海軍兵学校四十三期の高木は三号生徒の時、一年間にらまれ、なぐられた四十一期には数々の恨みがあるが、四十三期は前田稔、松永貞一、草鹿龍之介、田中頼三、木村昌福、市丸利之助など勇名を馳せた提督も少なくなかったという。
「自伝的日本海軍始末記」(光人社)によると、大正四年十二月十六日、高木は海軍兵学校(四十三期)を卒業し、「磐手」に配乗され遠洋航海(豪州、ニュージーランド)に出た時、修道院に近い海兵の生活から抜け出し、やれやれ海に出られた、という開放感をおぼえたが、それもたちまち失望の淵に突き落とされた。
艦上の実習も航海科の天測ぐらいが気の効いた方で、あとは、水兵さんと同じ甲板洗いのまねごとや、当直のけいこ、朝起きるとハンモックを大慌てにくくって格納所にかつぎこむなど、高木にはバカ臭くて他の同僚のようにハツラツとした気分でやれなかった。
ある朝、一番遅れてハンモックをかついで上甲板にでると、ハッチのわきに両手を腰にかまえて見張っていた永野副長にどなられ、そのまま甲板をハンモックをかついで駆け足で一周させられた。
水兵に笑われながら走り屈辱感が身に染みたという。高木は「このような指導法が指揮官養成の正道か邪道か問題である」としている。
高木は遠洋航海終了後、軍艦「安芸」に乗組んだ。この艦の三上良忠副長の意地悪さは高木にとって忘れられないものとなった。
水兵、士官の区別なくどなりまわし、陰では副長と呼ばないで「悪忠」と」呼ばれていた。
ある日副直に立っていると艦橋の信号兵が大声で「副直将校、軍艦〇〇が入港します!」とトテツもない大声で報告した。
びくびくもので副直に立っていたためと、遠洋航海いらいのノイローゼ気味だったのか「副長、〇〇艦が入港します!」と後甲板にいた副長に報告した。
そのとたん「バカ!〇〇艦なんて海軍用語があるか!」とどなられ、高木は「この副長には最初から落第、この副長には同期生六名のうち最低の考課表だっただろう」と述べている。つくずく副長運の悪い高木だった。
大正六年十二月一日、高木は機関学校の練習艦「千歳」に乗組んだ。高木は艦長や分隊長は尊敬できたが我慢のならないのは、この艦の副長古賀琢一中佐だった。
自慢げに天保銭(海軍大学校卒業徽章)をつけているのはいいとして、病的と思えるほどの神経質の怒りんぼうだった。
号令の言葉尻や取次ぎのタイミングが悪いとか、愚にもつかぬことに頬の筋肉をけいれんさせてクドクド怒鳴るのが毎日の事で、高木などぺいぺいの少尉はさんざんであった。
同期の矢野少尉は機転が利いて可愛がられたが、高木は反骨ばかりが強すぎ、古賀副長が怒りだすと「安芸」の三上副長で鍛えられた「聞こえぬふり」をしてソッポを向いてそらとぼけていると、「こいつはツンボか!」と副長がひとりで焦がれていたという。
「自伝的日本海軍始末記」(光人社)によると、大正四年十二月十六日、高木は海軍兵学校(四十三期)を卒業し、「磐手」に配乗され遠洋航海(豪州、ニュージーランド)に出た時、修道院に近い海兵の生活から抜け出し、やれやれ海に出られた、という開放感をおぼえたが、それもたちまち失望の淵に突き落とされた。
艦上の実習も航海科の天測ぐらいが気の効いた方で、あとは、水兵さんと同じ甲板洗いのまねごとや、当直のけいこ、朝起きるとハンモックを大慌てにくくって格納所にかつぎこむなど、高木にはバカ臭くて他の同僚のようにハツラツとした気分でやれなかった。
ある朝、一番遅れてハンモックをかついで上甲板にでると、ハッチのわきに両手を腰にかまえて見張っていた永野副長にどなられ、そのまま甲板をハンモックをかついで駆け足で一周させられた。
水兵に笑われながら走り屈辱感が身に染みたという。高木は「このような指導法が指揮官養成の正道か邪道か問題である」としている。
高木は遠洋航海終了後、軍艦「安芸」に乗組んだ。この艦の三上良忠副長の意地悪さは高木にとって忘れられないものとなった。
水兵、士官の区別なくどなりまわし、陰では副長と呼ばないで「悪忠」と」呼ばれていた。
ある日副直に立っていると艦橋の信号兵が大声で「副直将校、軍艦〇〇が入港します!」とトテツもない大声で報告した。
びくびくもので副直に立っていたためと、遠洋航海いらいのノイローゼ気味だったのか「副長、〇〇艦が入港します!」と後甲板にいた副長に報告した。
そのとたん「バカ!〇〇艦なんて海軍用語があるか!」とどなられ、高木は「この副長には最初から落第、この副長には同期生六名のうち最低の考課表だっただろう」と述べている。つくずく副長運の悪い高木だった。
大正六年十二月一日、高木は機関学校の練習艦「千歳」に乗組んだ。高木は艦長や分隊長は尊敬できたが我慢のならないのは、この艦の副長古賀琢一中佐だった。
自慢げに天保銭(海軍大学校卒業徽章)をつけているのはいいとして、病的と思えるほどの神経質の怒りんぼうだった。
号令の言葉尻や取次ぎのタイミングが悪いとか、愚にもつかぬことに頬の筋肉をけいれんさせてクドクド怒鳴るのが毎日の事で、高木などぺいぺいの少尉はさんざんであった。
同期の矢野少尉は機転が利いて可愛がられたが、高木は反骨ばかりが強すぎ、古賀副長が怒りだすと「安芸」の三上副長で鍛えられた「聞こえぬふり」をしてソッポを向いてそらとぼけていると、「こいつはツンボか!」と副長がひとりで焦がれていたという。