陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

66.南雲忠一海軍大中将(6) 機動部隊を小僧の使い走り使いのように考えてもらっては困る

2007年06月22日 | 南雲忠一海軍中将
 山本司令長官は立ち上がるとおもむろに口を開いた。

 「大切な事を一つ付け加えておく。それは攻撃中止についてである。機動部隊は間もなく単冠湾に向けて発進するのであるが、まだ、戦争は始ったわけではない。ワシントンでは、野村大使と、ハル長官の間で日米交渉が続行されている。これが成立した場合には、機動部隊は攻撃中止、即時引き揚げの命令を打電するから、おとなしく内地に帰ってきてもらいたい」

 その時、草鹿参謀長が立ち上がり「長官、もし、母艦から攻撃機が発進後であったときは、どうしますか」と言った。

 すると山本長官は「同じだ。飛行機が母艦を離れて、攻撃の途中であっても、交渉が成立次第、帰ってきてもらう」

 南雲長官がたまりかねて立ち上がった。「長官、それはちとむりですぞ。あなたが平和を願う気持ちは分かりますが、一旦、母艦を離れたら、搭乗員には、攻撃するか、死ぬるかの、二つしか道は残されていない。発艦した魚雷を海に捨てて、もう一回着艦しろとは、指揮官としては口がさけても言えません。そりゃあ、士気に関係しますからな」

 草鹿参謀長も補足した。「艦攻や艦爆は電信員が乗っているから、引き返しの無電を受信できますが、戦闘機は無理だと思いますな。艦攻と同行しているときは手信号で伝えられますが、問題は天候不良などの原因で分散した時です」

 その時、南雲長官が「しかけたしょんべんは、やめられませんぞ」と太いしわがれた声で言った。それを聞いて、塚原二四三中将がくすりと笑った。

 山本長官は声を励ますように言った。「いいか、南雲も草鹿もよく聞いておけ。百年兵を養うは、一日の用に当てる為だ、という言葉を君達は知っているだろう。肝心のご奉公の時に、大切な命令が実行できないと思うようなら、出すわけにはいかん。今すぐ辞表を出せ」。

 南雲長官も山本長官の血相に気押された。

 会議が終わり、一同は岩国市内の料亭「深川」に向かった。山本司令長官初め、艦隊の将官が席を同じくして料理を囲んでいた。

 南雲中将も料理をむしゃむしゃ食っていた。

 酌に来た芸者が「よう食べんなさるねえ、こちらの中佐さん」と言った。

 「おい、中佐じゃないぞ」横から草鹿参謀長が注意をした。

 岩国では航空隊の士官が飲みに来るだけなので、将官は見たことがないのであった。

 「こちらの方は中将だ」

 「へえ、ほんなら、航空隊の司令よりもえらいんかね」

 「当たり前だ」

 「ほんなら、あんたは少将で、あのまんなかの大将は、誰いうのやね」女は山本司令長官の方を指差した。

 「余計なことを訊くな」草鹿参謀長は不機嫌に答えた。

 反対に南雲長官は機嫌が直っていた。田舎丸出しの芸者の素朴さが気に入ったのである。

 「おい、白頭山節を歌えるか」彼は平素自慢の歌を女に歌わせることにした。

 女は歌った。「泣くな嘆くな、必ず帰る、桐の小箱に錦着て、エエ、帰る、九段坂、テンツルシャン」

 南雲長官はぐいのみを掌にしたまま、それに聞き入っていたよいう。

 大戦果の真珠湾攻撃を成功させて南雲機動部隊は帰路についた。

 だが、真珠湾攻撃は一応成功ではあったが、第二回目の攻撃を行い、徹底的に真珠湾の米軍を壊滅させるという進言を南雲司令部は受け入れず、攻撃を終了させたのだった。

 連合艦隊司令部の殆どの参謀は、真珠湾攻撃で、機動部隊の南雲司令部に、第二撃による戦果拡大を下令すべきだと主張した。

 山本長官はいきりたつ参謀を抑え、「将棋のさしすぎはいかん」と言って戒めた。

 だが山本長官は後に、やはり真珠湾は第二撃を、行い徹底的に叩いておくべきだったと反省している。

 連合艦隊司令部は第二撃下令を強行しなかった代わりに、真珠湾攻撃を終えて引き上げ中の機動部隊に、帰路、ミッドウェイ攻撃を行うよう指令した。

 12月10日朝、この命令を受け取った赤城では、南雲長官よりも、草鹿参謀長がふんがいした。

 「決死の大作戦を終わって、やっと帰途についたのに、こんな小さな島をついでにやって来いとは何たる言い草だ。機動部隊を小僧の使い走り使いのように考えてもらっては困る」と言った。

 南雲長官も苦笑して「奇襲のけたぐりで、やっと横綱を倒したんだ。そしたら、帰りに、大根やねぎを買ってこいと言うのかね」と言った。

 機動部隊は結局、天候不良を理由として、ミッドウェイ攻撃をやらなかった。