ロンドン軍縮会議での昭和5年1月5日の佐藤大佐の日記によると、この日、三川軍一中佐と佐藤は会議に出席するため初めてロンドンのヴィクトリア・ステーションに降り立った。
ホテルに入ろうとすると、山本五十六少将ら数人と玄関でパッタリと出会った。山本も海軍随員(専門委員)としてロンドンに来ていた。お互い「ヤー」「ヤー」と挨拶を交わした。
食事に出掛けるところだった山本少将は同行の軍人達に「わしはちょっと残るから」といって別れ、佐藤大佐と三川中佐をホテルに案内した。佐藤が「食事に出掛けるところだったのではないですか?」と訊ねたら、山本は「ウン、ダガ佐藤をあんな所へ連れて行くと叱られるかも知れぬ」と云われた。
部屋の案内が終わって、山本少将、榎本重次書記官(専門委員)、佐藤、三川の四人で夕食に出掛けた。店は魚料理名代のスコット。そのあとホテルに帰り佐藤は山本に連れられて左近司政三海軍中将のところに挨拶に行った。そこで佐藤は「一しきり気焔を挙げてやった」と記しているが、次に山本少将の話として次のように記している。
「大臣(財部彪海軍大将と思われる)がオッチョコチョイはよく判った。つい最近のこと皆寄って何かで飲んだ時らしいが山本さんは大臣の前で大抵の人なら感づきそうな云い回しで大馬鹿大将と云ったのだ相だがオメデタイ大臣にはマルデ通じなかった。次に豊田のオッチョコチョイなることが判った。私には昔から判っていた」。
1月8日の日記には、次のような内容が記されている。佐藤が山本少将に「加藤軍令部長が人を見るの明なく俗物のオベッカに乗せられているのはなっていぬ許りでなく海軍のため大害だ」と云うと、山本少将が「それを聞いて安心した。もともと財部、加藤の両人を海軍を毒する元凶と思っているが貴様が加藤さんを大層賞めて居ると聞いて実は心配していた」と相槌を打った。
ホテルに入ろうとすると、山本五十六少将ら数人と玄関でパッタリと出会った。山本も海軍随員(専門委員)としてロンドンに来ていた。お互い「ヤー」「ヤー」と挨拶を交わした。
食事に出掛けるところだった山本少将は同行の軍人達に「わしはちょっと残るから」といって別れ、佐藤大佐と三川中佐をホテルに案内した。佐藤が「食事に出掛けるところだったのではないですか?」と訊ねたら、山本は「ウン、ダガ佐藤をあんな所へ連れて行くと叱られるかも知れぬ」と云われた。
部屋の案内が終わって、山本少将、榎本重次書記官(専門委員)、佐藤、三川の四人で夕食に出掛けた。店は魚料理名代のスコット。そのあとホテルに帰り佐藤は山本に連れられて左近司政三海軍中将のところに挨拶に行った。そこで佐藤は「一しきり気焔を挙げてやった」と記しているが、次に山本少将の話として次のように記している。
「大臣(財部彪海軍大将と思われる)がオッチョコチョイはよく判った。つい最近のこと皆寄って何かで飲んだ時らしいが山本さんは大臣の前で大抵の人なら感づきそうな云い回しで大馬鹿大将と云ったのだ相だがオメデタイ大臣にはマルデ通じなかった。次に豊田のオッチョコチョイなることが判った。私には昔から判っていた」。
1月8日の日記には、次のような内容が記されている。佐藤が山本少将に「加藤軍令部長が人を見るの明なく俗物のオベッカに乗せられているのはなっていぬ許りでなく海軍のため大害だ」と云うと、山本少将が「それを聞いて安心した。もともと財部、加藤の両人を海軍を毒する元凶と思っているが貴様が加藤さんを大層賞めて居ると聞いて実は心配していた」と相槌を打った。