜半過ぎ渡河を開始した。その最後尾の兵が橋を渡り終わるのを見届けてから、ハルハ河を渡った。
以上が、辻政信の「ノモンハン秘史」に記されている「ビール事件」の記事である。